皆川博子 旅芝居殺人事件(「壁——旅芝居殺人事件」改題) 目 次  旅芝居殺人事件  瑠 璃 燈  奈  落  雪  衣  黒  塚  楽  屋  花  刃  旅芝居殺人事件  一 流花之章     1  大輪の花が、宙を行く。  天井の一隅に、光がのびた。強烈な光は、その周囲を闇に塗りこめた。スポットライトの輪のなかに素足が浮かぶ。はり渡された綱が白い足の裏にくいこみ、紅梅色の蹴出しを割って歩み進む力をこめた足の指に、血の色が透く。高々とからげ、帯にはさんだ花浅葱《はなあさぎ》の小袖の褄、緋のしごき、白塗りの蘭之助をライトがとらえる。  桟敷の上に十文字にはられた綱の、交点にむかって進む蘭之助に集中する客の眼、息づかい、嘆声、すべて消え失せた。わたしは、地上にただひとり、蘭之助をみつめている。  いや、舞台の上でそれぞれの役柄も忘れ、座長の無事を気づかう座員たちは、わたしの意識にのぼらないわけにはいかない。  悪右衛門に扮した市川蘭十、その家来の浅尾花六と大門次郎、狐の面をつけた嵐小菊、里見マチ子、大月城吉。  下手の袖の奥では、蘭之助の母親市川喜代が、伴奏音楽のレコードを操作しながら、だれよりも祈るような目を、四綱《よつづな》をわたる息子にむけている。  もうひとり、奈落の底に、保名《やすな》の役の嵐菊次が、息をつめて狐葛葉《きつねくずのは》の蘭之助が『から井戸』を降りてくるのを待ち受けている。  前の場で安倍童子《あべのどうじ》をつとめたわたしは、幕引きのセイさんと上手袖にいた。わたしは座員ではないけれど、子役が必要なのでかり出された。  わたしの父がこの芝居小屋『桔梗座』の持主なので、わたしは役者たちにかわいがられていた。  本歌舞伎とはちがう、けれんの手管でお客さまの御機嫌をうかがう小屋芝居である。子別れにつづく信田《しのだ》の森、本歌舞伎なら、葛葉姫をさらおうと家来をひきつれた石川悪右衛門と、狐勘平、与勘平、野勘平、歌芝女《かしめ》との大立廻りとなる終幕が、市川蘭之助のけれんの見せ場であった。  身が執心の葛葉姫、さっきチラリと姿を見た。保名が逃げてもかまいはせぬ。鼻がお敵をとり逃がすな。  心得ました。  急げ急げ。  と、花道を舞台に来た悪右衛門に、家来が、  アレアレ、あそこにおります、あそこにおります。  それ、つかまえろ。  と、家来二人が駕籠をかついで上手に入り、すぐに舁《か》き戻してくる。  お旦那、首尾よく捕えました。  イヤ、さすがは身共が家来ほどある。手柄々々。コレ葛葉の君、そもじがどのように嫌うとも、こうなっては是非がない。得心して、なびき給え。  と、駕籠をあけるまでは、常磐津の出語りなどもちろん使えず、レコードの安手な伴奏であるのをのぞけば、本歌舞伎をほぼ忠実になぞっていたが、被衣《かずき》をかぶって駕籠から出たのが、赤っ面の下素奴《げすやつこ》と悪右衛門にののしられる狐勘平ではなく、定法にない花浅葱の着付の狐葛葉で、下手袖から走り出た狐三匹とともに、悪右衛門一味を翻弄したあげく、被衣を宙にとばし、下手袖の壁にとりつけられた梯子をのぼって、綱わたりのけれんとなる。  それに続く段どりは、天井高くはられた四綱を、救助綱も命綱もなしに渡り、中央で足を綱にかけ逆吊りとなり口から火を吹く。ふたたび綱の上に立って戻り、途中、綱から垂直に吊り下げられた絹梯子を伝い下りて、舞台と花道の交点にもうけられた『から井戸』に消える。  から井戸は、舞台と奈落を結ぶ通路である。奈落で待機している保名役の菊次が、狐葛葉から葛葉姫への早替りに手を貸し、上手袖のかげの切穴から、保名と葛葉姫、手をとって本舞台にあらわれ、そのあいだに市川蘭十と大月城吉は、二役の信田庄司、その妻|柵《しがらみ》にと、袖かげで扮装をかえていて、他の者は全員村人のつくりとなり、華やかに踊って幕を閉じる、ということになっていた。  蘭之助の四綱は、これがはじめてではない。中日をはさんで三日間の特別興行でも、わたしは見ている。狂言日替りの小屋芝居で、三日間連続特別興行の外題は四谷怪談であった。お岩の四綱渡りと逆吊りを、蘭之助は危なげなくこなしている。  昨日、客を前にしての蘭之助の口上も、自信にみちて力強かった。  ……いよいよ、明日一日で、御当地ともお別れでございます。この一箇月、みなさまにはたいそうかわいがっていただきました。一段高い舞台の上から失礼ではございますが、心はみなさまの下座《しもざ》に下りまして、厚く御礼申し上げます。本当にお名残り惜しうございます。明日は千秋楽、みなさまの御声援にこたえて、蘭之助、大車輪のけれんをお目にかけます。中日三日の特別狂言、みてくださったお客さまも多いと存じます。もう一度四綱をやれと、大勢のお客さまから言われました。それで、明日千秋楽は、特別狂言葉子別れで、四綱渡り、逆吊り、早替り、蘭之助のけれんのすべてを、みなさまのお目に残してお別れしたいと思います。……  その言葉のとおり、この日、昼夜二部興行の昼の部で危険な妙技をみごとにやりおおせた後の、夜の舞台であった。  ライトは蘭之助の足を追う。四綱の中央に仁王立ちになった蘭之助の躯は、わずかに揺れている。高鳴ったレコードが音を止めた。静寂は荒野を吹きぬける風に似た。  蘭之助の狐独を、わたしは感じた。十七歳で一座を背負い、このときまで六年間、蘭之助は狐独でありつづけたにちがいない。無限の闇の高みに立つ蘭之助の目は何を見るのかと、わたしは思った。蘭之助を見上げる観客を、わたしはほとんど憎んだ。桟敷もまた、闇の底にある。白く反転した太陽の幻影をスポットライトは闇の毛足を灼《や》いて作り、その中央に、蘭之助は幻光の王として立つ。蘭之助の手が小さく動き、口もとにゆく。このわずかな動作が均衡を乱し、綱は揺れを増した。『吹き火』を口に含んだのだ。  綱をしずめるかわりに、蘭之助は大きくのけぞって、綱を蹴放すかにみえた。逆落としになった蘭之助の足は綱にかかり、飛翔する肉体をつなぎとめた。  紅梅色の蹴出しの裾はたくみに腿にからまる。そのとたん、蘭之助は烈しく咳きこんだ。『吹き火』が小さい流星のように落下した。そのゆくえを、わたしは見るどころではなかった。のけぞって逆吊りになるとき、火を吹くべき息を、つい逆に吸いこみ、器具につめた花火の粉末がのどに入ったのだと考えたのも後のことで、客たちの悲鳴のあいだを、わたしの叫びが縫った。  蘭之助は辛うじて落ちず、上半身をじりじりと曲げて持ち上げ、両手で綱を握った。よじのぼって綱の上に立つ余力はなく、両手で吊り下がったまま袖の方に戻ろうとする。そのあいだも咳きこんで身をよじった。スポットライトは消え、無残な姿を闇が包んだ。から井戸の真上に来たとき、蘭之助は、墜ちた。  その翌日、浅尾花六の死体が奈落で発見された。絞殺されていた。そのかたわらに、セイさんの縊死《いし》体があった。花六の首に巻きついたのは、セイさんの汚れた手拭いだった。  十五年前の記憶である。九歳だった。このとき、わたしは。     2  なぜだろう。執拗に浮かぶのは、白昼の光のなかに背をむけて立った姿である。光は長方形に切りとられ、周囲は薄暗い。裏口から立ち去ってゆくところを、わたしは小屋の内で膝をかかえて腰をおろし、だまって見送っているのだ。  実際にそんなところを目にしたはずはなかった。  戸は開けはなされているが、透明な非在の膜にさえぎられ、驟雨のような光は小屋のなかには注ぎ入らない。逆光でふちどられた昏《くら》い背中しかみえないのに、菊次だとわかる。嵐菊次は奇妙な消えかたをしたので、わたしは彼が出てゆくところを、決して見てはいない。偽の記憶を、人は誰でも持っているものなのだろうか。  偽の記憶にうかぶ小屋は、この『桔梗座』である。そう、断言できる。菊次が消えたのは、ここだ。奈落に、彼が着けていた保名の衣裳だけが残っていた。保名といえば、小袖物狂いの、紫の病鉢巻、白地に露芝模様の小袖、長袴といった、たおやかで華麗な拵《こしら》えがまず思いおこされるが、菊次が扮したのは、安倍野機屋《あべのはたや》の場の保名だから、貧しいやつしの肩入れが定法である。それを、たしかに肩入れではあるけれど、薄紅藤の着付の肩に小桜を染め散らした二藍《ふたあい》というはなやかな衣裳を用いさせたのは、座長の市川蘭之助であった。  やりくりの苦しい旅芝居だが、蘭之助は、衣裳と鬘《かつら》だけは、無理算段してもきらびやかな、目に艶なものを揃えようとしていた。蘭之助はそのとき二十三、菊次は一つ二つ年下だった。テレビが普及し旅芝居が絶滅しかけている時期に座長をはった市川蘭之助の、意地であり、客足を惹きつける方策でもあったのだろう、贔屓の客に躯を売っても衣裳と鬘にできるかぎりの贅をつくしたのは。そのためか、市川蘭之助一座の舞台には、旅役者につきものの佗しいみすぼらしさと、歌舞伎発祥のころのいささか奇嬌なほどのけざやかさはこうもあったろうかと思われる華美が、混じりあっていた。もちろん、九つの子供が理屈でわきまえたわけではない。そのころ感じたものを、いま言葉になおせば、そういうことになる。  千秋楽、奈落にいた菊次は地上に姿をみせることなく消えたのだが、奈落の底から舞台に通じる『光の井戸』の梯子に、薄紅藤の肩入れは、すがりついたまま人間が溶け消えたように、抱きからんでいた。  光の井戸というのは、わたしの心のなかだけの呼び名で、正確な舞台用語でいえば『から井戸』である。  から井戸に墜ちたとみえた蘭之助が無事だったのは、はり渡された四綱から垂直に下ろしてある絹梯子のおかげだった。これは、先に四谷怪談のときにも用いたもので、お岩に扮した蘭之助は絹梯子にすがって一気にから井戸にすべり降り、客の目には幽霊が宙を下って井戸に消えたようにさえみえた。  葛葉でも、この絹梯子は下げてあった。だからこそ、蘭之助は、ぶら下ったぶざまな姿を必死にそこまではこんだのであった。  咳きこみながら絹梯子をつたい、奈落に下りた蘭之助は、早替りに手を貸してくれるはずの菊次がおらず、衣裳ばかりが残っている不思議に、茫然とした。しかし、考えている暇はなかった。  火の粉を吸いこんだ咽喉が灼けつく。苦痛をこらえ、できるかぎり手早く姫の衣裳に着替え、鬘を吹輪にとりかえ、下手の切穴から出て台所にとびこみ、まず水で咽喉を洗った。手をとりあって出るべき保名がいないままに、穴をあけるわけにはいかず、ひとりで舞台に出、蘭十の信田庄司、城吉の柵、その他村人たちと踊って幕にした。観客は蘭之助の無事を知って大喝采し、菊次の非在を気にとめない者が多かったようだ。幕がひかれた後、いつもなら蘭之助が一人で口上をのべるべきところを、年輩の蘭十がともに並び、蘭之助は咽喉を痛めたので私がかわって、不手際な舞台のお詫びを申し上げます、と、二人で頭をさげた。  菊次がなぜ失踪したのか、いつ奈落をぬけ出しだのか、と、終演後、楽屋内では大騒ぎになった。保名の拵えの菊次が上手切穴から奈落に降りるところを下手袖から戻ってきたわたしとセイさんが見ている。その後、わたしとセイさんは、ずっと上手切穴のそばにいた。ほかの者は舞台に出ていたが、下手袖の奥では喜代がレコード操作をしていたから、下手切穴から出れば目にとまる。残るのは花道奥の鳥屋《とや》に通じる切穴だが、これも楽屋の外に出るにはレコード操作の喜代の傍を通ることになる。どんな事情があろうと、蘭之助の早替りの手伝いを放り出してドロンするのを、蘭之助の母親の喜代が見逃すわけがなかった。  菊次が奈落に下りてまもなく、わたしは一度手洗に立っている。すぐに戻ってきたけれど、そのあいだ、上手切穴のそばにはセイさんひとりだった。それが唯一の抜け出すチャンスといえばいえる。セイさんは、菊次に口止めされれば忠実に命令を守るだろうからだ。  皆に責めたてられ、セイさんは、知らないと、かたくなに言いはった。  役者にドロンはつきものだから、一座員の消失など、本来なら警察のとりあげることではなかった。その翌日奈落で発見された二つの死体のために、菊次の失踪に警察の目がむけられた。蘭之助一座は、二、三日足止めをくった。  浅尾花六とセイさんの骸《むくろ》は、わたしは見ていない。わたしの目に残っているのは、菊次の美しい空蝉《うつせみ》の衣だけだ。  そのためか、わたしの心には、花六が殺されたことより菊次の消失の方が、はるかに強く刻まれている。  見ようによっては祈るような形に衣裳を梯子にからませたのは、一座を捨て蘭之助を捨てる菊次の、蘭之助への詫びの気持をあらわしたのだったろうか。  殺人事件の話を、わたしの母などは、なるべくわたしの耳にいれまいとしたのだが、まわりの大人たちの話し声は、聞き耳をたてるまでもなく、きこえてくるのだった。  五十代半ばの浅尾花六は、いつもセイさんに邪慳《じやけん》な仕打ちをしていた。菊次の失踪に手を貸したのだろうと花六に折檻されたセイさんが、こらえかねて花六さんを絞め殺し、おそろしくなって首をくくったんだってよ。警察の且那がたが、そう言っていたよ。  花六より少し年下だがこれも中年の大月城吉がかなり厳しくしらべられたのは、城吉と花六がひどく仲が悪かったからだが、殺害せねばならぬほど切羽つまった状態でもなかったということで、容疑者にならないですんだのだそうだ。  劇団のかねが十万円紛失していることがわかり、菊次の泥棒野郎、喜代は罵った。事もあろうに、座長に恥をかかせ、そのどさくさにかねを掠めてドロンしやがった。  喜代がそう言うと、頭取を兼ねる蘭十が、実はおれも気になっていることがある。座長、菊次をかばわないで、正直に言ってほしい。あの吹き火は、あまりうまくできていなかったんじゃないのか、と言いだした。  わたしは後に、高校を卒業するころ、学校の図書館の蔵書『芝居の小道具』という本で知ったのだが、吹き火は、江戸時代にずいぶん使われたらしい。安政五年刊行の『御狂言楽屋本説』に火吹きねこの図があり、「……口より火を吹くことは、二寸ばかりの薄き箱を作り、そのなかへねずみ花火を二十本ほどにかわ附けにして入れておき、口にくわえて火をつけるなり」とあるそうだ。  蘭之助と菊次の吹き火の工夫も、それに近かったらしい。わたしは実物を見たことはない。もちろん安政の昔に刊行された本など二人は知るまいが、菊次の父親が吹き火を使ったことがあるそうで、菊次のその記憶をもとに、二人で考案したのであった。  蘭之助は、失敗したのは、自分が未熟なせいだ、菊次には責任はないと言ったが、喜代は、昼の部はうまくいったのに、夜の部でしくじったのは、菊次が、吹き火の器具に何か細工したのにちがいない、あいつ、待遇のいい座の話をききこんで、ドロンしたのだ、あとから小菊も呼び寄せるつもりなのだと悪しざまに言いつのり、そのとき蘭之助は血相かえて、母親をなぐり、髪をつかんでひきずり倒した。  兄から何かきいているだろうと、蘭十や大門次郎は菊次の弟の小菊を私刑まがいのことまでして責めた。小菊は歯をくいしばって否定したが、ひとりで奈落に下り、梯子に躯を投げ出して泣いているのをわたしは見た。     3  月替り、半月替りで乗り込み、去ってゆく旅の一座を、迎え入れ見送るのは、わたしの日常だった。行き来した数多い劇団は、ほとんど、くすんだ印象しか残っていない。  蘭之助の一座がトラックとライトバンで、はじめて桔梗座に乗り込んできたとき、わたしは、何かぞくっと鳥肌立つほど惹きつけられたのだ。  わたしをそれほど魅了したのは何だったのか。紅や青黛《せいたい》の落書が壁を埋め、便所のアンモニア臭が流れこむ細長い楽屋に積み上げられたタンバ(衣装箱)からこぼれた、豪奢な衣裳の色か。ジーパンにトレーナーの蘭之助、菊次、小菊の、軽快な身のこなしと汗のにおいか。  雨上がりの五月、前の興行地を発つとき降られたのか、棹に巻いたまま下ろされた色の落ちた幟《のぼり》は重く水をふくんでいた。蘭之助は先に立って荷をはこび下ろしていた。汗で肌にはりついたトレーナーをかなぐり捨てた。おびただしい衣裳、鬘、三度笠、無造作にくくられた、塗りの剥げた刀の束、提灯、十手など、饐《す》えた手垢のしみついた小道具から、エレキギター、ドラムス、マイク、アンプ、スピーカー、プレイヤー、レコード、テープ、更に、日常の生活いっさいも楽屋で行なわれるのだから、炊事の道具、食器、調味料、冷蔵庫から洗濯機、テレビと、一大家族の引越しのような騒ぎは見なれているのに、わたしはいつになく浮き立った。  全員勢揃いした記念写真が手もとに残っており、ふちが擦れるほど見返しているから、十五年経った今も、一人一人の名前も顔も鮮明である。  舞台に立つのは、座長蘭之助、菊次、その弟の小菊、頭取を兼ねる市川蘭十、蘭之助の母親の市川喜代、五十代半ばの浅尾花六、四十代の大門次郎とその女房である二十七、八の里見マチ子、と総勢八人。鳴物はレコードとテープだから下座はいない。大月城吉はあとから加わった。もう一人、幕引きと雑用を兼ねるセイさん。  中年の、痩せたセイさんは、躯が弱く知能も人並みではないということで、ほとんど無給だったらしい。暇なときは、たいがい楽屋で寝ていた。手先は器用で、小さいわたしが頼むと、紙きれで鶴やだまし舟を折ってくれた。もういいよ、とことわらないかぎり、折りつづけ、わたしの膝に溢れるほどのせた。だれかがいたわるつもりで、セイさん、寝とれよ、というと、楽屋の隅で汚れた毛布をかぶり、眼から上だけ出して、眠くなくてもじっとしていた。眼は命じた者を追い、お坐りや伏せを命じられた犬が次の命令を待つように緊張しているのが、わたしにもわかるほどだが、そのうちに寝入ってしまうのだった。  市川蘭之助は、乗り込むと同時に、小屋主であるわたしの父に、から井戸を使いたいと申し出た。  大正三年に建てられた桔梗座は、昭和二年、金ぐりに詰まった持ち主からわたしの祖父が買いとったもので、定員五百人の二階建て、客席はかるい勾配のついた畳敷で、本舞台の間口八間、手動の廻り舞台を備え、花道と本舞台の交差する角に『から井戸』がもうけてある。そのかわり、ふつう花道の七三につくられる『すっぽん』を欠く。 『から井戸』は、現在の劇場にはほとんど見られない。享和二年に刊行された『戯場楽屋図会拾遺』という書物の挿絵に、から井戸の図があるが、その図では、花道が中央近くについている。当時の様式の一つなのだろう。桔梗座の花道は、下手に作られてある。  すっぽんといい、から井戸といい、魑魅《ちみ》妖怪のたぐいの出入りする通路とさだめられたものなのだが、旅の芸人一座のなかには、ずいぶんいいかげんな用いかたをする劇団もあったそうだ。  あったそうだ、というのは、わたしは、市川蘭之助劇団以外の劇団がから井戸を使うのを見たことがないからだ。  古い芝居小屋というものは、建物自体が因縁話をそなえているのが多い。開かずの間などと呼ばれる小部屋も珍しくない。たいがい一座に捨てられそうになった老残の役者がその部屋で縊死《いし》したというような、陰鬱な事件に由来する。  実は、うちの小屋には、桔梗座の奈落は人を喰う、という言いつたえがあった。昭和十九年、奈落に入った役者が着ていた衣裳だけ残してそのまま消失したためである。わたしが生まれるはるか以前の話だから、その伝説がどこまで真実なのかは知らない。芝居者は縁起をかつぐといっても、不吉な奈落は、戦後も使用されつづけていたのだった。わたしが生まれたころ、せっかくの廻り舞台やから井戸が打ち捨てられてしまっていたのは、古くさい粗末な芝居をたのしみに小屋に足をはこぶ客の数が極端に減り、奈落に下りて盆を廻しセリ台を上げ下げする若い衆を常雇いしておくどころではなくなったからだ。しかし、世間は、古い伝説をよみがえらせ、人を喰うからあそこの奈落は閉鎖されているのだ、と言いたがった。  伝説を逆手にとって奈落を使いこなし、人気を湧かすという市川蘭之助のもくろみは、父を喜ばせた。  労働力の不足という単純な理由から眠らせているにすぎない奈落にまつわる噂は、父にとって腹立たしいものであった。しかし、盆を廻すにしても、セリの上げ下げにしても、素人がすぐにできることではない。熟練者はいなくなっていた。  廻り舞台は残念だがあきらめます、から井戸に梯子をとりつけて使うことにしましょう、と、蘭之助は熱心だった。男たちにセリ台でかつがれ、じわじわと穴から迫《せ》り上がるのにくらべ、梯子はいかにもぶざまかもしれない。だが、こっちのやりかた一つで、その点は何とでもなります、と、蘭之助は父を説得した。  肩をそびやかすようにして、父にせまっていた蘭之助を、わたしはおぼえている。  わたしたちの住まいは小屋の左手にあり、小屋と住まいはほとんどひとつづきだった。住まいの台所の窓から、小屋の裏庭に干された役者たちの洗濯物が見えた。  蘭之助と父が打ちあわせをしていたのは、住まいの方の座敷だった。頭取の市川蘭十と喜代、嵐菊次も顔を揃えていたと思う。  狭い庭に菖蒲が盛りだった。日暮れに近く、ビールを飲みかわしながら、父は上機嫌を押しかくして、奈落の使用に何かと難癖をつけていた。万一事故が生じた場合、劇団の方で強引に使用を希望したのだからと、責任をのがれる逃げ道を作ったのだろう。梯子をとりつけるにしても安全性を点検するにしても、よぶんなかねがかかる。その費用は劇団のとり分から天引きするが承知かと父は言った。桔梗座の経営のほかに不動産の斡旋や金融もやっていたから、芝居の景気は悪くても、わたしの家の暮らしは役者たちにくらべればかなりゆとりがあったのだが、父は座長や頭取には内証の苦しい話しかしなかった。菖蒲が影をうつす細長い池に泳いでいる鯉を、役者たちは、つかみとって腹を裂き汁鍋にぶちこみたいと思ったことだろう。桔梗座は、入場料の総額から宣伝用のちらし作りなどの経費をひいた残りを、小屋六分劇団四分でわける歩興行であった。役者たちは楽屋に寝泊りするから宿代はいらないが、入りが悪ければ自炊の食料を仕込むにもこと欠く。刻んだ生キャベツだけをおかずに、飯にソースをかけて夕食にしているところを、わたしは見ている。母が土いじりが好きで、小屋の裏手の持ち地にそのころは畑を作り、わたしたちの家族が自給してなお余るほどの茄子やトマト、胡瓜、青菜などを育てていた。わたしも生《な》り物の世話は嫌いではなかった。露に濡れた茄子の紫、黒い土をわけて掘り出す茗荷の香りは、人工的な衣裳の色、紅白粉《べにおしろい》のにおいと反対の極にあったが、わたしをたのしませる力は等しかった。お茶子さんたちも暇々に手を貸してくれた。もちろん収穫物はお茶子さんたちの手にも渡ったのである。その野菜が盗まれることがあった。盗られて不愉快な思いをする前に、母は座員さんたちにわけるようにしていたのだけれど、よほど入りが悪くて食いつめているときなど、まだ未熟なトマトがこっそり|※[#手へん+宛]《も》ぎとられた。その畑地は、父が死んだ翌年売ってしまって、いまはない。  よけいなかねを使わせただけの成果は、必ずあげる、連日大入りにしてみせる、一度来た客は最後まではなさない、と蘭之助は言い、言葉の勢いか、女にとっちゃあ私は蟻地獄ですと言って、何か思い出したように苦笑した。  それからのひと月、蘭之助たちは、から井戸や切穴を思う存分使って、日替りの芝居をみせた。華やかで、ときに凄まじいけれん芝居を。  二 闘花之章     1 「ねえ、つむじを曲げないで、気軽に喋ってくださいよ」 「雑談でいいんですよ。いま、こうやって喋っているように」  テレビが、『桔梗座』の終焉をうつそうと、桟敷にカメラを据えつけている。ヴィデオにとり、十五分ほどに編集して、午後のバラエティ番組の一部に組みこむのだという。  わたしは、から井戸の枠と花道の壁がつくる角に躯を寄せて横坐りになり、いそがしく打ちあわせたり構図をきめたり動きまわっているテレビ局員たちは意識にのぼらず、小屋がつぶれる感傷もない。わたしは小屋は嫌いだ。淋しくも哀しくもない、と言い切ろうとして、かすかな異和感が砂粒のように舌に残るが……妙にけだるいだけだ。  木のきしむ音が感じられる。小屋をとりまいた人々が、蛇体のように建物をしめあげている。午後四時開場、五時開演というのに、夜のしらじら明けから行列はできはじめた。旅芝居最後の城が川筋から消える、といったうたい文句で、地元の新聞などが桔梗座の閉館を大きくとりあげたのである。川筋だけで五十幾つあった旅芝居の小屋は、とうに全滅し、役者たちは温泉センター廻りをつづけている。曲りなりにも旅芝居だけを専門に興行を打ちつづけてきた、たしかに最後の城で、『桔梗座』は、あったのだ。これまで桔梗座の名も知らなかったという人まで好奇心を持った。  廃館となる小屋の最後の『泣き興行』を打つのは、若嶋雄司郎を座長とする劇団若嶋である。十五日間の興行の八割が大入りで、今日、五月三十一日が千秋楽。九州、大阪の座長をはじめ、東京の役者までかけつけて来て、今日一日特別出演するそうだと期待が盛りあがっている。  午前十一時、開場まであと五時間。外の気配は殺気立ちそうだ。幸い、初夏。快い風が行列の苛立ちを和ませてくれるか。  から井戸の枠にもたれているわたしに、男が二人寄ってきて、なれなれしく膝のふれあうほど近くにあぐらをかいたのだ。躯をひいて顔にかかる息を避けようとしたがうしろに余地がない。  ひとりは、この番組のディレクター、もうひとりはインタビュアー役のタレントだ。 「わたしは、いやなんです」 「まあ、そう言わないで。インタビューの内容を、ちょっと打ちあわせておきましょう。桔梗座の歴史のようなことは、ナレーションで流しますから、秋子《しゆうこ》さんには、お父さんがなくなられた後、二年間、病身のお母さんを助けてこの劇場を維持するためにどういう苦労をしたか、劇場がなくなることがどれほど辛いか、そういう真情を率直に、飾らずに話してもらえばいいんです」 「ルーツがなくなってしまうようなものだから、そりゃあ言うに言われぬ気持だろうと察しますよ。刀折れ矢尽きたという心境でしょう」  よくもこう、すべりのいい月並みな言葉をくり出せるものだ。わたしがインタビューで答えるべき言葉を吹きこんでくれているわけだ。 「秋子さんの青春の哀歓はすべてこの劇場に」  鳥肌がたって、思わず立ち上がりかける。わたしは美しいものに出会ったときも鳥肌立つけれど、いまのは不愉快な方の生理現象だ。 「テレビにうつされるのは、いやです」 「どうして」  二人は言いあわせたように同じ表情をした。テレビに顔が出るのを拒否するのは犯罪者ぐらいなものだと信じきっているその鼻を、わたしは手ではたいたのだけれど、あまり応えたふうではない。 「いやだから、いやなんです」 「それじゃ、理由にならないな」 「何か、つごうの悪いことでもあるの」  黙っていると、手もちぶさたをまぎらわせようと、 「この板は、どうしてもとりはずせないの」  内蓋でふさいだ井戸を、ディレクターはみれんがましく眺める。 「ほかの切穴も、みんな、ふさいでしまってあるんだってね。両袖のかげと、鳥屋の床と、この井戸と、出入口は四つだな。奈落を見たいんだが、どれか開けられませんか」  蘭之助劇団によって力を与えられた奈落は、その後再び閉ざされて十五年を経た。閉ざされたといっても釘付けされたわけではなく、わたしは時折、わたしひとりの昏《くら》い夢の底に降りる。  今日特別参加する役者の一人が切穴を使いたがっていると母からきいた。桔梗座の最後ということで、この千秋楽の一回だけ、劇団若嶋のほかに九州の座長が二人、大阪の座長と副座長が一人ずつ、更に東京のフリーの役者が一人、特別出演する予定で、数日前から劇団若嶋の座長若嶋雄司郎は長距離電話でいそがしく打ちあわせをしていた。九州と大阪の座長たちはすでに到着したが、東京からの役者は口立て稽古に加わる時間がないので、芝居には出演せず、個人舞踊だけ披露する。これならラストの舞踊ショー開幕の直前に着いてもまにあう。前日まで東京の小屋に出ていて、今日飛行機でとんでくることになっていた。  切穴の使用を希望したのは、立花知弘《たちばなともひろ》というこのフリーの役者で、東京を離れないから西ではなじみがないけれど、芸達者で関東一帯では人気があるという。そもそもの出身は九州で、昔、下廻りのころ桔梗座の舞台にも立った。なつかしいと、自分から出演を申し出たのだそうだ。  朝のうちに切穴の蓋《ふた》を開け、具合をしらべた。しかし、わたしは奈落が使えることをテレビ局員には告げないよう、お茶子さんたちに口止めしておいた。何の関係もない彼ら、最後のときになって我が者顔にのさばり出る野次馬に、わたしの闇を踏みにじらせることはすまい。役者は、別だ。わたしの闇は、役者たちの闇でもある。 「以前、いやなことがあったので、閉めきってしまったんです」 「ききましたよ。殺人事件、犯人は自殺した。それから、役者が入ったきり姿を消してしまったという事件が二度あったんだって?」 「人間が消えるわけないでしょう」  わたしはそっけなく言う。 「どこかから出ていったのを、だれも気がつかなかっただけですよ。話をおもしろくするために、尾鰭《おひれ》がついたんです」 「でも、衣裳だけ残っていたとか聞いたよ。何のため?」 「何のためなんでしょう」 「本番でそのへんを話してくれますね」 「テレビには出ません」 「そう、つっぱらないでさ。一度めの蒸発は戦争中だって? そっちは秋子さん生まれるずっと前だけれど、二度めのときは、知っているんでしょ。どんなふうだったの」  インタビュアーのタレントが割りこんだ。 「奈落ってのは、まあ、何が起きても不思議は……」  首すじの髪をはらう仕草で、わたしは相手の言葉を断ち切った。 「若嶋の座長さんにインタビューなさったら」 「もちろん、しますよ。芝居がはねてから。まだ、顔もつくってないでしょ」 「そろそろ、楽屋で口立てがはじまるんじゃないかしら」 「お、それは見のがせないな。行ってみよう」  ディレクターとインタビュアーはうなずきあい、カメラマンに合図すると、舞台にのぼり緞帳《どんちよう》のかげに入っていった。  座の名にちなんだ桔梗色の地に金絲銀絲で珠争いの龍を縫いとった緞帳は、祖父がこの小屋を買いとったとき、炭鉱成金の後援者から贈られたもので、龍も地の色も一様に白茶け、ほつれた糸がさがり、縦に裂けめが入り、海藻のようだ。  両脇には、劇団若嶋の文字を一つずつ記した紅白の提灯。ドラムスのセット、スピーカー。エレキギターが壁にたてかけられ、インタビュアーはドラムを一つ叩いていった。  母は楽屋にいるのだろう。二、三日前から、ひどく気負いたって、いつもより甲走った声でお茶子さんたちを叱りつけ、用もないのに楽屋をのぞいたと思うと住まいに走り戻り、笑い、知らない者が見たら、浮かれ騒いでいると思うかもしれない。  桟敷にテレビ局員がいなくなったので、から井戸の蓋をはずし、井戸枠をまたいで、とりつけられた木の梯子にすがった。  内側から蓋を閉めた。梯子を下りながらこのままわたしが外にあらわれなければ、人喰い奈落の伝説がまた一つ増える……もっとも、人間消失とか、蒸発とか、それはほかの者が存在を見失うだけで、本人はいっこう、消失も蒸発もしていないのだ。梯子の下に据えられた石の台に、素足がとどいた。小屋はまもなくとりこわされ、奈落は埋められるのだから、これが最後の伝説になるのか。  井戸の口からさしこむべき光の束《たば》は蓋でさえぎられ、支柱にはり渡されたコードの豆電球も消えている。小さい換気孔から外光がかすかに入るので、目がなれればあたりの様子はおぼろにわかるのだが、たとえ失明していようと、ここの内部はくっきりと見える。  敗戦の一年前、役者の一人が奈落に入って消えたという話は、だれもわたしにこと細かに語ってはくれなかったけれど、漠然と知ってはいた。だから、幼いわたしは、舞台の板一枚の下には底のない深い暗い渦があるのだと思いこんでいた。消えた役者というのは、そのころは絶滅寸前の保護鳥にもひとしい存在になっていた若い男で、肺患のおかげで召集をまぬがれていた。非国民という目で見られる一方、女たちがいとおしがって、ずいぶんひいきにもされたそうだ。伝染をおそれて、彼を抱こうという女はほとんどいなかったそうだが、栄養をとれ、精をつけろと、卵や食糧の差し入れがあり、おかげで一座はうるおった。いま、五十、六十の女たちのなかには、そのころの記憶を大切に持ちつづけているものもいて、空襲つづきの毎日に、旅芝居がどれほど色あざやかな娯楽だったか、思い出話に口にする。芝居の最中にも血痰を懐紙でかくす躯なのに、何の手ちがいか召集状がきた、坂本龍馬にからむ勤皇芸者に扮した舞台で消えたというのだから、召集逃れに何人かが手を貸し、あとに残った者が咎《とが》めを受けないですむよう、芝居者らしい趣向をこらした消失劇だったのだろうと、いまなら、わたしにもおよその察しはつくのだけれど、子供のときは、消えたという話を何の疑いもなく、すんなり受け入れていた。怕《こわ》いどころか、消えるということは、つまり本人はどこかすばらしい、この世の外、なみの人間には行けぬところに出現しているのだ、奈落の底の大渦に吸いこまれてみたいと思うこともあった。  十五年前、市川蘭之助の希望で、閉めきってあった切穴の揚蓋《あげぶた》を開けるとき、わたしは、邪魔扱いされながら、父の背にまつわっていっしょに梯子を下りた。菊次がすっと手をのべて、わたしの手をとってくれた。豆電球がともっていた。湿った土のにおい、便所のにおいがたちのぼり、一瞬、わたしが感じたのは、幻滅だった。闇の大渦のかわりに、ひび割れたコンクリートの床があった。廻り舞台の円型より三まわりほど大きく、煉瓦の二重壁が積み上げられ、一メートル三、四十ほどの高さで切れて、支柱の根が埋めこまれている。支柱が白蟻にくわれたことがあり、補強のために、壁が作られたのだそうだ。そのむこうに、土がむき出しになった空間をはさんで、舞台部分の土台を支える煉瓦とモルタルの壁、筋交《すじかい》をわたした柱が、客席、楽屋の床下への通行を阻む。つまり、桔梗座の奈落は、舞台とほぼ同寸の周辺を持つ方形で、そのなかに支柱を連ねた煉瓦の腰壁が、円型に建っているといえばいいだろうか。二重壁は、四箇所、通路の切れ目があった。  花道の下が洞窟の枝道のようで、これこそ異次元に通じるかと思うと、少し進めば壁に阻まれ、切穴のある天井は即ち鳥屋の床、地上の世界との回路であった。  方形の周壁の一部は、客席、楽屋の便所の溜《ため》と接しているので、臭気は底闇に溜まりこみ、青苔が湿った壁の裾を天鵞絨《ビロード》のように蔽っていた。  二重壁でかこわれた中央に、廻り舞台の盆をささえる柱がたくましく聳《そび》え、車軸のように突き出た八本の梁《はり》の先端に力棒が垂直にさがる。これを抱きかかえて盆を押し廻す若い衆たち、現実には見たことのないその姿を、いま、わたしが肉眼で見るよりはるかに鮮烈に視ることができるのは、おそらく、蘭之助とその一党が、ほんのひと月、小屋に、とりわけ奈落に、与えた力のせいだ。  短いが、烈しい一箇月だった。短いと、いまの言葉でいうけれど、そのときはほとんど永遠に続くと思えた一箇月に、九歳でわたしは一生分を生ききった。その後、衰弱し死にゆく小屋をまのあたりにしながら、わたしは生の盛りにむかって年を重ね育ったのだけれど、生の盛りとはこれも暦の上の年数を常識的に言ったまでで、わたしは九歳の奈落に自分を閉じ込め、悔いも苦痛もない。——本当に、ないだろうか。逃れたい、忘れたい、と思いもしたのではなかったか。  蘭之助は早替りを得意とし、奈落は生き生きと息づいた。 『蛇姫様』をアレンジした『お島千太郎』では、姫と千太郎、腰元として姫に仕える千太郎の妹、盲人の役者、武士と五役を早替りでつとめ、客を沸かせた。から井戸に消えた姫が、次の瞬間、町人姿で鳥屋の揚幕からあらわれ、花道を本舞台にすすむ。その短い空白の時間、奈落の薄闇に、錦繍《きんしゆう》の裲襠《うちかけ》が舞い、帯が舞い、白木綿の下帯と短いパッチ、胸まで白い晒《さらし》を巻いた蘭之助の裸体は、奈落を駆け抜けながら、吹輪の鬘をはずす。その変化ぶりを見たくて、わたしは奈落にもぐり、あわただしい着替えに手を貸した。  吹輪を受けとり、町人髷の鬘を手渡す。梅に蝶、銀四段の花櫛を飾った吹輪の鬘は蘭之助の首を抱いたように重かった。  そのころは、昼夜二回興行、昼の部は十二時、夜の部は五時開演、同じ外題を一日に二度くりかえした。ふだんは学校があるので昼の部は見られないのだが、この日はちょうど日曜日にあたり、わたしは昼の舞台を客席で見た。どのような奇術魔術も、これほど心を奪いはしなかった。  菊次はこのとき、下座の三味線ひきお島に扮している。華やかさでは蘭之助に一歩ゆずるが、芝居はむしろ菊次の方が達者だという声もきいた。歌舞伎の名題や新劇俳優の名演技とは次元がちがう、小屋芝居の役者の達者さである。三味線を爪弾く場面で、はじめは神妙に明烏《あけがらす》などをひいていたが、いやな狂言方にくどかれ、ひきながらあしらうところで、急テンポのサンバに一転し、狂言方に扮した大門次郎をあたふたと踊らせ、拍手をさらった。蘭之助とのからみでは、いつも座長をたて、かげにまわるが、他の者相手だと、アドリブでチャリを入れ、楽屋裏をばらし、それがいやみなく客へのサービスとなり、他の役者の山場を自分の方に奪《と》るぐらいは平気でやった。自分が山をあげるときは、他の者がチャリを入れる隙を与えなかった。  千太郎と姫が舞台に同時にあらわれる場面では、蘭之助の吹替えもつとめている。花道である。客の前に姿をさらしながら、一枚の裲襠と一本の傘がもつれあう。ほんの数秒。はなれたときには二人の姿がいれかわっている。わたしは自分のからだの性的な反応の感覚を、このときはじめて知った。  狂言をたてるのは座長のしどころだけれど、年かさだけに頭取の蘭十の持ち狂言が多く、蘭十が口立てしているのをよく目にした。  蘭之助一座の興行のあいだ、わたしは楽屋に入り浸りだった。学校から帰るとその足で楽屋に入りこみ、昼の部が終わった役者たちが羽二重をつけた化粧顔のまま、楽屋着やあるいは半裸で、あわただしい昼食をかっこむのに混りこみ、喜代や里見マチ子が茶碗を洗うのをてつだい、綿のはみ出した座蒲団の上に花札が叩きつけられるのを眺め、蘭之助や菊次、小菊が顔をなおす鏡をスルメをしゃぶりながらのぞき、小菊がおもしろ半分にわたしに踊りの振りを教えてくれることもあった。不器用だ、子供のくせに躯がかたいと笑われ、もう、やらないと扇子を投げ出して拗《す》ねると、里見マチ子が、シューコちゃんは天才、と、おだてて機嫌をなおさせた。実際、わたしは不器用だった。  桟敷の畳に散った煎餅のかすや、折弁当の殻、灰皿がわりの空き罐などをお茶子の多美さんと時さんが集め、座蒲団を入口にはこんで積み、清掃をすますころ、夜の部の開場を待ちかねた気の早い近所のお婆ちゃんが、もう入れるかねとあがりこむ。その頃は、開場時刻前でも来た客は入れて、木戸銭と座椅子、座蒲団の貸し賃は、開演一時間前になると母が集めてまわっていた。わたしは客の頭数をかぞえて、入りがいいと、自分の手柄のように得意顔で蘭十に報告した。  コンクリートの床は、どこからともなく、たえず汚水を滲ませる。わずかな昼光がかさぶたのように落ちこぼれてくるといっても、換気孔はあまりに小さく、闇は隅々に襞《ひだ》をかさねる。蘭之助一座の演《だ》した狂言の数々が、極彩色の絵となって奈落に流れる。  二重壁のむこうの闇が盛り上がり、人の姿となって近寄ってきた。 「驚かしちゃったかな」  晴朗な男の声が言った。     2 「秋子《しゆうこ》嬢さんですね」  東京の立花知弘です、と男は言った。 「はじめまして。驚かす気じゃなかったんですが、ひとりごとを言っておられたから、ちょっと声をかけにくくて」 「何を言っていました?」  男の声が微笑した。 「きれぎれにしか聴きとれませんでしたけれど、たとえば�見てやっておくんなさい。これで人が斬れますか。この刃で人が斬れますか。新吉はわたしのために……�」 「昔、この舞台でやった緋桜仁義のせりふだわ」わたしも少し笑った。 「わたしがひとりごとを言っていたんじゃありません。奈落が喋っていたんでしょう」 「刃引きはいろんな芝居でやりますね。最初から死ぬつもりで喧嘩《でいり》をひきうける」  立花知弘は、見えぬ長脇差をひきぬき、目の前にかざした。 「おれだってなあ、おめえを殺したかあねえよ。だが、おれの惚れぬいた姐《あね》さんのためだ。死んでくれ。いやか。そう言わずに頼まあ。死んでくれよ」  刀に語りかけ、刀身を岩に打ちつけて刃をこぼす立花知弘に、ふいに菊次がかさなった。  蘭之助が扮した緋桜お龍が渡世の義理から人を殺《あや》める。その子分たちの報復を、お龍に恋する弟分新吉が、我が身に受ける覚悟で、ひとり、刃引きした長脇差で男たちのなかに斬り込み惨死するという芝居であった。遅れて喧嘩場に駆けつけたお龍が、ばかだねえと菊次を抱きしめた。  その口立て稽古もわたしは見ている。口立てが終わったとき、蘭之助の母親喜代が、このところ座長のけれんをやっていないねえと言いだした。緋桜仁義もいいけれど、これは菊ちゃんのもうけ役、お客は座長のけれんを見ないと承知しないよ。どうだろうね、中日ごろ、けれんたっぷりに四谷怪談は。三日続きの通しで、特別狂言、このくらいやらなくちゃ、人気を煽《あお》れないよ。  おれにまた、四綱をやらせようってのか。母親を見返した蘭之助の凄まじい眼をおぼえている。どいつもこいつも、おれの血をすすってお飯《まんま》食ってやがる。その後、見てやっておくんなさい、この刃で人が斬れますか、とお龍のせりふを鼻うたのようにくちずさみながら、蘭之助は出ていった。そのときはわたしは知らなかったけれど、贔屓《ひいき》の女客に蘭之助は一夜を買われていたのだった。 「緋桜仁義は東京の小屋でもよくやりますよ。虫の息の新吉がお龍のあざやかな壺振りを一目見て死にたいとせがむと、お客さんが泣いてくれる」  上手袖の切穴から、わたしと男は夢の外に出た。緞帳がひきあげてあり、舞台の上から桟敷のすりきれた畳が見下ろせた。切穴のそばには、男の荷物らしいスーツケースと黒い円筒形の鬘ケースがあった。  薄闇がかくしていた男の左頬を、昼光がむきだした。瘢痕が蜘蛛手をひろげていた。 「花の房のよう」わたしは呟いた。声に出したつもりはなかったのだが、 「これですか」男は左頬をさした。 「ええ。薔薇《ばら》の色の花房。雪のつむじ風。頬の上のドラマ。どうして奈落に下りておられたの。いつ東京から着いたんですか。若嶋さんにはもうお会いになった」 「みなさんに挨拶はこれからです。踊りにから井戸を使わせてもらいたいので、先に奈落の様子を見ておこうと思って。四綱をはって、けれん混りでやるつもりです」  まじまじと、立花知弘をみつめずにはいられなかった。 「四綱を使うんですか」 「ええ」 「わたしが秋子とよくおわかりになったのね」 「年のころから見当をつけたんです。桔梗座の小屋主さんには、二十三だが四だかの綺麗なお嬢さんがいるときいていた。お父さんがなくなられてから、お嬢さんが支配人さんだそうですね。よろしく。四綱を使うには、支配人さんの許可がいりますか」 「四綱のけれんは、東京でよくやるんですか」 「他人《ひと》様にごらんにいれるのは、今日がはじめてです」 「充分に稽古は積んでおられるの」 「ええ」 「あんな危険なことを今日ここでやっても、ひきあわないでしょうに。あなたは東京の役者さんでしょ。この後、めったにこっちには来ないでしょ。今日評判をとっても、東京まであなたの舞台を見に行こうという人はいないわ。大阪あたりならともかく」  頬の瘢痕は舞台用のメークによるものではないかと、わたしは目をこらした。 「気になりますか、これ。素顔はお化けでも、化粧をしたら蟻地獄」  声がふいに艶《なま》めいて同時に嘲《あざけ》るような笑いを含んだ。  蟻地獄。女にとっちゃあ蟻地獄と、蘭之助が言った。  蘭之助と菊次の顔を眼裏に浮かべようとして、愕然とした。蘭之助にしろ菊次にしろ、十五年前、ただ一箇月いっしょにいただけの男であり、その大半の時間、彼らの顔は化粧という仮面にかくれていた。一枚の写真によって記憶は鮮明だと思いこんでいたが、小指の爪ほどの小さい写真顔は、記憶を侵食し歪める時間の力に勝てなかった。十五年のあいだ、折ふし奈落に下りては蘭之助に抱かれ菊次にくちづけされてきたのに、彼らは顔を失いはじめていた。三十八歳の蘭之助、三十六、七の菊次の顔など、わたしにわかりようもない。立花知弘は、三十代も前半にみえた。しかし、四十近くなって、まだ二十七、八としかみえぬ男もいる。小さい写真の顔を、歳月の嵐に曝《さら》してみようにも、その顔がすでに朧《おぼろ》なのだ。  緋桜仁義は、多くの旅芝居の劇団が共有する外題だし、蟻地獄など、きわめて陳腐な比喩だ。ちょっと自惚《うぬぼれ》の強い男なら、だれでも口にしておかしくはない。 「劇場の前ががらんとしているので、これは不入りかと思ったら、整理券を出したんですってね。入口で、お茶子さんがそう言っていました」  どうりで、きしみが消えていた。 「お茶子さん、だれにお会いになったの」  わたしの声は、かすかに緊張しただろう。  お茶子は、いま、三人いる。  そのひとりが、市川蘭之助の母親の喜代なのだ。  喜代が、劇団が解散して身の置きどころがない、下働きでもなんでもするから使ってくれないか、とたずねてきたのは、蘭之助劇団が五月に桔梗座で興行し、殺人と自殺と消失、三つの騒ぎを置き土産にして次の興行地に発ったその年の暮れだった。  そのとき四十代、五月の舞台では、演《だ》しものによっては娘役をつとめたこともある喜代が、わずか七箇月で老婆のように老けこんでいた。  もともと、これが蘭之助の母親かと疑いたくなるほど貧相で、あの顔は履き古しの便所草履だ、中しゃくれの飯杓子だ、立っているんだか坐ってるんだかわからない背《せ》っ低《ぴく》だ、あれで女役者なら、チョウチョ、トンボも鳥のうちだ、とお茶子の時さんが聞こえよがしに言っていた。鼻っ柱の強いところだけは、血の相似を思わせたのだったが。  学校から帰宅したら、思いがけず、裏に蘭之助劇団のライトバンがとまっており、喜代が茶の間で炬燵《こたつ》にあたりながら母と話しこんでいた。浅尾花六の殺人事件以来、もともと頑健ではなかった母は半病人で、このときも、気分悪そうに頬杖でぐったりしていた。父が妾宅に入り浸りで帰ってこないことも、母を気鬱にさせていた。  母はお嬢さん育ちで気が弱い。父は他の仕事がいそがしいので、その頃、劇場支配人の肩書は母が持っていた。父が社長であった。  蘭之助さんはどこ? チーコは? とわたしは急《せ》きこんだ。チビ公の略だろうか、菊次の弟の小菊を、みながチーコと呼ぶので、幼いわたしまでが生意気に、チーコと呼び捨てていた。  まあ、聞いてやってくださいよ、と喜代は母にはすでに話したらしいことをくり返した。  殺人だの自殺だの悪いことが重なったため、蘭之助は荒《すさ》み、舞台にひどくむらがあるようになったと、喜代は語った。どれほど美貌でも、投げやりな舞台で客を満足させられるものではない。六月、七月と温泉センターをまわったが、飲み食いの方が中心のセンターの客でさえ苦情をいうような粗い舞台が多くなった。七月、阿蘇の小さいセンターで興行しているとき、小菊までドロンした。終演後、ほかの者が風呂に入っているあいだに抜け出したらしい。十万円持ち逃げした菊次を見ならって、小菊も、劇団のかねを五万円持ち出した。  義理と人情のお芝居をみていただいている役者が、義理も人情も踏みにじったことをしやがって、と、喜代はその話をするとき、口惜しさが甦ったようだった。  やはり、菊次がこっそり連絡をとって呼び寄せたのだ、大門次郎は、こうなるのを見抜いていたと自慢げに言ったが、言ったところで役には立たない。  一座を結成したときと同じ人数になったのだ、顔ぶれも、浅尾花六と大月城吉がいれかわっただけだ、言っちゃあ死んだ人に悪いが、花六さんより城吉さんの方が何ぼかいい役者だ、初心にかえって、と蘭十は声をはげました。  しかし、要《かなめ》の蘭之助が闘志をなくしていた。  九月、契約してあった興行先のセンターから、他の劇団に振り替えると、解約してきた。  蘭之助は、一座を解散すると、言いだした。みな、必死にとめた。なかでも喜代は、何とかくいとめようと言葉をつくしたが、蘭之助はききいれなかった。蘭十と大門次郎、里見マチ子は、九州では有力な劇団の一つである劇団松浪に移った。  大月城吉は、身のふりかたは自分で考えると言って、ひとりで去った。  母と息子と二人きりになった。その直後、蘭之助が何かよほど手荒なことを喜代にしたらしいのだが、喜代はちょっと口をすべらせかけただけで、くわしい話は避けた。わたししか八つ当りする相手はなかったんですから。喜代はそんなふうに言った。わたしがいちゃ足手まといなんですよ。あの子はひとりで、きっと立派な役者になりますよ。舞台で口にしなれた母物のせりふを、無意識にだろうが、喜代はなぞっていた。  焼野の雉子《きぎす》、夜の鶴、親が子を思うほど、子供の方じゃ親を思っちゃあくれやしません、だの、孝行をしたいときには親は無し、さればとて墓に蒲団は着せられず、あの子もいまにきっと後悔するんです、だの、口立てで鍛えられた母物のせりふは豊富だった。  それで蘭之助さんは?  役者修業をしなおすと言って、ひとりで大阪かどこかに行きました、と、そのときは喜代はおだやかに言ったが、後になって、酔ったまぎれに一度だけ、あん畜生、親を足蹴にかけて出て行きやがった、どこへ行ったか、野垂れ死にでもするがいいや、と泣きわめいた。これもきいたことのあるせりふだった。  もう、わたしは舞台に立つのはしんどくてね。よその劇団で古い人たちに気がねするのもいやですしね。  客の多少にかかわらず、小屋の雑用は二人のお茶子では手がまわりかねるほどあるのだが、人件費の出どころがない。  新規に喜代を雇ったことで、二、三日後に帰宅した父に母は叱言をいわれた。相談しようにも、めったにうちにいてくれないのだから、と、母はうつむいて言った。  食いつめて離散したといっても、衣裳だの鬘だの、一座の財産はかねにかえりゃあ相当なものだろう、と父は喜代に言った。トラックは移動のときだけの借物だが、あのライトバン一つにしてもけっこうな売物になる。楽に遊んで暮らせるんじゃないのか。  冗談じゃありません。新しく買いととのえるとなったら何百万かかるかしれないが、売る段では古物ばかり、二束三文です。ライトバンだって、車検が切れるまで目いっぱい使おうと手放さなかったけれど、売るときはスクラップの値段ですよ。その上、蘭之助が興行地の組の人相手の博打で、空恐ろしい借金を作るわで、小物や衣裳を叩き売ったおあしは、右から左でした。  役者の水に染まったあんたに、お茶子なんて辛気《しんき》くさい仕事がつとまるのかね。  役者といったってねえ、わたしなんか、蘭之助の母親ということでいばっていられたけれど、贔屓さんがつくわけじゃなし、もう、一つところに落ちつきたいですよ。喜代は、父の前では殊勝に卑下した。  立花知弘が会ったお茶子が喜代であれば、十五年経とうと頬にケロイドがあろうと、息子のみわけがつかぬことはない。 「だれといわれたって、お茶子さんの名前は知らないから……。丸顔の、少し太めの人でした」  みっちゃんだ。七、八年前、時さんがやめてからかわりに雇ったお茶子さんである。  みっちゃんは蘭之助の名も知らないけれど、劇団若嶋の座員が屯《たむろ》する楽屋に、喜代のほかにもう一人、知弘が蘭之助か菊次か、あるいはまったく未知の人間か、みわけがつく人物がいる。  大月城吉である。  大月城吉は、一昨年の夏、父の葬儀に顔をみせた。城吉はここ数年、この土地から列車で二十分ほどのK**市で踊りの師匠をしているというのだった。役者さんのために振付けをすることもありますんですよ。水木歌之輔というのが踊りの方の名ときいて、ちょっと驚いた。その名は役者たちの口からきいたことがあったからだ。最初に桔梗座の楽屋にあらわれたときより十三も年をくったわけなのに、薄化粧の顔は髪を染めたせいもあって、若がえってみえた。華奢な躯に絹の喪服を品よくまとい、餓えていたときの凄みは柔い物腰にかくれていた。  父の死は地元の新聞の死亡欄に小さくではあるが報じられたので、小屋芝居の役者さんがずいぶん集まってくれた。それ以来、城吉は時たまうちに顔をみせるようになった。うちで興行中の劇団の座長に頼まれて、振付けをしてやることもあった。謝礼は高額だった。  かつての座長の母親である喜代に、ほかのお茶子に対するのと同様にふるまい、喜代は目を伏せていたけれど、かげで、あいつずいぶん大風《おおふう》な、と、ひとこと毒づいた。  桔梗座の最後の日に緞帳落としをやりましょう、と大月城吉は提案した。  あなたは蘭之助さん? 菊次さん? 訊きたいのをわたしはこらえた。立花知弘は立花知弘以外の何者でもないのかもしれなかった。     3 「柿《こけら》落しというのは聞くが、緞帳落しとは初耳ですね」  インタビュアーが城吉を相手にメモをとっていた。  傍であいづちを打ちながらきいていた若嶋雄司郎が、 「おや、秋子嬢さん、どうぞお入りになって」と座蒲団をすすめた。  楽屋は細長い大部屋のほかに、座長、幹部のための小部屋が二つある。立花知弘がまず若嶋座長に挨拶するというので、座長部屋をのぞいたのである。 「お邪魔します。よろしいんですか」知弘はインタビュアーに素早い目をむけた。 「かまいませんよ。まだ本番じゃありませんから」  インタビュアーは、自分の部屋ででもあるように許可した。 「東京の立花知弘です。はじめまして」 「ああ、あんたが立花さん。名前はきいとるよ」若嶋は会釈をかえした。  わたしは城吉をみつめた。城吉は一瞬目をみはったが、それは、役者にあるまじき知弘の頬のケロイドを認めたためと思えた。若嶋は、知弘を東京の……と城吉やテレビ局員にひきあわせた。 「役者さんですか」インタビュアーは無遠慮に、「失礼なんだが、その頬の傷、化粧でかくせるんですか」 「ええ」その手の質問になれているのだろう、知弘は笑顔で受け流した。 「火傷ですか」 「ええ」知弘は若嶋に小指をすっと立ててみせ、「やられたんですよ」笑顔のまま少し声を低めた。 「やれやれ。それでも舞台に立てばまわりを食っちまう怕《こわ》いひとだそうだから。大阪の姫村座長さん、隣の部屋におるが、東京にいったとき共演したそうだね。こっちに呼びますか」 「いえ、あとで私の方で御挨拶に出ます」  話の腰を折られた城吉は、すねた身ぶりで急須の茶を湯呑に注ごうとし、 「あら、ないわ」 「お湯、持ってきましょう」  嬢さんが立たなくても、と若嶋が手を泳がせた。  わたしは、喜代を探した。入口脇の売店で、喜代は煙草をふかしていた。若嶋先生の部屋に魔法びん持っていって。熱いお湯をいれて。それから湯呑を二つ。若嶋さんとこの若いのに言ってくださいよ。不服顔の喜代に、みんな忙しいのよ、ときめつけ部屋に戻った。 「どこでも必ずやるってものじゃないんです」城吉が説明をつづけていた。「わたし、子供のころから旅についてまわっていましたから、小さいときに見たおぼえがあるんです。小屋が廃館になるとき、緞帳を、もうこれは二度と使いませんという意味で、皆で綱をひいて落としますの。小屋の最後を飾る一つの儀式として、いいものだなと思いました。それを、復活というか、この際やってみようじゃありませんかと言ったら、みなさん賛成してくださって……」 背後に、小さい叫びをきいた。魔法びんと湯呑をのせた盆を持った喜代が、敷居ぎわに立ちすくんでいた。  立花知弘は、動じた様子もない。  城吉が言葉を切り、二人を見くらべた。  やがて、笑いだした。 「あんた、立花知弘さんとか……。うまく化けたね。どうも、どこか昔の俤《おもかげ》が……。それならそうと、なぜ最初から」 「何の話ですか」  立花知弘は、平然と言った。 「いやだね。とんだ源氏店《げんやだな》。与三郎は自分から名乗ってくださいよ。めぐる月日も三年《みとせ》越しどころか十五年。面《つら》に受けたる看板の、疵がもっけの幸いに、立花知弘と名もあらため、か。押借り強請《ゆすり》をされる尻はこっちも持たないが、お前はあの時死なしゃんしたか、又はこの世にござんすかと、忘れた暇はござんせぬ」 「何の話か、いっこう。テレビの人が、何かうまい話のたねかと、死人の眼玉を啄《ついば》む鴉みたいな顔をしていますよ」 「いや、実際、何の話なんですか」インタビュアーは、本当に鳥のように首をのばした。局員がプロデューサーと何か打ち合わせがあるとかでインタビュアーを呼びに来たのは、こちらにとっては好都合だった。 「あとで、その話はゆっくりきかせてください」みれんげに出ていった。 「火傷させられる前から、わたしは立花知弘で、疵をもっけの幸いに名をかえたわけじゃないんですけどね。まあ、いいや。どうとでも好きなように思ってください。ところで若嶋さん、さっきこちらの秋子嬢さんには話したんですが、舞踊ショーで、わたしにちょっと派手なことをやらせちゃもらえませんか。今回は、狂言には出ず、踊り一本ですから」 「個人舞踊は、何を出そうとめいめいの自由だよ。ことに今回は、派手な趣向は大歓迎だ。桔梗座の最後の大祭りだもの。ほかの人のとかち合うと困るが。何をやります」 「この小屋には珍しいから井戸があるでしょう。そいつを使わない手はないと」 「から井戸は、ずっと閉めてあるんです」  わたしは言ったが、知弘は無視し、 「四綱のけれんをやります」 「さてこそ、正体見えた」大月城吉は芝居がかって膝を打った。 「アア恥ずかしや、あさましや。年月《ねんげつ》包みし甲斐も無う、おのれと本性|顕《あら》わして……か。我は真《まこと》は人間ならず。六年以前|信田《しのだ》にて、悪右衛門に狩り出され、死ぬる命を保名《やすな》殿に助けられ、再び花咲く蘭菊の、千年近き、孤ぞや」  喜代は表情を殺し、敷居の上に坐りこんでいた。 「立花知弘さん、あんたがそう名乗るのなら、それでもいいや。四綱のけれん、とっくり見せてもらいましょう」  大月城吉が言ったとき、 「壁越しになつかしい声がきこえてさ」  姫村英太郎が入ってきた。知弘の頬の瘢痕は姫村をも驚かせたようで、一瞬、言いようのない表情をみせたが、快活に、 「知ちゃん、久しぶり」  若嶋と並んであぐらかいた。 「英兄さん、お久しう」  知弘は、ちょっと坐りなおし、すぐ膝をくずした。 「四綱をどうとかってきこえたけれど、あんた、あんな凄いこともやるの。知らなかったね」 「姫村座長さん、立花さんとはお親しいんですか」  喜代が声を出した。 「一昨年の十月だったな。うちが東京にのぼったとき、特別参加してもらって」 「勉強になりました」 「おちょくらんといて。助けてもらったのは、こっちです。うちは楽器を扱える若いのが少なくて。知ちゃんは、ギター、ドラム、何でも達者だから。いや、芝居の方でも、うちの花形がひがんじゃってね。知ちゃんの方がお客さんのお手が多いって」 「地元だからですよ」 「フリーでやっていこうってのは、よほどの芸達者でないとね、お座敷がかからなくなる。この人、毎月、あっちこっちの劇団からひっぱりだこだって。よく九州まで出てきたね。東京を離れたことのない人が。高い飛行機代使ってさ。足は桔梗座さん持ち?」  立花知弘は笑って答えなかった。 「芸も達者だけど、女《これ》の方も」  思いきって話題にしてしまう方が、こだわりがなくなると、姫村は思ったのだろう。 「泣かせたやつに熱湯かけられたって、噂はつたわってきていたけれど」 「硫酸でなくて助かった」 「これで役者は終わりかと思ったら、逆に御贔屓が増えたとかきいたよ」 「まさか。化粧に苦労するんですよ」 「去年の正月だったって?」 「ええ」 「そのくらいの悪条件があって、ちょうどいいの。知ちゃんは」 「他人《ひと》のことだと思って」 「あまり持ちあげたから、欠点もばらそうか。ずぼらで横着」  姫村は言い、 「あらら、よく知ってますね」 「東京で一月《ひとつき》もいっしょにいたんだから。開幕ぎりぎりまで、すっぴんで楽屋で寝ころがってテレビ観ててさ。もっとも、いざ仕度となると、おそろしく手早いから、こっちも叱言は言えなかった。他人《ひと》のものは我れのもの。我れのものはしっかり我れのもの。おれが貸してやった平打《ひらう》ち、とうとう返さなかったな」 「ひどいこと、おぼえてる。執念深い人だな」 「あれ、どうした」 「女にとられちゃった」 「とられるタマかい。餌に使ったんだろう」  姫村は知弘の膝を叩いた。 「ところで、知ちゃん、本当に四綱をやるの」 「ええ」 「大丈夫かい、その年で」 「その年でって、英兄さんにくらべたら、おれなんかまだ」 「少年とは言わせないよ」 「本番のときは、お守りを身につけますから」 「どこのお宮さんの」 「兄《あに》さんにもらったやつですよ。まだ春寒く温《ぬく》め鳥、放れ片野に余所目《よそめ》には」 「色とみよりの片翅《かたつばさ》」  姫村は、ふいに笑みこぼれ、割りぜりふで応じた。     4  大輪の花が、宙を行く。  見たくない、とわたしは思った。  綱がくいこんだ知弘の素足を、ライトが追う。  十五年前の、綱の上の蘭之助は、若かった。  緋桜仁義の刃引きのせりふを口にした知弘を、わたしは菊次に重ね、蟻地獄、と言った知弘を蘭之助に重ねた。そのどちらとも、わたしには見さだめがたいのに、大月城吉にはわかったのだ。しかたあるまい、わたしは幼なかったのだ、と思っても、自分が歯がゆい。  どちらにしても、三十代も終わりに近い。いくら若くみえても肉体は衰えていよう。曲技は酷すぎる。何のために、今さら……。  大輪の花、ではなかった。綱の上をじりじりと進む知弘は、わたしの眼には、花とはうつらない。傷を負った鳥のように苦しそうだ。鳥屋の揚幕を手で少し寄せて、わたしは見ている。鳥屋のなかは、わたしひとりだ。  立花知弘が四綱を使うときいたとき、母は血相をかえて反対した。  整理券は八百番まで出した。定員は五百人である。桟敷は膝を動かす余地もない状態になる。万一墜ちたら、立花知弘ひとりの怪我ではすまない。母がそう言うと、  墜ちやしません。本番前に一度下稽古はやりますから、御心配なら見てやってください。  劇団若嶋の下廻りを指図して、知弘は、まだがらんとしている桟敷の天井近くに四綱を張りわたさせた。  母をはじめ、若嶋座長、姫村座長、ほかの座長や劇団員、テレビ局員まで見守るなかで、立花知弘は下手壁にとりつけられた梯子に足をかけようとした。  お待ち、知ちゃん。本番のときはその形《なり》じゃないだろう。鬘衣裳をつけたら勝手がちがうよ。姫村に注意され、そうですね、素直に楽屋にもどり着替えたが、手を抜いて、長襦袢に伊達締め、顔はすっぴんのまま羽二重をつけ持参の島田鬘をかぶった可笑《おか》しなかっこうで梯子をのぼった。  危なげなく、綱をはしからはしまで渡り、もう一度もどって途中から絹梯子をつたい下り、から井戸に消えた。ほどなく鳥屋の揚幕をかかげ花道にあらわれ、長襦袢の袂を胸に抱いてなよなよと科《しな》をつくりながら進み、七三で袖をまくり裾をひらいて大見得をきって皆を笑わせ、これなら大丈夫だと、若嶋や姫村も乗り気になって、なおも渋る母をいっしょに説得にかかり承知させた。  その、下稽古のときの軽々とした身のこなしにくらべて、本番のいま、彼の足のはこびはたゆたいがちである。わたし自身の慄《おのの》きが、彼の動きをいっそうぎこちなく見せるのだろう。  長儒絆一枚に伊達締めの軽装とちがい、本番の着付けはずいぶん窮屈でもあろう。  薄紅藤の振袖、支子《くちなし》の淡黄を下に重ね、高くとって帯にはさんだ褄から蘇枋《すおう》の蹴出しをのぞかせた。薄紅藤は菊次が遣《のこ》した保名の空蝉《うつせみ》に記憶を繋いだ。  濃い舞台化粧は、みごとに知弘の頬のケロイドをかくした。近くで見れば、右頬の地肌が桜桃なら左は柑橘類の皮、一様に白く塗り重ねてあっても、その程度の差はわかったが。  知弘の着付けにわたしは手を貸したのだが、晒を巻くためにパッチ一つになったとき、背や脇腹に傷のひきつれがあり、荒い生活の一端を垣間見た。  衣裳ばかりではなく、下稽古と違う条件がもう一つあった。照明である。あるいは、闇である、と言おうか。  下稽古では、客席は明るいままだった。彼は自分をとりかこむ空間を明確に把握できた。天井までの高さ。桟敷までの距離。綱の上の足の位置。  知弘の出番となったとき、いっさいの照明が消された。スポットライトが闇を走り下手の天井近くに、振袖島田の知弘が、ふいに浮かび上がった。事前の打ちあわせにはないことだった。照明係がかってにやるはずはないから、知弘が命じたのだ。梯子をのぼるうしろ姿を客の目にさらすより、はるかに視覚の効果は大きかった。  闇の中空に揺れる妖花を、客は娯《たの》しむ。  しかし、宙を進む知弘にとって、周囲を盈《み》たす闇は無辺際である。ゆきつく涯《はたて》は見えず、眼の下は底無しの黒い海であろう。  立花知弘は、それを承知であったのか、それとも彼の計算外の状態か。  人前で披露するのははじめてだと、知弘は言った。稽古は十分に積んだのだろうが、このような照明のもとで稽古したことがあるのだろうかと、わたしは思わずにはいられなかった。もちろん、東京の小屋で、本番と同じ条件で——照明も含めて——研鑚を積んだはずだ。ずぼらで横着と姫村座長は笑いながら言い、立花知弘自身もそれを認める口ぶりだったけれど、ことは自分の命にかかわる。さっきの下稽古で手抜きしたのは、今さら泥縄の下稽古は不要というくらい練習を重ねてきて、十分に自信があったからなのだ。そう、わたしは思いたかった。けれど、あの危うげな足は……。  照明係も、いま、息を殺しているにちがいない。投げかける光が彼の足を追いそこなえば、知弘の素足はささえる綱のない空間に踏み出すやもしれぬ。  蘭之助がスポットライトだけを使ったのには理由があった。吹き火を十分に生かすためには、闇が必要であったのだ。  知弘が四綱の中央に立った。吹き火を使うことは、打ちあわせにはなかった。下稽古でも、もちろん触れていない。吹き火を使うといえば、母は決して許可しなかっただろう。  闇の中空にスポットライトを頼りに知弘が歩み出したときから、わたしの心に予感は生じていた。  知弘の躯は目にみえて不安定だった。表情はわからない。鳥屋からでは、斜め背面から見上げるようになる。たとえ正面の舞台の上からでも——そこはいま無人だ、四綱渡りを終えた知弘の登場を待っている——表情はさだかではないだろう。スポットライトは彼の背後から投げられる。  下稽古のときにはなかった、更にもう一つの力に、わたしは気づいた。闇の底に波立つ御見物衆の願望……彼らは、鮮やかな成功を期待すると同時に、墜ちよ、とも願っている。無意識の願望は、兇悪な磁場を作る。  ふだんは、無害な彼らである。稲荷ずしの弁当や煎餅、裂き烏賊《いか》で口をたのしませ、小屋で貸す座椅子にもたれ懶《ものう》い太い脚を投げだし、舞台の役者が操るままに、笑い、泣き、小屋にふくよかな生命さえ与える。夢心地の一万円札が役者の衿もとを飾る。  墜ちよ、という無言の声に抗うように辛うじて立った知弘の、口もとにもっていった手が、ためらうようにみえた。口に含んだ。のけぞって逆吊りになる、とわたしは思ったが、知弘は身をかがめて綱にしがみついた。足がはずれたのが、それより早かったのか。口から吹き火の器具が落ちた。含む寸前に火はつけてあった。落ちながら火花を散らした。  身もだえ、知弘がめざしたのは、やはりから井戸であった。絹梯子に縋《すが》ろうとしたのだろう。  客席に灯りがついた。明るい方が知弘が行動しやすいと、照明が気をきかせたのだ。  そのために、墜ちる知弘が目に曝《さら》された。  知弘の手は絹梯子をつかんではいなかった。  こわれた人形のように墜ち、花道の床板にぶつかり、近くのものが総立ちになって抱きとめようとしたがまにあわず、ひとつもんどり打って、から井戸に墜ちこんだ。  島田の鬘が、花道を跳ねとんだ。髷の仕掛けがはずれて乱れ髪《がつたり》となった。滑稽で無惨な首だけの六方であった。  幕がひかれた。     5  鳥屋の切穴の蓋を、わたしは夢中で開けようとした。焦るせいか、蓋は動かず、わたしは鳥屋を出て、下手袖のかげに通じる通路を走った。背後から、だれか走ってきて、わたしを突きとばさんばかりに追いぬいた。喜代だった。  下手の切穴はすでに蓋が開き、 「大勢下りて来てもだめだ、だめだ。舞台をつづけろ。幕を開けろ」  穴の奥からどなっているのは、若嶋雄司郎の声だった。切穴のまわりで、踊りの衣裳をつけた座員たちが、うろたえ騒いでいた。  若嶋は切穴から上半身をのぞかせた。 「お客さまに怪我人はなかったか、たしかめたのか。すぐにアナウンスしろ。事故のお詫びと、立花くんは、たいした怪我はなかったと言え」  喜代は若嶋を押し戻すようにして梯子を下り、わたしもつづいた。  姫村英太郎がうずくまり、コンクリートの床に仰向けに寝かせた立花知弘の裾の乱れをととのえてやっていた。  姫村は、右手を自分の左袖口にさしいれ、くいと力をいれた。袖口から、千切り取った襦袢の袖をひき出し、羽二重がむき出しになった知弘の頭の下にあてがった。  姫村と若嶋は、知弘の次に相舞踊で出るので、着付けをすませている。いかつい若嶋が立役、姫村は女形、ともに純白の衣裳で、矢切の渡しを道行ふうに踊ることになっていた。 「大丈夫だったんですか」  せきこむ喜代に、 「これに頭を打ちつけたんだから」  若嶋雄司郎は、梯子の下の置石をさして、首を振った。石に、血が黒かった。  喜代は、若嶋を突きのけ、知弘の躯におおいかぶさるように抱きすがり、声をあげて泣いた。「蘭之助なんですよ」  泣きながら訴えた。 「蘭之助なんです。ようやく帰ってきたっていうのに。アキオ……アキオ……。ばかだよ、アキオ……」  こんな暗い冷たいところに置いとけやしない。楽屋に寝せてやらなくては。とぎれとぎれに喜代は言い、骸を抱きあげようとした。羽二重に包まれた頭が重くのけぞった。  姫村がかわって頭の方を持ち、若嶋が足を抱き、二人がかりで狭い切穴からはこび上げた。  袖に出ると若嶋は、手のあいている座員に知弘の躯をまかせて、 「騒ぎを大きくしないで、予定どおり舞台を終了し、お客をかえそう。姫村くん、いいね」  身仕舞をなおし、 「衣裳に血がついとらんか、見てくれ。白だから目立つ。姫村くん、襦袢の袖はよい思いつきだったな。おかげで、汚れないですんだようだ。おれがお詫びの口上をのべるから、すぐつづいてレコードだ。おれと姫村座長の矢切の渡し。それから総踊り。予定どおりだ。落ちついて」  座員たちを指図した。  母が卒倒しそうな顔で走り寄ってきた。  楽屋に横たえ、座員が、 「姫村先生、これ……」  と、血の滲んだ襦袢の片袖を、どうしましょうと目で訊ねた。 「そのまま、頭の下に敷いといてあげて。どうせ汚れてしまったんだ。使いものにはならない」 「とめればよかった」母は泣きくずれた。  レコードがかかり若嶋と姫村が舞台に出ていった後、 「大変な事故がおきましたね」  テレビのプロデューサーとカメラマンが入ってきて、ヴィデオカメラをむけたので、 「出ていってください」  わたしは荒い声をあげた。 「なくなったんですか」  プロデューサーは、ひるまない。 「出ていってください」 「まあ、昂奮しないで」  わたしはプロデューサーの頬を打った。 「出ていってください。さもないと、小屋に火をつけます」  わたしは冷静なつもりだった。涙もみせないでいた。しかし、尋常でないことを口走ったのは、静かなまま狂いかけていたのかもしれない。 「おだやかじゃないな」  と坐りこもうとするプロデューサーを、座員たちが力づくで押し出した。彼らも気がたっていた。ラストの総踊りにそなえて揃いの衣裳をつけた彼らは、プロデューサーを押しまくった。  そのすべてをおさめようとカメラをむけていたカメラマンも、追い払われた。  公務執行妨害だと、テレビ局員は、捨てぜりふを吐いた。  そのあいだに、喜代は、座員から借りたクレンジングクリームで「立花知弘」の濃い舞台化粧をていねいに拭い落としていた。ケロイドのある素顔があらわれた。蘇枋色の蹴出し、女物の振袖に、男顔は異様だが、奇妙に似合ってもみえた。 「蘭之助なんです。アキオなんです。ようやく、帰ってきたんです」  喜代の手は、いとしそうに蝋色の頬を撫でた。  やがて、ラストの総踊りのため、座員はレコード係の一人を残して全員舞台に出、楽屋には、骸と三人の女ばかりになった。 「蘭之助さん……。まあ、蘭之助さん……」  母は泣きつづけた。 「躯を拭いてやらないといけませんねえ。すっかりきれいにしてやらなくちゃ」  喜代が言って、頭に手をかけたとき、蘭之助の鼻孔から、細い血が一すじ流れた。  魔法びんの湯ぐらいでは足りず、わたしは楽屋につづく台所で大鍋に湯を沸かした。 「あのときの……十五年前の失敗を、ずっと気にしていたんです」  喜代が言うと、母はいっそう声をあげて泣いた。 「きっと、四綱と吹き火をやりとげてみせるつもりだったんだ。みごとにやってのけて、それから名乗るつもりだったんです。だから、母親のわたしにまでしらをきって。わたしも、そういうつもりなんだと気づいたから、あの子が自分から名乗るまで黙っていてやることにしたんです。十五年、こっそり稽古を重ねていたんですねえ」  母は言葉もなく泣き続けるのみだ。 「桔梗座がなくなるときいて、いそいでやってきたんですね。ここで、わたしらの目の前でやるのでなくては、恥はそそげない」  湯の沸きたった大鍋を、わたしは楽屋にはこんだ。  衣裳を脱がせ、晒を解き、三人は黙々と手を動かした。  蟻地獄。女にとっちゃあ私は蟻地獄。蘭之助は言った。  素顔はお化けでも、化粧をしたら蟻地獄。立花知弘は言った。  化粧を落とした素顔も……と、わたしは思った。薔薇の色の花房。雪のつむじ風。  蘭之助も菊次も、九歳のわたしを平気で膝に抱きこんだ。彼らの目には、わたしは他愛ない童女だったのだ。  四谷怪談を出そうと言いだして、おれにまた四綱をやらせようってのか、どいつもこいつも、おれの血をすすってお飯《まんま》食ってやがる、凄まじい目で蘭之助に睨《ね》めつけられた母親と、わたし。絆の強さははじめから勝負がついているけれど……。素性をかくした十五年は、息子が母に挑んだ闘いだったのか。敗れた。蘭之助は。完敗した。 「何を着せましょうね。まさかこの衣裳では」  楽屋の隅におかれたスーツケースを喜代は開けた。衣裳を出したあとのスーツケースには、下着の替えと洗面道具ぐらいしか入っていなかった。化粧箱は鏡の前におかれ、脱いだ服はハンガーにかけたままであった。とりあえず新しい下着を着せ、楽屋にありあわせの古毛布をかけようとした喜代の手を制し、わたしは薄紅藤の振袖で蘭之助の躯を覆った。母が白布を顔にかけた。  姫村座長が入ってきた。母のかけた白布をとり、しばらく頬に手を触れ瞑目した。気をとりなおしたように母にむかって、 「社長さん、舞台に挨拶に出てください。舞踊ショーが終わって、いま、若嶋さんが挨拶していますから。警察には、もう連絡すみましたか」 「警察だって! 何で警察に。事故なのに」 「事故でも、こういうときは警察にとどけんならんのとちがいますか」 「届けるのかい」 「そうせんと、火葬の許可がもらえないはずですよ」 「秋子、どうしよう」  母はおろおろした。 「わたしが電話するわ」 「それから、歌之輔師匠はどこです。挨拶がすんだら、いよいよ緞帳落としで、おひらきになるんだが」 「それが、さっきから見えないのよ。どうしたんだろう」 「しょうがねえな。お喜代さん、知ちゃんは、あんたの息子さんだったんだってね。いまは忙しいから、あとでゆっくり悔みを言わせてもらうよ」  白粉をぬった指で、姫村は目ばりをいれた瞼をおさえた。  蘭之助は、お守りは身につけていなかった……と、わたしは思った。姫村への気休めに言った冗談か。     6  緞帳の前に立った母は、思いのほか気丈に挨拶をのべたが、途中で声がつまり、深く頭をさげた。若嶋と姫村が、いたわって、わたしが立っている下手の袖に連れてきた。  その後に緞帳落しがつづく。  舞台から花道にかけて、役者たちが並んだ。先頭に若嶋雄司郎、次に姫村英太郎。他の座長、副座長、劇団員らと居並ぶ。座長たちは金のかかった豪奢な衣裳だが、花道の上の列が末になるにつれ、安っぽい、場末のキャバレーじみた衣裳になる。下廻りの若い女の子などは、レーヨンのカーテン地のようなピンクのロングドレスの裾が薄黒く汚れている。  緞帳の上端の棹に結びつけられたロープを、劇団若嶋の座員で司会をよくやる森川順一が役者たちの手にわたし、なお余った先端は桟敷に投げられた。何本もの手がのび、争って掴んだ。皺ばんだ手が多い。 「歌之輔師匠は?」 「師匠、何をしているんだ」  役者たちのささやきかわす声が、袖に立つわたしの耳に届いた。  緞帳落としの主唱者であり、指揮をとるはずの大月城吉——水木歌之輔が姿をみせぬため、準備はととのったのに開始することができず、しらけた時が経ち、桟敷は倦んだざわめきが力をはらみはじめた。  役者は客の気分に敏感である。若嶋は決断し、森川順一を手招いて耳もとに指示を与えた。 「お待たせいたしました。では、これより、桔梗座の最後を飾ります緞帳落としでございます。ロープをお持ちのお客さまは、わたしどもといっしょに、力をあわせてロープをひいてくださいませ」  森川がハンドマイク片手に言い終わると、柝《き》が鳴った。ロープがたぐられ、一文字とのあいだが隙き、緞帳は右に左に揺れながらゆるやかに膝を折りはじめた。  疲れた翼をおさめる鳥。破《や》れた帆を下ろす船。わたしは、感傷に陥るまいと気をはった。母もまた、わたし以上に気をはりつめているようだった。母の頬にはたえず涙が流れていたが、くずれる緞帳の重み、時の重みを、肩でささえるように母は静かに立っていた。  背後に人の気配を感じた。お茶子の多美さんが、数人の男を案内してきたのである。  警察の人だなと直感した。しかし、緞帳が床に落ちきるまで、母もわたしも警官に目の挨拶もしなかった。  酷い儀式だと、わたしは思った。劇団員や客たちにとっては、目先きのかわった祭りの一つかもしれない。母にとってのみ、これは残酷だった。ことさらに感慨をそそりたてるために、この儀式は、あった。  色褪せた緞帳は、床にうずくまる細長い襤褸《ぼろ》になった。  桟敷の空気がゆるんだ。客たちは快く感傷に浸っている。  母はふりかえって、警官に頭をさげた。  儀式のあいだじゅう、わたしは、楽屋に横たわる躯を思っていた。  舞台では、なお、座長たちや劇場関係者の挨拶がつづく。母も舞台に呼ばれた。  わたしは警官の先に立って楽屋に行った。喜代がひとり、蘭之助の枕頭につきそっていた。化粧箱をひろげ、紅筆で蘭之助の唇に色をさしているところだった。  蘭之助の骸は、もう一度、係官たちによってしらべられ、そのあいだに、わたしと喜代は、蘭之助墜死の状況を尋ねられた。  喜代は名をきかれ、「上田喜代子」と本姓名を告げた。  蘭之助の本名が上田昭雄という平凡なものであることを、このとき知った。  バイクの修理工がバイクを扱い、電気屋がこわれたテレビを調べるよりも、もっと情のこもらない手で、蘭之助の躯はさぐりまわされた。  客の送り出しがはじまり、桟敷のざわめきはひとしきり高まって、やがて引いた。母が楽屋に来た。警察官の質問は、さっそく母にもむけられた。  ——蘭之助がもどってきたのだ。  そのことを、わたしは、警官などに妨げられない場所で、だれにも踏みこまれない時間に、考えたかった。  秋子嬢さん、と呼びかけた男は、蘭之助であったのだ、と思い返すのは、いまではない。  客がすべて去ったあと、劇団員と桔梗座の関係者、身内ばかりが桟敷に集まり、ささやかな酒宴となったが、それに重なって、警察の実地検証が、桟敷にロープをはり舞台寄りの前半分を立ち入り禁止にして、行なわれた。  殺人事件の検分のようなものものしさはなかった。簡単にけりがつくはずであった。 「墜落後、最初に奈落に下りたのは、姫村さん、若嶋さん、それから上田喜代子さんと三藤秋子《みとうしゆうこ》さんだね。ちょっといっしょに下りて、そのときの状況を説明してください」  周壁沿いの支柱にコードをはりわたした豆電球が、奈落の中心にむけて弱い光を投げていた。  置石の下に、立花くんは、こんな具合に倒れていました、と若嶋は身ぶりで示し、そうだったな、姫村くん、と同意を求めた。  せめて鬘がぬげないでいたら、置石に頭を打ちつけたにしても、致命傷にならないですんだのかも……。言いさして姫村は声をつまらせた。  警官の一人は、手持ちぶさたを紛らすように、懐中電灯で、豆電球の灯のとどかない隅々を照らしてみていた。  もう一つの死体を発見したのは、この警官であった。  支柱が立ち並ぶ煉瓦の壁のむこう、光のとどかぬそこは、僧院の回廊のように死をかくしていた。  警官の懐中電灯が、闇が塗りこめていたものを照らしだしたとき、わたしは、奈落の空間いっぱいに翔びかう鳥の幻影を視た。  薄紅藤、支子《くちなし》、紅梅、花浅葱《はなあさぎ》、蘇枋、二藍《ふたあい》、衣裳の色を散りこぼし、鳥は舞った。おぞましい現実から、この一瞬、わたしは降り注ぐ目映《まばゆ》い色彩の氾濫のなかに逃避していた。  文字どおり、瞬き一つするあいだの倖せな喪神《そうしん》であった。  三 幻花之章     1  大月城吉の骸は、二つの傷痕を持っていた。後頭部の挫傷と、のどの索溝。  頭を鈍器でなぐって失神させ、抵抗力を奪ってから絞殺したという状況である。  警察官の捜査で、兇器らしいものはじきに発見された。支柱を立てた煉瓦の二重壁の上端は、やはり煉瓦でふさいであるのだが、ところどころ壊れ、中の空洞を曝している。懐中電灯は、穴のなかに、何か白っぽい色彩を捉えた。  ひきずり出されたものは、浅縹《あさはなだ》の手拭いのような布であった。血痕が咲いていた。更に穴の奥をさぐると、中に落ちこんでいる煉瓦の破片の一つに血の痕があった。布を鼻にあてた警官は化粧品のにおいがすると言った。  布には白粉の付着がみとめられた。布の地質は化繊と絹の混紡で、襦袢の片袖を千切りとって縫い目を解き、一枚にひらいたものとわかった。煉瓦の粉らしいものが織目に付いていた。  煉瓦の破片をこれにくるんで、布はしを持って叩きつけ、更に絞殺の兇器にもと、浅縹の片袖は、二度使われたのであった。  劇団員からわたしたち劇場関係者まで、全員の衣裳しらべが行なわれたのは、いうまでもない。  片羽鳥の襦袢は、ついに発見されなかった。いや、一枚だけ、あることはあった。姫村英太郎のものである。しかし、彼の襦袢の袖は、英太郎自身が引き千切って蘭之助の頭の下に敷いてやったのを、若嶋とわたし、喜代と、三人が目にしているし、色も朱鷺《とき》色である。  それでも、警官は、襦袢の袖が絞殺の兇器に用いられたことと、姫村が袖を千切った行為の暗合に無関心ではおれず、姫村を追及した。  衣裳を汚すまいと、とっさに考えたのだ、と姫村は言った。若嶋と相舞踊の、揃いの衣裳、しかも純白である。血のしみをつけるわけにはいかなかった。  また、血が奈落のあちこちに付いては、桔梗座の社長さんがお困りになるだろう。まあ、落ちついて考えれば、今日を最後に閉めるのだから、奈落が汚れようとどうしようと、かまわないといえばそうなんですが、どうせすぐ取り壊すにしても、血の汚れというのは気になって……。  姫村はそう言ったが、わたしの目が見た彼の仕草は、別の言葉を語っていたように思えた。知弘の傷へのいたわりを、あのときわたしは感じたのだったが。  劇団若嶋にしろ、他の九州の劇団の二座長にしろ、大阪の姫村座長、同劇団副座長天津ひろし、みなそれぞれ次の興行の初日を翌日に控えている。劇団若嶋は翌早朝に発って別府のセンターに乗りこみ、姫村と副座長も一番の飛行機で大阪に帰り、初日の幕明けにまにあわせるという、ぎりぎりのスケジュールである。  しかし警察では強引に、次の一日、全員を足止めすることにした。  営業妨害で警察を訴えてやろうかしら。副座長天津ひろしが毒づいていた。  警察官が、私服、制服、数人小屋に泊まりこんだ。  捜査は進展せず、同じような訊問がくり返され、劇団員たちは早く出立させてくれと殺気立った。ことに劇団若嶋は、センターの契約を一日破ったら、信用を落とし、この先の興行に影響する、死活問題だと必死であった。  姫村のところも、座長副座長二人が欠けたら、たとえ初日の幕をあけても客が承知しない。残りの座員だけでは狂言の立てようがない。どこの劇団も、座長、副座長の魅力で客を呼んでいる。  貴重な一日を足止めしながら、訊問は同じようなことのくりかえしであった。  損害は、警察が責任をもって補償してくれるのか。いつでも発てるように、劇団員たちは荷物をまとめはじめた。立ち入り禁止になっている舞台に衣裳ケースを積み上げ、制止する警官と小ぜりあいが起きた。警察ににらまれたら興行がやりにくくなるという弱みがブレーキになっていた。  そのブレーキもはずれかかった午後四時ごろ、解剖の結果が知らされた。  大月城吉の死因は、初見どおり絞死、索条として用いられたのは、二重壁のなかに隠されてあった襦袢の袖。死亡時刻は、午後一時から三時のあいだと推定された。  そうして、大月城吉ばかりでなく、蘭之助——立花知弘もまた、単純な事故死ではなかったことが剖見で明らかになったのである。  蘭之助——立花知弘は、血液から、パラニトロ・フェノールが検出された。また、アセチルコリンが神経末端や脳に蓄積されていた。  つまり、と、捜査官は、わかりやすい言葉に言いかえた。  有機燐剤の急性中毒だというのである。それが直接の死因となる前に、四綱から墜ち、鋭く折れた胸骨が肺にささったのが致命傷となって死亡した。四綱わたりの最中に、めまい、意識消失などの中毒症状があらわれたために墜落したと思われる。  胃、及び腸内には、毒物はなかった。体内への吸収経路は経口投与ではないと考えられる。  捜査官は、これらのことを、まるで感情の動きをみせずに伝えた。立花知弘は、殺された……。  二つの他殺死体ということで、警察はずいぶん闘志を持ったのかもしれない。取調べの態度は暴《あら》くなった。  大月城吉の死に関しては、死亡推定時刻とされる午後一時から三時、二時間ほどのあいだの、それぞれのアリバイが厳重にしらべられた。  アリバイを急に問われても、何時何分にどこで何をしていたなど、だれも正確におぼえてはいない。その時間帯に、立花知弘はわたしたちの前で四綱わたりの下稽古をやってみせた。時刻は、二時半前後であった。下稽古を見物した人々のなかに、どうも城吉はいなかったようだ。言えることは、そのくらいだった。そうして、下稽古の後は、だれも城吉を目撃した者はいないことが明らかになった。  奈落での殺害に、そう長い時間はかかるまい。下稽古の前後に、十分や十五分、だれかが奈落に下りても、その不在はだれも気にとめないだろう。アリバイの一点から犯人を割りだすことは、むずかしそうだった。  一方、立花知弘の死について言えば……。  蘭之助の死というよりは、このときわたしには、まだ、立花知弘の死、であった。  十五年前の、花と匂える市川蘭之助と、頬に薔薇の色の瘢痕、奇妙に明るく皮肉な笑顔の、骨太の成人である立花知弘を、一つに重ねよというのが無理だ。 〈蘭之助〉と〈菊次〉は、ただ一月の稚い記憶を核に、わたしが育てあげた幻の花であった。  生身《なまみ》の男が、はじめてわたしの眼前に立ちあらわれた。立花知弘と名乗って。わたしが手をのばす前に、それは、砕けた。  立花知弘の死について言えば、  警察は、毒物を問題にした。——当然だけれど。  有機燐剤は、経口以外に、呼吸によって肺に吸いこんでも、また皮膚から吸収されても、毒効を発揮する。  肺呼吸では、〇—二〇分、経口で一〇分—二時間、経皮《けいひ》では二時間以上というのが発症までの時間だという。  症状としては、吐き気、発汗、筋肉の痙攣、精神的な不安、頭痛、昏睡等。吸収された量によって、症状は重くも軽くもなる。致死量は、経口なら〇・一グラムから〇・ニグラム。経皮であれば、一グラム。  たとえば、洗面器の水で手を洗う。その水にこの毒物が溶かしてあれば、ある程度時間が経ってから、気分が悪くなり、めまいがし、致死量が浸透していれば死亡する。  噴霧によって、蘭之助一人だけに吸いこませるのは、——しかも、本人にそれと気づかせず——まず不可能である。  捜査主任の東野という警部が、このようなことを説明した。  わたしと母は、住まいの座敷で、東野警部の訊問を受けた。 「有機燐剤、つまり農薬だが、そういうものが劇場においてありましたか」 「いいえ」  母は、むきになって首を振った。 「自宅の方には?」  嘘をつくのが下手な人だ。母はうろたえ怯えた眼をわたしにむけた。  ごまかしたところで、どうせすぐにわかる。  わたしは母にかわって答えた。 「以前、裏の空地を畑にして野菜を作っていました。その地所は、父が死んでから売りましたから、いまは畑はないのですが、前に使っていた農薬の残りが、もしかしたら、物置にしまったままになっているかもしれません」 「そういう危険物は、注意深く管理してもらわんと。物置をみせてもらおう」  台所口に近い物置を、捜査員が点検し、奥の方に容器がみつかった。まだ少量残っていた。 「減っていますか」 「さあ、どのくらい残っていたのか、わからなくて」 「ここに農薬があるのを知っている人は、だれだれですか」  お茶子の多美さんと喜代は知っている。それから大月城吉。劇団若嶋の座長、座員も、桔梗座出演ははじめてではない。座長若嶋雄司郎をはじめ、古い人たちは、以前何度か母の丹精した胡瓜や茄子を口にし、そのとき除草殺虫の話題も出た。姫村英太郎も、一年に一度ぐらいの割りあいで、こちらに公演に来ている。 「ここにあった農薬が使われたとはかぎりませんでしょう。犯人が持ちこんだのかもしれないのでしょう」 「それはそうだが、よけいなことは言わず、こっちの質問に答えなさい」 「いやです」と、わたしは言った。「わたしの口から、他人に疑いがかかるようなことを言うのは、いやなんです」 「困るな。そう神経質にならないで、気楽に答えなさいよ」  いやです、と、わたしは言いはった。 「奥さん、どうです」  質問の相手を、組しやすい方に警部は変えた。母は、素直に名をあげた。 「お嬢さん、だれかをかばっているんですか」 「いいえ」 「あまり手をかけさせないでもらいたいね」  そう言われただけで、自分が犯罪者であるような気分になる。  指紋を採取するため、農薬の容器は押収された。犯人は、指紋を残すほど愚かではないだろうが。     2 「姫村座長さん」  戸の外から声をかけた。 「秋子嬢さん? どうぞ。蒲団を敷いてしまったけれど、まだ起きていますから」  薄い壁をへだてて、左隣は若嶋座長と、他二人の九州の座長、右隣の大部屋には、劇団若嶋の座員が、まだざわめいている。いつもなら、深夜まで酒を飲み花札が散り、麻雀牌の音が騒がしいのだが、刑事たちが桟敷に泊まりこんでいるので、博打も酒もひかえているらしい。天津副座長は大部屋に行っているとみえ、部屋には姫村一人だった。 「すみませんが、うちの方に来ていただけませんか」  姫村はけげんそうにわたしを見たが、いいですよ、と気軽に寝巻をシャツとズボンに着替えた。 「明日も、すぐには発たせてもらえんのでしょうね」  母は二階で眠っている。農薬のことで、ひとしきり厳しく尋問された後である。睡眠剤がわりに酒の助けを借りて寝入った。  外に声が洩れぬよう、座敷の雨戸は閉《た》ててある。  で? と、姫村は目で訊いた。 「教えていただきたいことがあったので」 「何でしょう」 「姫村座長さん、おたくの劇団では、『三人|吉三《きちさ》』を演《だ》すことあります?」 「ありますよ」  と答えるのに、ちょっと間があいた。 「もちろん、本歌舞伎のとはずいぶん違いますけど」 「わたし、子供のころに観たおぼえがあるんです。市川蘭之助劇団の」 「どこでもやるでしょう」 「ええ、でも、劇団によって、同じ外題でも内容がちがいますわね」 「そうね、劇団のメンバーにあわせて適当に変えるし、筋立てもいろいろね」 「市川蘭之助劇団がやったのは……」  一月のあいだに六十本近い外題を観たのだ、記億のなかの場面は断片が入り乱れ、とりとめのないモザイクのようだ。 「お嬢|吉三《きちさ》を蘭之助、つまり、立花知弘さんですわね。お坊吉三を菊次——菊次といってもご存じないけれど、蘭之助の一座にいた若い人です。黒地に裾模様の振袖の蘭之助と、若衆小袖の菊次。筋立ては本歌舞伎とちがって、ずいぶん簡単なものでした。大切りの本郷火の見櫓《やぐら》の場、雪の深夜、捕り手に追われ逃げのびてきたお嬢吉三が上手から、これも追われる身のお坊吉三が花道から本舞台へ、櫓下の閉ざされた木戸越しに」  そこへ来たはお嬢吉三か。  そういう声はお坊吉三。  木戸の格子の隙から手をさしのべあい、本歌舞伎なら竹本と清元の掛け合いになるところを、割りぜりふで、 「まだ春寒く温《ぬく》め鳥、放れ片野に余所目《よそめ》には」 「色とみよりの片翅《かたつばさ》」  お嬢の凍えた手をお坊があたためる仕草があって、  お坊吉三は襦袢の片袖を引き千切り、お嬢の指をそっと包み、お嬢はその袖を懐にいれた。お嬢が応えて千切るのが、もっさりと長い緋縮緬《ひぢりめん》の襦袢の振袖であったのは、子供の眼にもいささか野暮で、滑稽ですらあった。しかし、続く景、雪がはげしく降りしきるなか、お嬢吉三と捕り手の大立廻りで、袖の千切れた緋の長襦袢からむき出しになった肩は凄艶で、前景の、長い袖をしつっこく二人で捌《さば》く野暮ったさを消した。 「その後、ほかの劇団で見た『三人吉三』は、さまざまなヴァリエイションがあったけれど、千切った袖をとりかわす場面は見たおぼえがありません。本歌舞伎でもやりませんし。遠い記憶なのでわたしがかってに創りあげてしまったのかしらとも思いました。ところが……立花知弘さんが言いましたわね。『まだ春寒く温め鳥、放れ片野に余所目には』」 「色とみよりの片翅」  姫村が受けた。 「このせりふ、おぼえていました。でも、どの芝居の、どんな場面と結びつくのか、忘れてしまっていた。思い出したんです。お嬢とお坊が……」  短い沈黙がつづいた。 「東京で、三人吉三を、立花さんと共演なさった?」 「知ちゃんが立てた狂言でね。いや、外題を立てたのは、ぼくだった。知ちゃんのお嬢、ぼくのお坊。木戸越しに手をとりあう場面で、知ちゃんが、こういう型があると、袖を千切ってとりかわすのを教えてくれた。なかなか情があっていいじゃないかと、それでいくことにしたんです」  このとき、はじめて、わたしの心のなかで市川蘭之助と立花知弘は、寸分の隙もなく重なった。蘭之助は、知弘となってあらわれた。まるで、死ぬためのように。  続く沈黙は、長かった。沈黙をもちこたえられなくなったのは、姫村の方だった。 「袖をね……そう。そのままになりました。別に深い意味があったんじゃない。何となく、互いに返しそびれたような……。ぼくらが大阪に発つ直前に……、知ちゃんが、あの袖もらっといてもいい? というので、ええ、お守りにあげるよ、と……」  その袖を、知弘は、兇器に使った。お守りが力を貸してくれるとでも……そんなことにでも、頼りたかったのだろうか。  わたしが口を切る前に、姫村が言った。 「知ちゃんは——あなたたちとの関わりで言えば、蘭之助さんか——市川蘭之助は、水木歌之輔さんを、殺さなくてはならない事情があったんですか」     3 「姫村さんもそう思われます? 城吉さんの——大月城吉というのが、歌之輔師匠の芝居の方の芸名です。蘭之助一座にいたときの。城吉さんの絞殺の兇器になったあの浅縹《あさはなだ》の袖……」 「お坊吉三の襦袢の袖です」  姫村は、みとめた。 「ぼくにもらったお守りを本番のときは身につけると、知ちゃんは言ったでしょう。ところが、知ちゃんが墜ちてすぐ、ぼくは奈落に駆け下りた。ひどい恰好で倒れていたから、仰向けに寝せて身づくろいをしてやった。そのとき、持っていると思った袖を、身につけていなかった。ああ、口先だけおちょくったのかと、そのときは思った。よく、ちゃらんぽらんなことを言うやつだったから。その後で……あれが、兇器に使われたと知った」  袖の形のままでは短くて使いにくいから、縫目をといて一枚の長い布にしてあった。ということは、不意を襲われて、とっさにありあわせの袖を武器にしたというのではない。絞殺の兇器にするつもりで懐にしのばせていたことを意味する。  いや、そうじゃない。最初に煉瓦をくるんでなぐりつけている。相手を失神させてからなら、縫目を解くひまもある。  でも、煉瓦をくるんで兇器にするということが、とっさの反撃として、できるかしら。  むりだろう。正当防衛は、やはり成りたたない。 「あの浅縹の袖を警察の人に見せられたとき、すぐ、わかりました?」 「わかりましたよ。でも、黙っていた」 「立花さんがやったと思いながら?」 「ええ。知《とも》がやったのなら、やるだけの理由があったんだ。警察の手にかかったら、どんな理由があろうと、人殺しは人殺し。死んでいようとね、トモを警察に売りたくはなかった」  そう言ってから、姫村は、熱っぽくなりすぎたのがきまり悪かったのか、いささか露悪的につけ加えた。 「厄介なことになって足止めをくらったらかなわんしね。関係ありませんという顔でとおそうと思ったんですわ」 「でも、立花さんも殺されたのよね」 「農薬だってね。ケイヒとか、警察の人が言うてましたね」 「ええ。皮膚から浸透したというのね。だから、わたし、白粉だと思うの」 「白粉?」 「立花さんの練白粉に、だれかが農薬を混ぜこんでおいたのだと思うんです」 「ひどいことを……」  濃艶な舞台化粧が、そのまま死化粧になった。そのほかに、肌に農薬が浸透する経路は考えられなかった。 「だれが……。畜生」 「もしかしたら、犯人は死んでいるのかも」 「死んでいる?」 「城吉さん。二人の相討ちかも……って」 「相討ち……」 「立花さんに、城吉さんを殺す理由があったとするわ。奈落で他人の目に触れず、ひそかに会おうと、立花さんは、時間と場所を指定する。下稽古のとき、から井戸から奈落に下りる、奈落で待っていてくれ、と」 「でも、秋子嬢さん、奈落に下りてから花道にあらわれるまで時間がかかったら、怪しまれるのとちがいますか」 「用件は、何か秘密に受け渡しするということだったら、どうでしょう。これなら、何秒もかからないわ。だから、城吉さんは、疑わず承知した。下稽古のとき、立花さんは、四綱をわたり奈落に下り、待っていた城吉さんをなぐって昏倒させ絞殺し、壁のむこうに隠す……」  鳥屋の切穴からあらわれた立花知弘は、笑っていた……と、わたしは思った。ふざけて見得を切ったりした。  殺害のあとに、あの笑顔か、と、わたしは自分の推察に自信がもてなくなる。その前に四綱をわたっている。大変な集中力と冷静さが必要だ。これから人を殺そうという直前に、あんなことがやりおおせるだろうか。  しかし、大月城吉もまた立花知弘に殺意を持っており、ひそかに練白粉に農薬を混ぜこんだ……相討ち、という構図が消し切れない。 「大月城吉さんて、どういう人だったんです」  姫村が訊いた。     4 「わたしも、あまり詳しいことは知らないの」 「十五年前にも、殺人事件があったときいているけれど」 「ええ」 「その事件と、今度のことと、関係あるのかな」 「城吉さんと、十五年前の事件で殺された浅尾花六という役者と仲が悪かったということは、あったんです」  わたしは記憶をたどりかえした。  大月城吉は、蘭之助一座が桔梗座で公演中に、駆け込みで入座したのだった。  初日が開いて十日めごろだったろうか。  その日の切り狂言が『緋桜仁義』だったことをおぼえている。刃引きした刀で姐さんにかわって惨死する新吉は、強い印象を子供の心に刻んだのだった。  終幕の後、女渡世人の拵《こしら》えのまま一人幕前に正座した蘭之助が、  ……ひきつづきまして、残ります本日のラストステージは、絢爛《けんらん》花の舞踊ショーでございます。最終最後のお時間まで、ごゆっくりお遊びくださいませ。  口上を終え、楽屋にひきあげる。鳥屋から見ていたわたしも、楽屋に行った。すると、見なれぬ男が台所に近いとば口に膝をそろえて坐っていたのだ。  座員たちは衣裳をかえ顔をつくり直し、楽屋のなかには紅白粉のにおいが埃のように舞いたち、ただよってくる便所の臭気を甘く変えていた。  ドーランを頬にのばしながら蘭十が、座長、駆け込みなんだがね。以前役者をやっていたからというんだが。声の調子は、男にすでに好感を持っていた。汚れたシャツに膝のぬけた鳶《とび》色のズボンという風体の男の、役者としての質が蘭十には見抜けたのだろう。  中背の骨細な撫《な》で肩で、そそけた白髪が老いをきわだたせているが、砥《と》の粉《こ》を塗ったような皮膚にははりがあった。六十に近い年にみえたが、四十八だといった。  根っからの芝居者で、四国一帯をまわる劇団にいたが、激減する客足にもちこたえきれず解散した。劇団の数も少なくなり、昔のように簡単に駆け込むということもできない。そうかといって堅気の暮らしはどうにもなじめず、はんぱな仕事についてはやめ、四国から大阪、そうして九州とわたり歩いてきた。たまたまこの劇場のちらしを湯屋でみて、躯に火がついたと、口のききようは卑屈ではなかった。  大根をおいてやるゆとりはないよ。何ができるのか、ちょっとやってみてもらおうか。  座長をさしおいて、浅尾花六の声が棘をふくんだのは、これも敏感に、ライバルの出現を感じとったからだったろう。中年から老けの、それなりに見せ場の多い好い役を、花六はいつも占めてきた。花車方《かしやがた》(老《ふけ》女方《おやま》)をとくいとしていた。  それじゃ、切られお富でもきいてもらいましょうかと、その男がほんの心もちシャツの衿をぬいたとき、わたしはその一瞬の変貌に目をみはった。役者が化けるのは見なれているが、それは化粧と衣裳、鬘という小道具の力を惜りてのこと、すっぴんで妖しい変化をみせたのは、菊次がごくまれに、新しい狂言のため口立てでは間にあわず立稽古をやったときぐらいのものだった。  ゆすり衒《かた》りはいわねえでも、いずれもさまが御存知だよ。年端《としは》もいかねえ身の上で、よせばいいにと人様に異見もたびたび言われたが、女のくせにだいそれた……  語り出したとき、胸の晒を巻きなおしかけていた菊次は、手をとめて聞きいった。  あとできかせてもらうよと蘭之助が言った。花六がしたり顔でうなずき、聞き飽きた長ぜりふをたっぷりやられたんじゃあかなわねえ。いや、いまは時間がないから、と蘭之助はかぶせた。  これから舞踊ショーなんだが、何かやるかい。蘭之助が言うと、  女形で踊れるものでしたら、何でも。  大きくでたね。花六は、何年も舞台から離れていたとみえる男を困らせようと、つい最近レコードが発売された新曲の名をあげた。  けっこうです。  けっこうですって、やったことがあるのかい。  その歌は耳なれています。どんな歌でも、耳にすれば自然に振り付けができます。その歌も、心んなかでは振りができあがっていました。  化粧道具をこのひとに貸してやってくれ、と蘭之助は喜代に言い、それから衣裳と鬘も何かみてやってと言いそえた。  いきなり舞台に出すの、座長。花六は憎ていに口をはさんだ。横槍をいれるのが自分の役どころと心得てでもいるように。  名前は、と蘭十にきかれ、いろんな芸名で出ていて、どれにしましょうか、大月城吉と名乗っていたこともあります。そう呼んでやってください。  城吉の手荷物は手垢で黒光りするズックのバッグ一つであった。化粧道具だけは持っているんです。鏡の前に膝をうつすと、たたんだ羽二重をひろげ、頭に巻いてうしろできりりと結びあげ、油、練白粉、紅、青黛《せいたい》、生臙脂《しようえんじ》と一式そろった化粧の道具箱を開けた。  いまになって、わたしは思うのだ。食うための一時しのぎの肉体労働を転々としながら、城吉は——寝泊まりも飯場などが多かったろうから、人目につかぬ深夜の公衆便所などで——顔に床油、練白粉をのばし、アイシャドウ、付け睫毛《まつげ》、つぶした眉の上に儚《はかな》い夕月の眉を描き、目尻に紅をさし、水銀の剥げた鏡にほほえみかけたことがあったのではあるまいか。化粧箱のなかの練白粉も紅も、使いつけているようにみずみずしかったのだ。  のっぺりと白くつぶすと、砥の粉色の地顔ではめだたなかった鼻すじや口もとの繊細さ、瞼のほりの深さ、ほっそりした頬から顎の形のよさがきわだち、目、唇を描く前の胡粉《ごふん》だけを塗られた人形首を思わせた。  細い筆先が幾種類もの顔料の上を餌をついばむ小鳥のように動き、鏡のなかの女の眼球は、釉《うわぐすり》をぬられたように、てらりとした。 「花六さんは、ずいぶん陰険なやりかたで城吉さんをいじめたようなの。鏡山《かがみやま》の岩藤《いわふじ》と尾上《おのえ》を地でいくようだったわ。外題は何だったか忘れたけれど、城吉さんが手をついてあやまる、その手の甲に刀の鐺《こじり》をつきたてて、ぐりりぐりりと折檻する。まねごとですますところを、本当に力をいれて抉《こじ》ったりしました。お客が見ている舞台の上だから、城吉さんは本気で怒ることもできず、花六さんも上手で、お客の目にはふざけているとしか見えないんです。もっとも、城吉さんも、けっこう陰湿に仕返ししていたわ。こっちは、楽屋で花六さんの飲むお茶にこっそり唾を吐いておくというふうでした。だから、花六さんが殺されたとき、城吉さんに対する調べは、ほかの人より厳しかったんです。でも、花六さんの骸のそばでセイさんが縊死していたんですから、セイさんが犯人で自殺したという結論になったんですけれど、セイさんは、命令されたらそのとおりにする人だから、偽装自殺もできないことはないんだわ」  盆を廻すための梁に輪にしてかけた腰紐は、セイさんのものだった。  次の命令を待つ犬の緊張した眼。  輪にした紐の前に立たせ、首をいれろと命じたら、いくらセイさんでも、不安を感じるだろう。いったん厭だと言いだしたら、セイさんは強情なのだった。しかし、立たせておいて、うしろから輪をひっかけ、梁にかけた綱のはしを引いて吊り上げることなら、と、その想像図の惨《むご》さに、わたしは気分が悪くなった。力のあるもの同士の互角な闘いであればそれは当人のかってだ。場合によっては美しいと感じる余裕さえある。無力なものが悲鳴もあげず踏みにじられるのを考えるだけでも辛いのは、わたしが弱いからだろう。  命じたのが菊次であれば、セイさんは、輪に首をいれることでもしたかもしれないと、ふと思った。思い出してみると、セイさんは菊次になつききっていたという気がする。  たとえばの話だけれど、菊次が刃物でセイさんを刺しても、セイさんは相手に殺意があるとは思わず、驚いたように菊次をみつめ、それから痛さに泣いただろう。  過剰な想像を、わたしは振り捨てた。  わたしが思いつくくらいだから、偽装自殺ということは、当時の大人たちのなかにも考えたものはいただろう。その辺が深く追及されなかったのは、セイさんがどんなふうな人か、たぶん誰も警察に告げなかったのだ。犯人はセイさん、殺してから自殺。それ以上事を面倒にしようとする者はいなかった。 「蘭之助さんは、城吉が浅尾花六を殺しセイさんを犯人に仕立てたという証拠を握って……城吉を脅迫し、証拠の品とひきかえに、かねを……」  わたしは言いかけ、矛盾に気がついて、首をふった。 「蘭之助さんが城吉さんを脅迫したのなら、城吉さんを殺すことはないんだわ。城吉の方では脅迫者を殺したいだろうけれど」  逆に、蘭之助が花六を殺し、セイさんを犯人に偽装したのだとしたら、そうして城吉に脅迫されていたとしたら、蘭之助には城吉殺害の動機が生じるけれど、しかし、城吉が蘭之助の練白粉に細工して蘭之助を殺す理由がなくなる。 「知ちゃんが城吉さんを絞殺したのなら」と、姫村が 「あの襦袢の袖を、どうして、すぐみつかるようなところに……」 「身につけているわけにはいかないから……。人目があるから、燃やすこともできないし。あそこにつっこんだのは、あの場合とれる最上の策だったんじゃないかしら。発見されても、姫村さんが言わないかぎり、立花さんの持物とはわからない。そして、姫村さんは決して警察に喋ったりしないと、立花さんは信じきっていた……」 「そりゃあね、ぼくは、決して。しかし、いっそ、前もって事情を全部話しておいてくれたら……」 「話したら、とめるでしょう」 「どんな事情があろうと、人殺しだけはねえ。だが、城吉さんを殺すつもりで、知《とも》はここに来たとして、自分が逆に殺される危険は感じなかったのかしら。敵の目の前で四綱をやる。こんな危険なことは。綱にちょっと細工をされたって……」  言いかけて、いや、綱も梯子も、念人りにしらべていたな、と姫村はうなずいた。  立花知弘は、楽屋で一滴の茶も口にしなかった、とわたしは思った。茶菓子にも手をつけなかった。だからといって、毒殺をおそれたというのは、穿《うが》ちすぎかもしれないけれど。     5  捜査官も、毒物の経皮吸収といえば、まず化粧品を考えたようだ。立花知弘の化粧箱は持ち去られ、検査にまわされていた。  練白粉の残りから、微量の有機燐剤が検出されたと、翌日知らされた。たっぷり混ぜこんであった部分は、知弘が化粧に用い、その残量であったろう。  立花知弘の舞台化粧を拭い落としたのは、喜代である。そのとき使った布は、台所の屑といっしょに処分されてしまっていた。  悪くとれば、証拠|湮滅《いんめつ》である。 「他殺死体は、手を触れてはいかんのだ。顔を拭いたり躯を拭いたり、犯人割り出しの手がかりを、お母さんが自分で消してしまったんだぞ」  刑事に責められ、 「殺されたとわかっていれば、そっとしときます。墜ちて死んだと思うのが当然じゃありませんか。殺されたなんて、誰が思いますか」  喜代は身を捩《よじ》って号泣した。  喜代の抗議はもっともだった。城吉の他殺死体さえ、その時点では発見されていなかったのだ。  それでも、喜代は参考人として警察に出頭を命じられた。 「息子の躯をきれいにしてやったことが、そんなにいけないんですか」  喜代は泣きわめいた。 「参考人てのは、つまり、犯人の疑いをかけられてるってことなんでしょう。こっちが何も知らないと思って、いいころかげんなこと言って。テレビの刑事物見ているんだからね、わたしだって。わたしが蘭之助を殺したっていうんですか。十五年ぶりに帰ってきてくれた我が子を、何でわたしが」  十五年前の事件のことを、詳しくききたいだけだ、と刑事はなだめた。 「あれはセイさんがやったって、もうわかっているじゃありませんか。いやですよ、警察なんて。この前のときだって、ひどいこと言われたんだから。しがない旅役者だからって、馬鹿にして、ねちねちいじめられたんだ」 「お喜代さん、あまり警察の旦那を手古《てこ》ずらせると、かえって、痛くもない腹をさぐられるよ。おとなしく連れていっていただいて、何でもはいはいと素直に返事しておいで。正直に答えりゃあ、すぐ帰してもらえるよ」  若嶋になだめられると、喜代は、そうですね、と目尻の皺にたまった涙をこすりとった。  喜代が警察車に乗って去った後で、姫村英太郎も警察によばれる羽目になったのは、次のような事情による。  座長部屋に、若嶋と、九州の二座長富士松と川上、わたし、四人がいた。出発を許可されないので、座長たちは苛立ちきっていた。  富士松座長が、歌之輔を殺した犯人に、立花知弘も殺されたという説を口にした。 「死んだ人の悪口になるが、歌之輔さんは、かねに汚なかったからね。小金を貸しちゃあ、高い利息をふんだくって、かなり阿漕《あこぎ》にとりたてていたという話だ。秋子嬢さん、そんな噂は知りませんか」 「知らないわ」と、わたしは言った。薄々耳にしないでもなかったけれど。 「そんなこんなで恨みを待ったやつが、師匠をくびり殺した。立花くんは、たまたま、その現場を目撃した。いや、立花くんは気がつかなかったかもしれないが、犯人は、見られたと思った。それで……」 「立花くんが下稽古で、奈落に下りたとき、何かを見たのかな」  川上座長が相槌をうったとき、若嶋が手で制止し、聞き耳をたてる顔になった。  ベニヤの薄い壁越しに、隣室の声が洩れ聞こえていた。  ……お坊の袖じゃないかと、気になって。  天津副座長の声であった。  お坊の袖って、何のことだ。  東京で、知ちゃんと三人吉三をやらはったとき、襦袢の袖を。  あほ。あれは舞台の上の芝居だ。  あの後、座長の襦袢、片袖のままでした。縫いつけといてと、まりちゃんにたのんだら、座長があのままでええと。あれ以来、あの襦袢、使うたはらへんでしょう。  何をつまらんことを。  そんならええんですけど。 「何も聞こえなかったことにしよう」  若嶋は二人の座長に小声で言い、ぎょろりとした目で念を押した。  それにもかかわらず、刑事の耳にとどいたのは、二人の座長のどちらかが、警察のターゲットがきまれば、自分たちは拘束を解かれ出発できると思ったからだろう。  警察の車に乗せられる姫村に、わたしが告げたのではないと知らせたかった。薄い壁は、目をさえぎることで、耳をもさえぎるような錯覚を起こさせる。そのためなのです。  刑事が傍にいるのだ。わたしは、ひそかな身ぶりしかできなかった。  もちろん、姫村は単に参考人として呼ばれたので、被疑者扱いされたわけではなかった。  殺人現場を保存するため、解体工事は事件のめどがつくまで延期するよう命じられた。  姫村を乗せて立ち去る車を道路に出て見送り、わたしは振りかえって、桔梗座の全貌をあらためて目におさめた。  入母屋造りの屋根の黒瓦は夕陽を照りかえしていた。白漆喰の塗籠壁、連子格子の窓、古風な芝居小屋は、両隣りを薬屋と菓子屋にはさまれ、商店街のこの一劃だけが、時が流れをとめているようだった。  白漆喰の壁一枚が包含する幻想空間は、最後に現実の死を産んだ。  四 弄花之章     1  四国松山空港から、バスを乗り継ぎ、道後温泉街の、バスを下りた停留所の前が、T**温泉センターの入口であった。紙の造花でふちどりした役者の絵看板がなければ、場末の映画館のようだ。旅館と土産物屋が並び、宿の浴衣に下駄履きの浴客が往き来する。湯気を含んだ空気が脚にまつわる。讃岐うどんの暖簾がほっこりと陽を浴びている。  横長の絵看板の下の貼紙に、熱演! 不二あけみ劇団と朱書きし、座員名が並ぶ。十ほど並んだ名の中ほどに、里見マチ子の名があった。あって当然なのだけれど、ひどく不思議な気もした。  入場券売場らしい窓口は見あたらないので、開いている引違い戸から中に入る。外見からは意外なほど小綺麗なロビーで、右手にL字型のカウンターがあり、そこが入場券売場ともぎりを兼ねる。左は土産物の売店である。ロビーの長椅子には浴衣の胸をはだけた年寄りが数人、女も脚をひろげて坐りこんでいる。開演中らしく、マイクを通した演歌がロビーまでひびく。 「もう、この回は終わりますよ。夜の部は七時からだから、三時間ほど待ってもらわないと」 「不二劇団の里見マチ子さんに会いたいんですが」 「ああ、劇団の知りあいの人。それなら、楽屋で待っとったらいい。ケンさん、案内してやってよ」  通りかかった中年の従業員に、カウンターの中の女はひきついだ。  座員が楽屋にひきあげてくると、汗のにおいが、むっと籠った。楽屋は乱雑だが、桔梗座よりは建物自体が清潔であった。少なくとも、アンモニア臭はなかった。  鬘を放り出すようにはずし、衣裳を解きはじめた女たちの、どれが里見マチ子か、わたしにはわからなかった。何か用かと、問いかける目を一人がむけたので、里見さんに、と用件を言った。化粧前で肌脱ぎになり、白塗りの化粧を落としかけていた女がふりむいた。塗りたくったクレンジング・クリームに指の痕が渦をまく顔の地肌は、疲れた褐色だった。  三藤秋子《みとうしゆうこ》といっても怪訝そうに見かえしただけだったが、九州**市の桔梗座の、とつけ加えると、ああ! と、瞼の皺が畳《たた》まり、眼が大きくなった。 「わからないわよ。こんな小ちゃい子供だったんだから。そうだ、シューコちゃんていったよねえ、桔梗座の、社長のお嬢ちゃん。本当に、あのシューコちゃん? よくわたしのことおぼえていたわねえ。看板で名前を見たの? わたしだって、あのころは若かったんだけど。この顔見たって、わからないでしょう。化粧落とすんじゃなかったな。すっぴんじゃ年がまる出しだ。まあ、いいや。よく寄ってくれたわねえ。思い出した。あんた、好きだったねえ、楽屋が。いまでもそうなの? 社長さん元気? お母さんは? 今の舞台、見てくれたの。ちょっと食事をすませるまで待ってよね。まごまごすると食いはぐれちゃうからね。その後で、いっしょに温泉に入ろう。ゆっくり話ができるわよ」  襦袢と腰巻きの上に半纏をひっかけ、里見マチ子は、食事の仕度に立った。  おかずはセンターから差し入れてくれる。幕を閉めた舞台に箱を二つ置き、長い板をのせた仮の食卓に、目玉焼き一つに刻みキャベツの皿が並ぶ。十人ほどの座員は、坐るが早いか、飯をかっこみ、ものの五、六分で慌しい食事は終わる。女座長の不二あけみに里見マチ子はわたしをひきあわせた。座長は愛想のない顔をちらりとむけただけだった。  休憩時間は充分あるのに、なぜか急《せ》きたてられるように食べる様子は、桔梗座でも見なれている。  食べ終わるが早いか男たちはいなくなり、座長も去り、残った三人の女座員が食器をかたづける。 「シューコちゃん、お風呂に入ろう。従業員用のお風呂だけれど、温泉だよ」  わたしは、二人だけで話したいのだと言った。 「何かわけありか。それじゃ、ちょっと待っていて。ざっと汗を流してくるから。十分とかからないよ」  誰もいなくなった楽屋で、わたしは待った。ここの壁には、紅や青黛の落書はなかった。  蘭之助劇団が解散した後、蘭十と大門次郎、里見マチ子は劇団松浪に入座したと、喜代からきいていた。わたしは、劇団松浪を扱っている興行会社に電話で問いあわせ、熊本の温泉センターで興行中と教えられた。  行く先はなるべく明確にしておくようにとの条件つきで、行動は自由になっていた。わたしは、警察には告げず、熊本に行き、劇団松浪を訪れた。三人とも、すでに松浪にはいなかった。蘭十は三年ほど前に肝硬変で死んだ。大門次郎と里見マチ子は、別れた。大門が他に女ができてドロンし、置き去りにされた里見マチ子は荒れて、他の座員と折りあいが悪くなり、松浪座長の口ききで、四国一帯を廻ることの多い不二あけみ劇団に移籍した、ときかされた。大門次郎は消息不明である。  母はわたしが家をあけるのを止めたがった。こんなごたごたしているときに、一人置いていかれては心細くてたまらない。あんただけが頼りなんだから。  父の死後、不動産斡旋や金融の仕事からは手をひいた。あいだに立つ人たちにずいぶんいい加減なことをされ、手もとに残るべきかねが毟《むし》りとられたらしいけれど、赤字がかさむ小屋をつぶして地所を貸すなり売るなりすれば、母とわたし二人の生活はたちゆく計算だった。  スーパーマーケットのチェーンを持つ企業が、ここに支店を建てたいと、かなりいい条件を申し出たのだが、母は、有料駐車場にするという案を思いつき、それに固執した。  千秋楽の後、さっそく小屋の解体工事がはじまる予定が、現場保存とかで、延期させられている。母はきっと、目まいやら貧血やらで寝込んでいるだろう。死病というわけではない。少しのあいだ辛抱してもらおう。母の楯になってばかりはいられない。 「待たせちゃったわね」  と里見マチ子が、湯上がりの輪郭のぼやけた顔で入ってきた。  蘭之助とその一座について、知っていることを教えてほしいとわたしは頼んだ。 「古い話だなあ。といっても、ついこないだみたいな気もするのよね」  のどに浮く汗をタオルでおさえ、片膝を立てた半あぐらで、里見マチ子は煙草をくわえた。  蘭之助の一座は小人数ではあるけれど、いや、小人数だからこそなのだろう、よくまとまっていた。  蘭之助の父親も、昔一座をたばねていた。興行中、地まわりに刺されて死亡した。その地まわりの女に手を出したとかどうとかいういざこざがあった。蘭之助が五つのときである。目の前で父親が刺された。  一座は離散し、母親の喜代は、蘭之助を連れて幾つかの劇団をわたり歩いた。蘭之助が十七のとき、二人がいた劇団がつぶれた。大半の役者は散ったが、市川蘭十が蘭之助を座長にたてて一座を組むことを喜代にすすめた。蘭之助なら人気が出ると蘭十はみこんだのである。同じ劇団の座員だった大門次郎と里見マチ子が加わり、そのころやはり一座がつぶれて困っていた浅尾花六を迎え入れた。花六は、これを機会に旅まわりの役者商売はやめて踊りの師匠をしてすごすつもりなのだが、などともったいをつけたが、ありようは、渡りに舟であったのだ。  淋しい一座で、老人ホームにむりにたのんで慰問と称して買ってもらったり、祭りのアトラクションに出たりしていた。温泉センターまわりもやった。大きい設備のいいセンターは名の売れた劇団が契約を結んでいるから割りこめず、みじめな旅だった。  温泉センターで雑役のアルバイトをしていた菊次が、蘭之助の舞台を見て、弟子にしてくれと駆け込んだ。このときの狂言は、歌舞伎の夏姿《なつすがた》 女団七《おんなだんしち》を平易にくずしたもので、鉄火肌の芸者|団七縞《だんしちじま》のお梶に扮した蘭之助は、温泉客の目を蕩《とろ》かした。  菊次は両親が旅役者で、まだおしめもとれないころから舞台にあげられていたと、その点は蘭之助と同様である。蘭之助は芝居の水を離れたことはなかったが、菊次は転々とうつりながら通った小学校五年のとき、弟の小菊と二人、母方の祖母にあずけられ、一応土地に定着した。両親は旅まわりのあいだに別れ、父親は消息不明、母親は死亡したという経歴から、ずぶの素人ではない。旅役者以外の暮らしを知らない蘭之助が、おれは役者はきらいだ、女の化粧なんか、商売だと思うからやるけれど、気色が悪くて大嫌いだと、強がりもあったのかもしれないが口にするのにくらべ、菊次は芯そこ舞台が好きだったようだ。アルバイトをしているときも、センターにまわってくる劇団の舞台を熱心に見て、仕草からせりふまで身につけていた。若い役者が手薄な蘭之助劇団の、かけがえのない戦力になった。センターで雑用をしていたセイさんが、菊次について、いっしょに移ってきた。愚図の野呂間のと、センターでいじめられがちなセイさんを菊次はかばってやっていた。  弟の小菊が中学を卒業して祖母のもとを出、兄のいる一座に加わったころは、蘭之助劇団は、けれんで売りはじめていた。けれんの案出に、蘭之助と菊次は工夫をこらした。菊次の父親がけれん役者だったので、菊次はいろいろ見おぼえており、蘭之助につたえた。  菊次は、弟は堅気のままでいさせたいと思ったようだが、入座が決まると、小菊にだけは別人のように厳しくあたった。せりふにしても仕草にしても、見て盗め、おれだってそうやっておぼえたと言って、手をとって教えようとはせず、できが悪いとなぐりつけた。 「そうだった。菊次さんは、舞台でずいぶん小菊《チーコ》のことを悪態ついていたわね」  こいつ、おとなしぶっていますけど、悪いんですよ。餓鬼のくせに、酒癖は悪い、女癖は悪い、博打はやる。客にむかって菊次がばらしている後ろで、小菊があどけなく笑う。二人で組んで踊りながら、足をかけて蹴倒し蹴りとばす。小菊は苦笑まじりでさからわない。客は冗談と思い笑っているけれど、楽屋裏で本気でなぐる菊次を見ているわたしは、チャリと本気のみわけがつきかねた。チーコが無邪気な少年の顔で酒麻雀花札が強いのは本当で、座員からずいぶん小遣いを巻きあげていたし、女客にかわいがられてもいた。座長の蘭之助も、麻雀や花札ではしばしばチーコにひねられていた。 「菊次さんて、やさしい感じだったけれど、チーコには意地悪だった」  わたしが言うと、里見マチ子は笑った。唇のはしに金歯が光った。 「やっぱり子供だったんだな。目がなかったね、シューコちゃん。意地悪なもんですか。いい兄ちゃんだったよ。男の兄弟がね、あの年になって人前でべたべたなんかしないよ。仲が好くたって。気恥ずかしいじゃないの」 「いま、どこにいるのか、知らない?」 「きかないねえ」 「菊次さんは、どうしてドロンしたの」 「蘭之助劇団にいたら、どんなにがんばったって、菊ちゃんは二番手だもの。おもしろくなかっただろうよ。ドロンはいいけど、二人であわせて十五万もかっぱらっていったんだから、あれはひどかった。あと、困ったよ」 「蘭之助さんが喜代さんにやさしくなかったのも、気恥ずかしかったから?」 「やさしくないように見えた?」 「ええ」 「それは、シューコちゃんの目の、あたり! 座長は、十七の若さで座長でしょ。辛かったと思うよ。いくら蘭十さんが後見だといったって、やはり入りの悪いのから何から座長の責任て感じになるしね。座長は太夫元も兼ねるんだから大変。そのくせ財布は喜代さんがしっかり握っていたから、座長といっても小遣いもままならない。役者なんか嫌いなのに、おふくろさんが、のっぴきならないように縛りつけたと思っていたみたい」 「解散してから、蘭之助さんは、いつ東京に行ったの?」 「座長、東京に行ったの?」 「立花知弘という名前で、東京の小屋にフリーで出ていたの」 「知らなかったな」 「立花知弘って、きいたことない?」 「東京のフリーの役者じゃ、こっちにはあまり関係ないから。関西にも来る劇団の座長ならわかるけれど」 「蘭之助さんと城吉さんが殺しあう理由って、考えられる?」 「何だって? いったい、何の話よ。なにがあったの? 話してごらんよ」  桔梗座の千秋楽に起きたことを、わたしは簡略に語った。マチ子の煙草の火が畳の上に敷いた茣蓙《ござ》に落ち、焼け焦げを増やした。 「わからないねえ、わたしには。ずっと会ってなかったんだろ。城吉さんだって、最初は気がつかなかったくらいだっていうんだろ。十五年ぶりに会って、会ったとたんに、何だって殺しあわなくちゃならないのよ」 「たとえばね、花六さんが殺された事件があったわね」わたしは言った。 「ああ、セイさんに」 「本当にセイさんがやったと思う?」 「警察の人だって、そう言ったろ」 「城吉さんがやったって考えられない? 城吉さんは花六さんを殺し、セイさんがやったように偽装した。それを、蘭之助さんが気づいた」 「だからって、座長が城吉を殺すことないだろ。それも十五年も経ってからさ。腹が立ったら警察に訴えればいい。セイさんや花六さんのために、座長が命賭けで復讐なんて、芝居にもならない。だけどね、城吉さんが花六さんを殺したというのは、ありそうなことだね。あの二人、仲が悪かったからねえ。城吉って、年をくってるくせに、変な色気があったな。あれは、いくら座長がいい男でも、若すぎて出せなかった色気ね。花六が張り合おうってのが、おこがましかったよ。そうだ、城吉はね、桔梗座の奈落人喰い伝説の張本人だったって、知ってる?」 「どういうこと? 城吉さんが、あの噂を流したの」 「違う、違う。消えた本人よ」  まだ六月のはじめというのに、楽屋は蒸し暑かった。わたしがハンカチを出そうとすると、里見マチ子は首にかけたタオルのはしで顔の汗をおさえてくれた。  あいつ、わたしを口説いたのよ、と里見マチ子は言った。 「そうして、てめえに箔をつけるためかね、昭和十九年に、赤紙を拒否して——拒否してだって。ぶるって逃げたくせに——奈落から消えたのはおれだ、って、そのとき言ったの。だれにも喋るなと口止めしたわ。本心は、わたしが言いふらすのを期待したのかもしれない。今となったら話題の英雄だものね。わたし癪だから、誰にも黙っていてやったのよ。こっちの気を惹こうとでまかせ喋ったのかもね。嘘っぱちでしょうと言ったら、証拠が残っているはずだって。でもさ、わたし言ってやったの。戦争に行くのが怖くて逃げた男なんて魅力ないよって。反戦がどうとか平和がどうとか、きいたふうなことを言い返そうとして、どうせ受け売りだから、しどろもどろ。人はあまり名誉なことに思っちゃくれないってわかったんだろうね。それから口にしなくなった。年のころは、まあ数えてみれば合っているんだけど」  突拍子もない嘘とも思えなかった。城吉が奈落で消えた役者であっても、不思議はない。だからこそ、桔梗座に再びあらわれたのかもしれなかった。 「城吉の言ったことが事実だとしても、座長と殺しあう理由にはならないねえ。わたしに自慢たらしく話したくらいだから、べつにたいそうな秘密ってわけじゃなし」 「蘭之助さんと喜代さんとは仲が悪かったわけだけれど、十五年ぶりに会って、喜代さんが蘭之助を殺そうと思うって、考えられる?」  喜代が蘭之助の化粧を落としたのを、犯人の手がかりを消そうとしたと刑事が怒ったのを思い出し、まさかとは思ったけれど、念のために訊ねた。 「何言ってるんだよ」  里見マチ子は呆れたように大声を出した。 「仲が悪いっていうんじゃないのよ。座長の方が一方的に邪慳だったの。喜代さんは座長をそりゃあ大事にしていたわよ。財布の口は固かったけどね。ちょっと、飲もうか」  里見マチ子は立っていき、戻ってきたときは、自動販売機で買ったらしい紙函入りの日本酒を二つ持っていた。 「城吉さんの残した証拠って、何?」  里見マチ子は函酒の口を切った。     2  松山空港から、束京行きのANA584便に搭乗した。高校のとき修学旅行で一度行っただけの東京である。  前夜はセンターに一泊した。里見マチ子と二人だけ、楽屋に蒲団を並べたのである。座員の寝泊まりする部屋が二階にあるのは、芝居小屋よりよい待遇だ。  酒を飲みながら、里見マチ子はとめどなく一人で喋りつづけ、やがて寝入った。何か手がかりになることはと、わたしは注意深く聴いていたが、いつまでこんな暮らしをするんだろう、年とったらどうなるんだろう、という不安、別れたりふられたりした男の話、などがほとんどであった。  わたしが発つとき、里見マチ子は口をあけて眠っていた。化粧で荒れた額に脂じみた汗が浮いていた。礼の言葉を書き置いていこうと思ったが、マチ子は字がほとんど読めないので、札をいれた祝儀袋を枕もとに残した。  シートベルトを締め、眠ったつもりはなかったのに、スチュワデスに揺り起こされ、着地するから椅子の背をもとに戻すように注意された。  羽田着、一〇時五五分。なれぬ土地で電車を乗り継ぐ自信がないので、空港内の食堂でサンドイッチとコーヒーを摂り、タクシーで浅草にむかった。  立花知弘がよく出演していたという小さい芝居小屋は、浅草寺の裏手、古着屋、ホッピーのポスターをガラス戸に貼った安飲屋などの並ぶ一劃にあった。うらぶれてはいるけれど、ここに足をはこぶ客は、温泉センターとはちがい、芝居が好きで来る人たちだ。  六月の興行がはじまったばかりだから、入口にたてかけられた花輪はまだ新しかった。  昼の部の歌謡ショーの最中なのか、金属板を叩くようなひどい音響が洩れきこえた。  切符売場の前に立っているわたしを押しのけて、背を丸めたお婆さんが千円札を窓口に出した。百円玉二枚の釣り銭を財布にしまい、壁に手を這わせながらお婆さんが階段をのぼっていってから、窓口をのぞいた。年とった女が入場券を渡そうとしたので、わたしはとめ、桔梗座支配人の肩書のついた名刺を渡し、こちらの支配人さんに会いたいと頼んだ。  女に呼ばれて階段を下りてきた支配人は、学生のような気さくな若い男だったので、ほっとした。桔梗座の事件を知っていた。捜査本部の刑事がすでに上京して、彼に立花知弘についての事情聴取をすませていた。  山崎支配人は、わたしを近くの喫茶店に伴った。  桔梗座さんのようないい劇場《こや》がなくなるのは、本当に残念ですね。ぼくは、行ったことはないけれど、話はきいています。知ちゃんのことは、そちらの刑事さんにずいぶんつっこんで訊かれたけれど、ぼくも、彼の過去は何も知らないんですよ。立花知弘というのが本名かどうかも。ほとんど、出演中の小屋の楽屋に寝起きして、あとは、そのときそのとき関係のある女のところにころがりこんでいたりね。住所不定というわけです。住民票なんてないでしょ。本籍がどこかも、きいたことがない。のんきで、ずぼらで、ぼくなんか好きでしたね。つきあいやすかった。しかし、ある一線をひいて、それ以上は誰にも立ちいらせないというふうではあったな。つまり、東京に出てくる前のことは、いっさい喋らないんです。  うちにはじめて来たのは、十年ぐらい前だった。突然事務所に入ってきて、役者でやっていきたい、それもフリーで、っていうんですね。うちの親父、興行師ですから。素人じゃないということは、そのとき言っていました。親父もすぐに気にいって。そのころの印象は、何か荒《すさ》んでいたな。こっちの水が性にあったんでしょうね、その後は、ずぼらで明るくて横着で、憎めない知ちゃん、ていう……どっちが地なのかな。  人気ありましたよ。彼が特別出演するとしないとでは、入りが違うくらい。もちろん、劇団によって入り不入りの差は大きいです。いくら知ちゃんでも、魅力のない劇団につきあっているとき、一人で大入りにする力はなかった。三、四十人なんて淋しいときもあるんですよ、うちでも。うちは定員二百名、桔梗座さんよりずっと小さいですが、若手の座長大会だと、倍ぐらい入れて札止めになります。  舞台に出たとたんに、客席をさっと見て、今日は入りが薄いなあ、なんて聞こえよがしにぼやいても、知ちゃんだと、客は不愉快な顔はしませんでしたね。投げたようなことを言っても、いざとなると熱っぽく山を上げて、客を満足させたから。  刑事さんからもきいたけれど、十七歳のときから六年、座長をやったんですって? こっちでずっとフリーでとおしたのは、一座を持つ辛さが身にしみたんでしょうね。  火傷のことですか。刑事さんにも訊かれたんですが、やったのは、女です。よくあるごたごたからですよ。でも、今度の事件には、その女は関係ないと思いますよ。できれば、そっとしておいてやってほしいな。ぼくの友人の妹なんです。知ちゃんの方では、ちょっとしたつきあいぐらいの気持が……。のぼせちゃった女って、怕いですね。  傷害事件にはしなかったんです。知ちゃんは、酔って自分で高いところにあった薬罐をひっくりかえしたというふうに表向きはして、女をかばった。もちろん、楽屋うちではみんな実情を知っていました。ぼくも。遊び捨てと怨まれてもしかたのない負い目が知ちゃんの方にもあったのは事実だし、女の家の方で治療費なんか一応出しはしたけれど、それにしても、「侠気《おとこぎ》があるな」とぼくが言うと、知ちゃんは、照れかくしだったのかな、妙なことを言ったな。「これは、死んだ人間からのメッセージだ、彼女のせいじゃない」たしか、そんなふうなことを言った。何のことかと訊ねたが、それ以上のことは……いや、「忘れてはならないことから逃げつづけてきた」そうも言った。それだけだった。  充分になおりきらないうちに化粧したので、こじらせて、ひどい痕になりました。それからです。知ちゃん、少し変わった。陰気になったとか、そういうんじゃないんですが……。  役者が顔に傷を負ったんですから、先きゆきのことをいろいろ考えたでしょうが、その火傷事件以来なんですよ、知ちゃんが四綱の修練をはじめたのは。あの年で——って、正確な年は知らないんだが、三十は過ぎてるでしょ。もっとも、運動神経は抜群で、身が軽くて、楽々と筋斗《とんぼ》をきっていた。  四綱の稽古は舞台が閉《は》ねてからでした。うちでも、ほかの小屋に出ているときも。若いころやったことがある、昔とった杵柄だと言うとおり、最初から危げはなかった。今さら四綱を売り物にしなくても、顔に傷がついたってファンは離れなかったんだけど。吹き火も稽古していました。ぼくは見て驚いてね、初公開はぜひうちの劇場《こや》でと頼んでいたんです。  大きな変化は酒をやめたことです。あれじゃ肝臓がだめになると思うくらい、舞台のあと朝までかっくらっていたのを、ぴたっとやめた。ちょっと薄気味悪かった。願かけだなんて古風なことを言っていました。まあ、酒浸りでは四綱はできませんけどね。願がとけたら、酒の風呂に入って頭から浴びながら飲むと。 「火傷をさせた女の人が、その後も立花さんに殺意をということはありませんか」  わたしは訊いた。 「彼女、今年結婚したんです。そっとしといてやってください。桔梗座の千秋楽、五月三十一日も、東京にいましたよ。アリバイの立証人なら大勢いる」 「そのほかに、立花さんに敵意を持つ女の人はいません? 男でも」 「わかりませんね」  ふいに、突っ放す声になった。 「役者のなかには、彼に嫉妬している者もいるだろうし、好意を受けいれてくれないと怨んでいる女もいるかもしれない。いるとかいないとか断言できるほど、ぼくは知ちゃんの身辺に注意していたわけじゃない。たとえ何人か仲の悪い人間をぼくが知っていたとしても、軽率に名をあげることは、ぼくはしませんね。友人知人に殺人の疑いをかけるというのが、どんなことか、考えてほしいな」  そう言われ、わたしは、恥じた。  山崎の声に暖かみがもどった。 「そうは言っても、ぼくも、平気ではいられなかった。まさか殺人まではとは思うけれど、ふられて逆恨みをしている女とか、二、三心にかかるもののアリバイを、それとなく調べました。みな、確実に東京にいました。そういうことで、ぼくの調査を信用してくれませんか」  わたしはうなずき、眼で詫びた。  最後の質問は、ほとんど不用な駄目押しと承知していた。  死んだ人間からのメッセージ。  忘れてはならないことから逃げつづけてきた。  十五年前の事件と無関係であろうはずがない。     3  立花知弘の死は、警察にとっては、他の無数の犯罪事件と等価である。  わたしは、立花知弘の死を生きる。警察に協力する気など起こりようがない。常識では通用しないと弁《わきま》えぬほど稚くはなかった。だから、帰宅すると早々に捜査本部に呼び出され、被疑者扱いの調べを受けても、腹は立たなかった。熊本、松山、東京と一週間近く家をあけ、行先を母にも言わなかったのである。  どこで何をしていたという問いに、答えねばならぬ義務はないけれど、隠すこともない。  熊本の劇団松浪をたずね、大門、里見、蘭十の消息をききました。松山に里見マチ子をたずね、蘭之助劇団について訊きました。東京で、山崎支配人に会いました。話の内容は、それぞれの人に訊いてください。  翌日までとめおかれたのは、警察が裏付けをとるまで待たされたのだ。  許されて家に帰ると、母に泣き縋《すが》られた。喜代が、まめまめしく母の世話をしていた。喜代も姫村も、一晩警察に泊められただけで、それぞれ帰宅していた。  わたしは懐中電灯を持って、小屋に行った。人気《ひとけ》のない桟敷は、早くも荒涼の気配をただよわせていた。建物としての寿命尽きたわけではない。生きながら腐蝕してゆく病菌は、観客の不在というやつだ。存在しないということも、一つの力なのだなと、桟敷の畳を踏み、歳月の吐息を吐き出させ、から井戸の梯子を奈落に下りた。  円型の二重壁は、一部、突き崩され、煉瓦の破片が散っている。兇器の片袖が発見されたあたりを、ほかに何か隠されてはいないかと、警察が壊して調べたのである。何も新しい発見はなかったそうだ。  決壊箇所を跨ぎ越え、二重壁のむこうにまわる。  大月城吉が里見マチ子に語ったことが事実なら、召集令状を受けた彼は、ここに自殺するつもりでひそんだというのであった。血啖を吐く躯であっても齢は若さの盛り、楽屋の鏡にうつる勤皇芸者に、我れながら見惚れた。皮膚一枚の内側が腐爛した躯を、軍隊でいじめ殺されるくらいなら、我が手で葬ろうと決心した。  身体検査で肺患とわかれば、伝染をおそれて即刻帰されるのだろうが、召集令状が来たということで、城吉は動顛したのだ。四十を過ぎた中年の者まで駆り出されている。病気でも免除にはならないと思いこんだ。  しかし、いざとなると臆した。死んだつもりで逃亡しようと、気がかわった。邪魔になる衣裳と鬘を脱ぎ捨て、から井戸の下に放り出し、身軽になって、楽屋の床下にもぐりこんだ。  それに気づいたのが、彼に心を寄せている女座員だったので、女物の上衣ともんぺ、当座のかねと食物を差し入れ、夜、脱け出す手引きをしてくれた。  死のうと思ってひそんでいるとき、煉瓦壁の一枚がゆるんでいるのが目にとまったという。それをはずし、髷から抜いた笄《こうがい》を落としこんで、煉瓦を嵌《は》めなおした。封じこんだのは、自ら死のうとする彼の、言葉にならぬ想いであったろう。遺書を書こうにも、彼は字を知らなかった。  近ごろは、子供が学校にあがるようになると、母親と一箇所に定住して通学し、父親だけが旅廻りを続けるというふうで、ほとんどが高校まで卒業するけれど、古い時代に生まれた旅役者は、読み書きを習得する暇を持たなかった。蘭之助の一座でも、一応義務教育を終えたのは小菊だけである。菊次は小学校五年までを旅暮らしだったので、あちらこちらの小学校を転々とした。読み書きの学力は弟より低いが、中学にも籍はおいている。蘭之助は、小学校卒業の免状は持っているが、一箇月ごとの転校だし、昼の部にも子役で出ていたので、ほとんど出席していない。小菊にも劣るのが口惜しかったのか、ひらがなだけは小菊に教わって身につけた。他の座員は、花六、蘭十、喜代、大門、マチ子、ひとりとして、仮名すら満足に読める者はいなかった。  蘭之助一座に加わったとき、城吉がまっさきに調べたのは、笄を封じ込めた二重壁であった。戦後の二十四年のあいだに壁は修築され、漆喰で塗り固められていた。  自分の肉体の一部が葬られたままになっているように感じられたろう。水木歌之輔として、まあ成功した人生といえるようになってなお、彼が桔梗座とかかわりを持たずにはいられなかったのは、そのためもあったのではないかと、わたしは思う。  この二重壁のあいだには、城吉とかぎらず、数多い役者の憎悪、悲哀、願望、未練、さまざまに塗り籠められているのだろう。  わたしは懐中電灯で、煉瓦の一枚一枚を照らしながら歩いた。漆喰が剥げゆるんでいる部分は多かった。はずして中をのぞいては、もとに戻した。何か見てはならぬものを覗き見ているように感じた。 「何をしているんですか」  ざらついた声をかけられた。懐中電灯をむけると、から井戸の梯子に喜代がいた。 「嬢さん、おかえりなさい。熊本だの松山だの、ずいぶん方々に行ったんですってね。マッちゃんに会ったんですって。元気でしたか」 「城吉さんが、昔、ここで消えた役者だったって、喜代さん、知っていた?」 「いいえ」  懐中電灯の光をまともに浴びた喜代は、眉をしかめ、「へえ!」と語尾をのばした。 「本当ですか。驚いた。そんなことを調べてきたんですか。秋子嬢さんは、昔から知りたがりやさんでしたね。好奇心が強かった」  わたしはむしろ周囲のものごとに無関心な方だと、自分では思っていた。 「でも、警察がしらべていることを、素人があれこれさぐるなんて、子供の火遊びと同じでね、まわりにとんでもない迷惑をかける素《もと》なんですよ」  そう言いながら、壁の崩れめを跨いで、わたしの方に来た。 「城吉さんは、この壁のあいだに笄を隠したんですって」 「値打ち物ですか」 「たいしたものじゃないでしょ。そのままに放ってあったんだから」 「壁のあいだにねえ」と、喜代はゆるんだ煉瓦に手をかけた。  五 燎花之章     1  ズックの幕を張りめぐらした内側で、桔梗座の解体工事がはじまっている。  雨のために、今日は職人が来ない。  わたしは、傘をさして幕のなかに入った。  無惨に食い荒らされた獣の残骸といったふうに、桔梗座は、舞台と楽屋のあたりを残して土台ばかりとなり、乱れ倒れた柱、梁、踏み割られ横たわる板戸、ガラス戸、役者の名をしるした板看板、崩れた壁土が泥をかぶり、雨はその上に波紋をひろげる。  柱、屋根を失った野晒しの舞台に、雨水が流れ、吊物のロープがのたうつ。  鳥屋も花道もすでに取壊され、から井戸の枠もなく、花道の下の通路は泥水をたたえた深い掘割だ。  掘割につづくから井戸跡に泥水は澱《よど》み、舞台の下の奈落に流れこむ。いずれ、雨がやんだら水をかい出し、埋めたててしまうのだから、木材、壁土、がらくたがおかまいなしに投げこまれている。  わたしは、水の流れる舞台によじのぼった。  捜査本部は解散し、解体工事着手の許可がおりたのである。  大月城吉が、かつて遺書がわりに形見の笄を壁のあいだにしのばせたという話をわたしからきいた喜代は、蘭之助だって、何か遺したかもしれない、と言い出した。  警察の人に話してみてくださいよ。どうせ壊す小屋なんだから、あの二重壁、全部つきくずしてしらべてもらっても、かまわないんでしょう。  わたしが里見マチ子に会ったと知って、刑事がマチ子のところに聞込みに行っている。城吉の話も、マチ子からきいたはずだ。必要だと思えば、こちらがおせっかいなことを言わなくても、警察はしらべるだろうと、わたしは言ったが、喜代はうるさくせっついた。  捜査主任の東野警部に、母は、壁をくずすことをおずおず提案した。そのときわかったのだが、里見マチ子は、大月城吉のことは警察に告げていなかったのだ。戦争中の話だ。浅尾花六の事件にも今度の事件にも関係はないと思ったのだろう。  東野警部は、母の提案をたいして重視しなかった。それでも、念のためと、二重壁を破壊させた。  汚水が流れこんで溜まっている壁の底から、鼠の死骸や、腐って何とも得体の知れなくなった屑、財布らしいものまで、あらわれた。財布は、だれかが盗んで中のかねだけとり、捨てたのかもしれない。錆びてぼろぼろになった針金のようなものもあった。これが、城吉の笄のなれのはてだろうか。ほかにそれらしいものは見当たらなかった。  折り畳んだ紙片が、注意深い捜査官によって発見された。  濡れきって、触《ふ》れれば破れそうになっていた。  捜査官たちは、それを火で焙ってかわかし、読んだ。わたしたちも、見せられた。  全文たどたどしいひらがな、しかも、舌足らずな文章で、読むのに骨が折れたが、わかりやすい言葉になおせば、次のような内容であった。  十五年前、大月城吉が浅尾花六を殺害するのを目撃した。自分には関係ないことだと放っておいたが、セイさんが殺され犯人にされたのが、ずっと気にかかっていた。今さら警察に話しても証拠がない。仇をとる気になった。城吉は自分が目撃者であることを知っているから、逆に返り討ちになるかもしれない。念のために、これを書き残す。城吉殺害に成功すれば、これは人目につかぬうちに破棄する。もし自分が殺されたら、この書状は、桔梗座が解体され壁がこわされるとき人の目に触れ、城吉の告発状となるだろう。  何て書いてあるんです、とのぞきこむ喜代のために、わたしは声を出して読んだ。  末尾の絵文字のようなサインは、昔、蘭之助が色紙に書いたものが母のもとに残っていたので、照合して確認できた。  十五年も経ってから、セイさんや花六のために蘭之助が命賭けの復讐を企むか、ということが捜査官のあいだで問題になった。  山崎支配人の証言にあった、立花知弘の言葉、  これ(火傷)は、死んだ人間からのメッセージだ。  忘れてはならないことから逃げつづけてきた。  この二つが、疑問への答えとなった。  犯人を知りながら黙っていたことが、蘭之助の心の重荷になっていた。たまたま、役者としてほとんど致命的なひどい傷を顔に受けた。それを、彼は、死者からの督責ととった。促され、責められている、と、いたたまれなくなった。思い立って四綱の稽古をはじめたのは、母親が桔梗座にいることを人づてにきいていたので、十五年前の恥辱をこの際|雪《そそ》ごうとも思ったのだろう。  蘭之助が、なぜ、城吉の殺人を知ったその場で、告発しなかったのかという疑問が残った。遺書の文面には、それはあらわれていなかった。  蘭之助にも、何か弱みがあり、それを城吉に握られていたため、告発できなかったのだろうと、考えられた。十五年もたてば、その弱みも時効となる。殺人も、十五年が時効だ。  捜査員のなかで疑い深い者は、あんたが偽の遺書を書いて、壁のあいだにひそませたのではないかと、わたしに言った。濡れそぼった紙からは指紋の採取ができなかったのだ。  わたしが何のために、そんな馬鹿なことをするんですか。  事件が解決しないと、劇場がいつまでも取壊せなくて、あんたもお母さんも困るだろうからね。そういう意味では、社長さんも同じ立場だが、社長さんは、だいそれたことはできそうもない。支配人さんの方が、度胸がありそうだ。  悪人に見立ててくださってありがとう、と、わたしは言った。  劇場解体を早めるために遺書を偽造したというのはあまりに考えすぎだ、と、その刑事の言葉はとりあげられず、事件は、一応解決した。  偽書ということは、わたしも考えないではなかったのだ。喜代に、壁のあいだの遺書のことを話し、その直後に遺書が発見されるというのは、ずいぶん符節が合いすぎる。話がうまくできすぎている、まるで芝居の筋書だ、と感じた。しかし、わたしが偽遺書を作る必要がないように、喜代にも、そんなことをせねばならぬ理由はなかった。その上、喜代は、自分の名前すらほとんど書けないのだ。ひらがなづくしであろうと、あの文章を書けるわけはないし、他人に代筆をたのめるような性質のものではなかった。母だって、事件の解決が早まるのは望ましいといっても、喜代にたのまれて偽遺書の代筆をするというような、刑事の言葉を借りれば、�だいそれたこと�をする�度胸�などありはしない。人一倍律義で小心なひとなのだ。  しかし、蘭之助が、浅尾花六とセイさんのために、命を賭けた復讐をする。そのことが、わたしにはどうしても納得できなかった。  頬に傷を受けたとき、それを、死んだ者からのメッセージととる。そのためには、よほど強靱な絆が、死者と生者のあいだになくてはならぬ。  菊次なら、と、わたしは思う。メッセージを送った死者が菊次であるのなら。菊次は城吉に殺され、蘭之助がそれと知りながら、沈黙をつづけてきたというのであれば。  蘭之助は、十五年、ひそかに自分を責めつづけただろう。  そうだ。浅尾花六とセイさんのほかに、もう一人、蘭之助にとっては分身のように大切な死者がいたのだ。  ……いいえ、と、わたしは思い返す。  蘭之助にとって、菊次は、分身だったろうか。  九歳のわたしの眼が、まちがっていなければ、菊次こそ、蘭之助を我が分身と大切にしていたのではなかったか。  おれの惚れぬいた姐さんのためだ、死んでくれ、と、愛刀に語りかけ、刀身を岩に打ちつけて刃をこぼし、刃引きの刀で斬りこんだ緋桜仁義の新吉の印象が稚い眼にあまりに強く、それを現実の菊次に重ねてしまっているのだろうか。  新吉は、みずから望んでお龍の身代わりになった。あれは、芝居、しかも、お泪ちょうだい式の、小屋芝居特有のくさみをたっぷり注入して命とした芝居。テレビや大劇場で演じられたら、観ている方が気恥ずかしく、吹き出したくなるていのものだ。  蘭之助は、我儘で自分本位だった。一座のために、ずいぶん自分を殺し、犠牲にならざるを得ないことはあったけれど、それだけに、ふだんは我を通し、座員にも荒くあたっていた。  菊次は、年は一つ二つ下だけれど、蘭之助より感情は大人びていた。包容力があったという意味だ。  天幕の入口が少し開き、 「嬢さん、どうして、こんなところに呼び出したんですか」  喜代が入ってきた。     2 「喜代さん、菊次さんのお墓は水浸しだわ」  わたしは言った。  喜代は、ちょっと足を滑らせたようだった。  黙って、舞台にのぼってきて、わたしを見た。 「奈落はね、人を喰べたり消したりする力はないのよね、だれか人間が手を貸してやらなくてはね」 「城吉さんが昔逃亡したとかいう話ですか」 「菊次さんのことよ」 「どうやって逃げたんでしょうね、あいつ」 「逃げはしなかったの。菊次さんは、奈落で死んで、そのまま埋められたんだわ」 「そうなんですか。知りませんでしたね」 「奈落から出るには、井戸と、袖の二つの切穴と、鳥屋の切穴。その四つのどれか以外に抜け道はないのよ」 「知ってますよ。何の話をしたいんですか。こんな濡れるところ、わたしはいやですね」 「ここが一番いいの。お聴き。井戸は、お客さんの目があるのだから、もちろん使えない。上手の切穴の傍には、わたしとセイさんがいた。下手の傍には、喜代さん、あんたがいたわよね。レコード係で。ほかの座員さんは全部舞台にいた。鳥屋の切穴から出ても、外に出るには、喜代さんのうしろを通らなくてはならなかった」 「それじゃ、城吉さんみたいに、床下にかくれていて、あとになってから、こっそり抜け出したんでしょう」 「何のために?」 「ドロンしたかったからでしょう。蘭之助の下でこき使われるのがいやになったんですよ」 「そんなことを、よく言えるわね。喜代さん、あんたが菊次さんやチーコを罵ったとき、蘭之助さんがあんたをなぐり倒したというの、無理ないわ。菊次さんは、座長の身代わりになって死んだのよ」  ばかばかしい、と、喜代は吐き捨てた。 「夜の部で、狐葛葉となって四綱をわたったのは、菊次さんだったんだわ。吹き火で失敗して、火花を吸いこんでしまい、どうにか絹梯子のところまで戻って、墜ちた」  喜代は、何か嘲笑うような表情を浮かべた。そう、わたしにはみえた。しかし、わたしは続けた。考え抜いた結論に、自信があった。 「前景で、二人は、たしかに、蘭之助さんが狐葛葉、菊次さんが保名《やすな》の扮装で舞台に出、上手袖にひっこんだ。わたしとセイさんはそのとき、菊次さんに、ちょっとレコードのところにお行きと言われた。理由をきいている暇はなくて、言われたとおりにしたわ。誰もいなくなった上手袖で、衣裳をとりかえたのね。袖に戻ってきたわたしとセイさんは、保名が切穴から奈落に下りてゆくのを見た。その保名は、実は蘭之助さんだった。菊次さんは被衣《かずき》をかぶり、舞台から引込んできた駕籠に乗る。駕籠から下り、悪右衛門をからかう間、被衣をかざしたままよ。被衣をとばしたときは、下手の梯子をのぼっているから、背中しかみえない。綱の上に立つと、この間のときでよくわかったけれど、スポットライトでは、顔はほとんどはっきりしないのよ。菊次さんは、蘭之助さんの吹替えをやるから、動きの癖をよくのみこんでいた。躯つきも似ていた。  蘭之助さんが、四綱を失敗して奈落に下り、姫の衣裳に早替りしようと思ったら、菊次さんがいなかったとか、いそいで下手の切穴から出て台所でうがいをしたとか、それは、蘭之助さんと、喜代さん、あなたが口裏をあわせただけよ。ほかに、自分の目で見たものはいないのよ。皆、舞台にいたから。  本当に起こったことは、こうなの」  奈落で、蘭之助は葛葉姫の衣裳に着替え、菊次のための保名の衣裳をかたわらに、菊次が絹梯子をつたってから井戸を下りてくるのを待っていた。  菊次は、墜ちた。身動きできない状態だった。  下手切穴から、喜代が駆け下りた。他の者は舞台に出ていて、かってに奈落に下りるわけにはいかない。喜代は、蘭之助が墜ちたと思いこんでいたので、倒れているのが菊次と知り、驚いた。すぐに、二人がいれかわっていたと悟り、息子の無事を喜んだ。  このことを公にするわけにはいかない。座長がお客をだまし、替え玉に危険な綱わたりをやらせた、しかも、その座員が墜ちて大怪我をした、というようなことが知れたら、市川蘭之助は卑怯なやつ臆病なやつ、と客から蔑まれ、見捨てられる。座員たちからも馬鹿にされる。あくまで秘密にしとおさなくてはならない。  桔梗座の奈落伝説を利用することを、どちらが思いついたのか。どちらが思いついたにせよ、保名の衣裳のあの形には、蘭之助の詫びの心がこめられていたのだと、わたしは思う。  二人で、狐葛葉の衣裳をぬがせた菊次の躯を二重壁のむこう側の蔭にかくした。壁に密着させて横たえれば簡単には目につかない。そうして、舞台をつづけさせた。  あとで、また、皆が奈落を探したわけだが、そのときも、喜代と蘭之助が、菊次の躯をかくしたあたりを受け持って、ここにはいないと言えば、すんだのだ。壁のむこうには、豆電球の灯もとどかない。  深夜、菊次は死んでいた。喜代と蘭之助は、奈落の二重壁のむこう、下が土の部分を掘り、菊次を埋葬した。  十万円持ち逃げしたというのも、喜代のついた嘘だ。金は喜代が保管しているのだから、ごまかすのはたやすい。  喜代が何か言いかけるのを、わたしは押さえた。 「菊次さんは、ひらがなは書けたのよ。壁のむこうに、身動きもできず声も出ず、ころがされていたとき、ようやく煉瓦を抜きとり、その裏に、小指の先でくちびるから擦《なす》りとった紅で『きよにころされる、きく』と書いて、また嵌《は》めたの。わたしは、それをみつけたわ」 「嘘おっしゃい。菊次は、墜ちて即死だった。死んだ人間に」言いさして、喜代ははっと口をつぐんだ。  喜代の躯が、羽毛を逆立てた猛禽のようにふくれあがった。血管が藍隈《あいぐま》を描いた。 「罠にはめやがって」  喜代は罵った。 「ええ、そうですよ。今さら隠すこたあないや。蘭之助はね、臆病風吹かせて——昼の部を一度やって懲りたんだ。どうしても二度めができない。四綱だけなら何度もやっている。吹き火が怖かったんだ。菊次が見かねて……替え玉をつとめた。  だいたい、あれは菊次が、父親ゆずりでおぼえていた芸で、自分でも何度も稽古していたんです。替え玉を使うなんてこと、蘭之助としてはだれにも言えやしませんよ。わたしも知らなかった。うまくいったら口をぬぐっているつもりだったんだろうけど、菊次が失敗した。ほんとに即死だったんです。首の骨を折ってね。秋子嬢さんも人が悪いや。きよにころされる、だなんて。ひっかかってしまった」  喜代は笑った。 「でもね、察してくださいよ。蘭之助のために隠しとおさなくちゃならなかったんです。二人でお題目となえながら、埋めました。夜なかに。あの事故と、菊次が消えたことになったおかげで、奈落は二度と使わないと社長さんが言ったから、安心しました。それだけなんですよ。死んだ人間をこっそり埋めただけです。座長とわたしは大部屋じゃなく、二つの座長部屋をそれぞれ使っていたから、ほかのに気づかれずに仕事ができたんです」 「気づいた人がいたわね。花六さん」  喜代はせわしなく眼を動かし、媚びるように笑った。 「脅迫されたんでしょう。だから、花六さんを殺し、セイさんを偽装自殺で犯人にしたてた」 「花六の野郎……。あれは、蘭之助がやったんですよ」  と、喜代は、わたしの顔色をさぐる。 「わたしみたいなちびな女に、何ができますか」 「躯は小さくても、あんたが力が強いのは知っているわ。重いタンバ(衣装箱)を一人でかついでいたじゃないの。実際に手を下したのが蘭之助さんだとしたら、どうして今ごろまた帰ってきて、城吉さんを殺したのかしら。そうして、殺されたのかしら」 「知りませんね」 「あれは、小菊ちゃんだったのよ」  わたしは言った。 「チーコよ。立花知弘は」  喜代は、ついに追いつめられた眼になった。  わたしは、思わず身がまえた。しかし、喜代は攻撃してはこなかった。わたしはつづけた。 「菊次さんは、弟にだけは、身替りになることを話した。やりおおせる自信があったんでしょう。けれんを伝授するつもりで、自分のやりかたをよく見ておけ、ただし、だれにも言うなと、口止めしたでしょう。菊次さんは、弟が自分から望んで一座に加わってからは、役者として大成させようと、厳しく仕込んでいたわ。四綱も折にふれ教えていたでしょう。  兄さんが蘭之助さんに不義理してドロンするような人じゃないことを、小菊ちゃんは充分知っていたわ。菊次さんは失敗した。でも、チーコは、まさか兄さんが奈落に埋められたとは……そんな酷いことをされたとは思わず、ひそかに運び出されて病院に連れていってもらった、というふうにでも思っていたんじゃないかしら。あとで蘭之助さんにたずねた。蘭之助さんは、菊次はドロンしたと言いはる。チーコは不審に思いながら、巡業についてまわっていた。身替りのことだけなら、蘭之助さんも、問いつめられたら小菊ちゃんには打ち明けたかもしれない。でも、殺人がからんでしまっていた。  しらをきりとおすほかはなかった。蘭之助さんは、舞台は投げる、荒れる、ひどい状態になっていたそうね。そのうち、小菊ちゃんは、真相を知った。あなたと蘭之助さんが罵りあっているのを洩れきいたんじゃないの。あなたたち二人の様子に注意していたでしょうから。  小菊ちゃんは、警察に訴えようとはしなかった。自分で復讐しようと決心した。訴えても、死体を埋めただけでは、たいした罪にはならないわ。小菊ちゃんにとっては、それが殺されたのと同じくらい口惜しいことであっても。花六さんとセイさんの事件は、一応解決がついたことになっている。それを警察がもう一度とりあげてくれるかどうかわからない。旅役者さんたちは、警察にはいやな思いをさせられることが多いから、小菊ちゃんは信用していなかった。嫌いだった。小菊ちゃんが気づいたことを知って、あなたは小菊ちゃんを殺そうとした」  飛躍した想像だけれど、真実を衝《つ》いていると、わたしは思う。喜代は、わたしがどこまで真相をつかんだか知ろうというのか、黙って聞いている。 「小菊ちゃんは、逃げた。いつか仕返ししてやる、と思いながら、日が過ぎた。そのうち、だんだん、ルーズになるわ。その日その日の暮らしに追われているうちに、大時代な復讐なんて、忘れがちになる。十五年。長いけれど、ほんの一瞬でもあるわ。顔に火傷を負ったショックを、彼は——立花知弘と名乗って東京で芝居に出ていた小菊《チーコ》は——菊次さんから責められた、と直感したんだわ」  だから、と、わたしは喜代を見すえた。 「あんたは、立花知弘を殺し、大月城吉を殺さなくてはならなかったのよ。チーコは、あなたが桔梗座で働いていること、蘭之助は消息不明なことを知っていた。蘭之助さんよりもあなたへの憎しみが、チーコは強かったと思う。あなたが黒子だとわかっていたから。あなたの前で四綱をやってみせることは、ゆさぶりをかけることだった。死んだ菊次がたちあらわれたように、四綱と吹き火を再現して、あなたを脅し、それから、たぶん、あなたを……殺すつもりだった。あの千秋楽は、立花知弘——嵐小菊と、あなたとの闘いだった。  城吉さんは、あらわれたのが誰だか、わかった。菊次さんと見まちがえたかもしれない。小菊と察したかもしれない。どちらにしても、蘭之助さんでないことは、城吉さんには明らかだわ。だから、あなたは、城吉さんを殺さなくてはならなかった。  姫村座長と立花知弘のかわした言葉、  本番のときは、兄さんからもらったお守りを身につけます。まだ春寒く温《ぬく》め鳥、放れ片野に余所目《よそめ》には。  色とみよりの片翅《かたつばさ》。  あれで、あなたは悟ったのね。お守りとは、お坊吉三の襦袢の片袖だ、それを小菊は荷物のなかに秘めているのだ、と。  あの片袖に、チーコは、兄さんを重ねあわせていたのだわ。姫村さんの身につけたものだから大事にしたのではなく、菊次さんのお坊吉三が千切った袖に見立てたのよ」  姫村に酷《むご》い言葉かもしれないと思いやる余裕を、わたしは持たなかった。  立花知弘は、姫村から借りた平打ちを女にやってしまっている。袖が姫村の身につけたものだから大切だというのなら、平打ちだって手放すはずはない、というのが、わたしの推論の根拠だった。 「あの袖は、あなたの首に巻きつけられるはずだった。それを、あなたは、城吉さん殺しに使った。一方で、立花さんの練白粉に農薬を混ぜた。あなたが楽屋でうろうろしていても、だれも怪しまないわ。  立花知弘は——小菊《チーコ》は、あなたの攻撃を充分に警戒して、お茶などには手を出さない、四綱も注意深く点検したけれど、使いなれた白粉は盲点になっていた。  あとで、あなたは死顔に薄化粧してやるなどと、立花さんの化粧箱をいじり、あなたの指紋がついていてもおかしくないようにした。  袖は、すぐにみつかるところにかくした。二人が殺しあったと警察が考えるような状況をつくったのね。  立花知弘は蘭之助だと、あなたは偽証した。城吉に殺された形で殺すつもりの立花知弘——小菊を、蘭之助といったのよ。立花知弘が蘭之助なら、母親のあなたが殺すはずはないと、皆思うもの」  だけど、と、わたしは詰め寄った。 「あとになって、消息不明の蘭之助さんがあらわれたら、困るわね。どうするつもりだったの?」  わたしは声を強めた。 「その心配はないのよね。蘭之助さんは、とうに死んでいるのだから。それも、公にできない死にかた。つまり、あんたが殺したのよ」  あんたが殺したのよ、と、わたしは指をつきつけた。憑《つ》きものでもしたように、あとからあとから、言葉は溢れた。  自分の声が野太い男の声に変わるような気がした。 「殺したよ。それが何だ」  喜代は、冰《こおり》のように居直った。 「あいつ、菊次を死なせた、奈落の底に放り棄てたと悔み、人殺しの片棒かつがされたとわたしを怨みぬき、荒れすさんで、あげくの果てに、せっかくの一座を潰しやがった。どうせ潰すものなら、菊次の葬いもしてやった。花六やセイ公を殺すこともなかった。何としても、市川蘭之助を、花の役者、花の座長で咲きとおさせてやりたかったからじゃないか。それを、人殺しの鬼婆呼ばわりしやがって、蹴るわ、なぐるわ、二人で安宿に泊まっているときだった。刃物まで振りまわし、殺されると思った。思わず、熱湯の入った鉄瓶両手に掴んで、投げつけたんだ。もろに顔にあたった。顔の骨が簓《ささら》に砕けた」  喜代は傘を閉じていた。濡れた髪が額にはりつき、水中に立つようだった。  足もとで、水に押し流される口ープがとぐろを巻いては伸び、うねった。 「蘭之助が、いま、どこにいるかって。わたし、あの子を葬ってやりましたよ。ここに。この奈落の地の下に」  わたしは、叫んだ。 「ライトバンね。衣裳箱《タンバ》にかくして、あのライトバンではこんできたのね」  喜代が運転してきたライトバンは、すでにスクラップだ。 「あんたのお母さんに手を貸してもらって、ここに埋めました」 「母が手を貸したって!」 「本当ですよ。だから、社長さんは、スーパーマーケットを建てる話をことわったんです。土台造りに、土を掘っくりかえしますからね、マーケットでは。駐車場なら、安心でしょう。奈落は、このまま埋め立ててしまいます」 「どうして、母が」 「知りたいですか」  後悔しますよ、というふうに喜代は笑った。 「秋子嬢さん、ひとつ忘れていますね。蘭之助が書いて、壁に秘めた書き置きは、どうなるんです。わたしは読み書きはろくにできないんですよ。だれが書いたんですか、あれは」  わたしに解釈のつかないことが、それだった。ほかのことで責めたてた上、それは喜代の口から白状させようと思っていた。 「母の字じゃないわよ」 「ええ。わたしが、お母さんに字を教えてもらいながら書いたんです」 「母が共犯だというの!」 「わたしは、こんなことは言いたくないけれど、あなたが言わせるんですよ、秋子嬢さん。シューコちゃん。あなた、好奇心が強くて、楽屋にあるものをいじりまわすのが好きだった。竹の、こんな小さい短い筒、おぼえていませんか。切口のすぐそばに節があり、小さい穴があいていた。あなたは、マッチの棒をつっこんで、中みをつついていた。わたしが怖い声を出して叱ったら、びくっとして、放り出して逃げていった。わたしも、あらためもせず、そのまま見過ごしてしまったんです。秋子嬢さん、吹き火の器具って、実際には知らないでしょう。どんなものか」  思い出した。喜代の見幕が怖かったので、その場面は記憶に残っている。しかし、あの事件と同じ日というふうにはつながっていない。手にしていたものが何だったのか、たった今、わかった。 「菊次が墜ちてから、あれを拾ったお客さんが、わたしに渡してくれました。火を吹き出す小さい孔に、マッチの棒が折れてつまっていました。吹いた息が通らないと、反射的に吸いこんでしまいますね」  すぐには、わたしもわかりませんでした、という喜代の声が、遠くなった。 「だんだんに、のみこめてきましたよ。菊次がどうして失敗したのか、墜ちたのか、死んだのか。でも、黙っていてやったんだ。蘭之助の骸をタンバにおさめてライトバンに乗せ、桔梗座に来てお母さんに会ったとき、わたしは、お母さんにだけは、吹き火の竹筒をみせて、すべて話しました。お母さんは、あなたの耳には絶対に何もいれない約束で、蘭之助を奈落に埋葬することを許してくれました。真夜中、穴を掘るのに手も貸してくださいましたよ。ほかに、埋めるところありませんもの。墓もないし」  喜代は舞台を下りた。後ずさりに歩き、天幕をかかげ、どうするのか、というふうに私を見た。わたしが動かないので、黙って出ていった。  蘭之助さん、蘭之助さん、と、立花知弘の躯にすがって取り乱して泣いた母は、小菊であることを承知していたのだ。  わたしの目をふさいでおくために、母は、次から次へとくりだされる喜代の殺人の絲に、我が身をがんじがらめにしていたのだった。  わたしも、傘を捨てていた。全身を、雨水が、喜代の手が這うように流れた。  屋根はないが、壁と扉だけ残っている楽屋から、レインコートを着た姫村が姿をみせた。喜代との対決が、ひとりだけではさすがに恐ろしく、大阪に電話をかけ、無理を承知で、桔梗座に来てくれるよう頼んだのだ。  姫村は、熱があっても休むことのない舞台を、快く一日だけおりてくれた。始発の飛行機で来て、最終便で帰る予定であった。母に顔もみせず、楽屋にひそんでいてくれた。 「気にしないで」  と、姫村は言った。 「子供のときに、何も知らないでしたことだ。たいしたことじゃない」 「いいえ」 「あの女、どうします」 「わたしには、何も言えません」 「放っとくわけにはいかない」 「そうなんでしょうね」  わたしは呟いた。放っておくわけにはいかないのが、世間の常識なのだろう。  わたしは、いま、その外にいる。 「うちにお帰りなさい」 「ええ、もう少しあとで」  気がかりなように姫村はわたしをみつめ、舞台を下り、天幕の外へ、喜代を追っていった。  一番弱い人間を、わたしは殺したのだ、と思った。  セイさんを殺したのは、わたしだった。  舞台を下りた。  見返ると、降りしきる雨の紗幕のむこうに、空《から》の舞台があった。  そこに、わたしは、孔雀の振袖をひるがえす蘭之助を見たいと思った。刃を岩に打ちつける菊次を見たいと思った。奇妙に明るい笑顔の小菊——立花知弘を見たい、とひたすら思った。  だれひとり、あらわれては来ず、わたしの目は、燃えさかる炎を、見た。  炎に包まれ、両手を天にさしのべるわたしが、いた。  瑠《る》 璃《り》 燈《とう》  おや、と、目をこらした。  客席の奥正面、塗りこめられた闇のむこうに、蛍火《ほたるび》のような仄明《ほのあか》りが……。錯覚か。みつめると、消えた。  熱い……。  背から足もとから、焔《ほのお》に焙《あぶ》りたてられる。  この熱さは、予想していないものだった。  着流しに頬かぶり、二升入りの油樽《あぶらだる》を持った『|女 殺《おんなころし》|油 《あぶらの》地獄《じごく》』の与兵衛のこしらえで、城太郎は舞台|下手《しもて》の天水桶《てんすいおけ》のかげに身をひそめている。  背景の道具幕の前に、三段に吊り下げられた百数十本の小|蝋燭《ろうそく》、そうして、舞台前面に並べられた数十本の太い和蝋燭。これが、この夜の芝居の、照明のすべてである。見物席の奥までは、光はとどかない。舞台にいる彼に見えるのは、前二、三列の客ばかりで、大半は濃い闇に溶けこんでいる。夥《おびただ》しい蝋燭は、蝋涙《ろうるい》をしたたらせながら、ゆらぎ、なびき、また立ち直り、仄かに浮かぶ前列の客の顔は、かげろうの向こうにあるようだ。客から見れば、舞台の役者たちが、夢幻のゆらめきのなかにあるのだろう。  これほど深い闇を相手に舞台に立つのは、はじめてだ、と城太郎は思う。いつもなら、最後列の客の顔まで見わけがつく。彼がふだん立つのは、定員二、三百人の小さい劇場《こや》や、温泉センターばかりである。観客の反応は、肌に潮が寄せまた引くように、ありありと感じられるのだが、この闇は、客の感情まで吸いとって無にしてしまうようだ。  見物席には限界がない。野舞台なのである。役者が演じる間口《まぐち》十メートルほどの舞台は屋根があるが、見物席は地面に蓆《むしろ》を敷いた露天《ろてん》なのである。  古風な蝋燭芝居には、近松の浄瑠璃《じようるり》物よりも、蘭平物狂《らんぺいものぐる》いか夏祭りのような、はでな立ちまわりのあるものの方が効果的なんとちがいまっか、と座員のなかでも最古参の仙八などは言ったのだが、城太郎は、油に滑《すべ》りながらの与兵衛とお吉の凄惨《せいさん》な殺し場を、蝋燭の妖《あや》しいゆらめきのなかでやってみたかった。  女殺油地獄は、別れた前の女房、市川|椿《つばき》を相手に——というより、椿に教えこまれて——何度か演じているが、蝋燭の灯をたよりにやるのは、はじめてである。  いまのような電気の照明のなかった近世、江戸では芝居は早朝から夕方まで、ほとんど自然光をたよりに演じられたが、上方《かみがた》では夜の興行をゆるされていたので、蝋燭による照明法が発達したのだそうだ。  背景に吊り下げられた無数の蝋燭を「瑠璃燈」、舞台前面に一列に並べたフットライトに相当するものを「いざり」、そうして見得をきるときなどに黒衣《くろご》が役者の顔の前に差し出してスポットライトの役をさせる長柄《ながえ》のついた台に蝋燭を立てたものを、「面灯《つらあか》り」とか「差し出し」とか称した。  このような知識を彼に与えたのも、椿であった。椿は子供のころ、蝋燭だけを照明にした小屋に出たことがあると言った。戦後まもない、停電つづきのころの話かもしれない。城太郎は、まだ生まれていなかった。彼は、椿より十三年下であった。  与兵衛の継父河内屋徳兵衛が、下手から登場した。仙八が演じている。 「七左衛門殿、もうお仕舞かな」  上手《かみて》から、豊島屋《てしまや》七左衛門の女房お吉が登場し、 「まあ、徳兵衛さん、うちの人は、さっき帰ってきましたが、また、出かけてしまいました」  大根、と城太郎は天水桶のかげで顔をしかめた。口立《くちだ》ての旅芝居のことだ。近松の書いたとおりのせりふをおぼえろとは言わない。その状況に応じたことを喋《しゃべ》ればいいのだけれど、あれじゃあ、浄瑠璃物の情感など、あったものじゃあない。  このお吉に扮《ふん》したカオルは、まだ二十四。城太郎より十四も年下なのである。子供が三人いる年増の女房をそれらしく演じるのはむずかしいだろうが、もうちっと何とかならへんのか。女子高生の学芸会だ。  お吉は、与兵衛より年上の女なのである。  与兵衛は、放埒《ほうらつ》で淋しがり、やや虚無的なところもあるといった、現代の不良少年にも通じる性格の若者である。城太郎は、現実の年齢は三十八になるが、舞台では二十二、三の甘えと衒気《げんき》を持った若者になりおおせる自信があった。しかし、カオルが小娘の地をまる出しなのだ。  父親が死んだ後、母親が店の番頭徳兵衛を夫にし、河内屋の主人にしたこともあって、与兵衛はぐれてしまい、女遊びはする、金づかいは荒い、喧嘩はする、ついに母親に勘当される。  日ごろ懇意《こんい》な油屋豊島屋の女房お吉に、与兵衛は甘えて、何かと世話をかけている。一幕目に、喧嘩をして泥まみれになった与兵衛の着物をぬがせ、お吉が泥を拭いてやるなどの場面がある。  姉と弟のように、どちらも不倫《ふりん》の意識はなく、世話をやき、甘えるのだが、色ごとと紙一重の危うさもひそんでいる。  勘当され、銀二百匁の借金の返済を迫られて切羽つまった与兵衛が、お吉に金を貸してくれとたのむが、夫に不義を疑われては困ると、お吉はことわる。与兵衛は短刀でお吉に斬ってかかる。お吉は油樽を投げつけて逃がれようとし、流れる油にこけつまろびつの殺し場となる。  型だけで見せる芝居ではない。息子がかわいくてたまらないのに、つれあいの徳兵衛に遠慮して、勘当までもしなくてはならない母親、もとをただせば主人の息子である与兵衛に対する徳兵衛の苦衷《くちゆう》、甘やかして育てられ、自分のなかの衝動にひきずりまわされる、威勢よく向こうみずで淋しがりの与兵衛、豊満な色気を持ち与兵衛をいとおしみながら、自分ではそれと気づかず、家と子供を守ろうとして殺されるお吉。近代劇のように、それぞれの性格の造形が必要なのであった。  舞台は、最終の三幕目であった。お吉に金を借りに来た与兵衛が、父親がやってくるのを見かけ、慌てて天水桶のかげにかくれる。父の徳兵衛はお吉に、与兵衛がここに来たら、家に戻るように言ってくれ、そうして、与兵衛にこれをやってくれ、と銭三百をわたす。そこへ母親のおさわが来て、与兵衛に義理立てするなと、徳兵衛を責めるが、そのおさわも、与兵衛にやるための銭五百を持ってきていることが明らかになる場面である。  徳兵衛、おさわ、お吉のやりとりがつづいている。  天水桶のかげで、城太郎は、椿とはじめて油地獄を演じたときが思い出されてくるのを止められない。  椿の前夫市川蝶六が座長であった一座に城太郎が入座したのは、彼が九つのときだった。椿はそのとき二十二、蝶六座長は四十を過ぎていた。  城太郎の両親も旅役者であった。大酒飲みだった父親が死ぬと、母親は城太郎を伴なって蝶六の一座を訪れた。母親は以前、蝶六と同じ座にいたことがあった。  ほな、頼んます。  これなら、米櫃《こめびつ》になりそうやな。  狭い楽屋で、母親と蝶六がそんな会話をかわすのを、城太郎は傍《かたわら》で膝をそろえ、きいていた。蝶六は突き出た額の下に眼窩《がんか》がくぼみ、鼻の穴がひらき、反歯《そつぱ》という醜男《ぶおとこ》だが、舞台では妙な色気があり、贔屓《ひいき》もついていた。だが、蝶六の一座の人気は、そのころは、椿でもっていた。色が白くゆったりした躯つきの椿が隣りに坐ると、城太郎は、子供ながら性的な衝動を感じた。  子役が一座の『米櫃』になるのは、どこの座も同じである。三つ四つの幼い子が化粧して扮装をこらし、帯や鬘《かつら》が重くて身動きもできず、伴奏のレコードにあわせてただ首を振っているだけでも、見物からの祝儀《しゆうぎ》は座長よりたくさんもらえる。  城太郎も、自分が米櫃であることは心得ていた。祝儀は、あとで大人にとりあげられることも。  彼をおいて、母親は去った。一時あずけられたのではなく、放り捨てられたのだと、じきに悟らざるを得なくなった。興行先で知りあった男の後妻におさまるために、子供が邪魔になったのだと、おせっかいに、蝶六の一座の者が彼に教えた。  蝶六はぞろっぺえで、ろくに稽古《けいこ》はしてくれなかった。城太郎は独りで踊りのふりを考えた。彼のもらう祝儀は蝶六の飲《の》み代《しろ》になった。蝶六は意味もなく彼をなぐった。椿も彼を打つことがあった。せりふをとちったり、踊りがまずかったりしたとき、幕がひかれたとたんに、平手で頬をはった。物差しで叩きもした。しかし、椿には、城太郎を厳しく仕込んで上手な役者に育てあげるのだという意気ごみがあり、叩いたあとで菓子をくれたりした。十二、三になると、彼は、菓子のような子供だましは欲しがらなくなった。椿は赤く腫《は》れた物差しの痕《あと》にくちびるをあてた。  いくら修業のためと自分に言いきかせても、叩かれるたびに、怒りは腹にたまりこんだ。肉体よりも、自尊心を叩きつぶされる感じがした。叩かれて、彼の自尊心、矜恃《きようじ》は、いっそうかたくなになった。  城太郎が十七の年、椿は、蝶六の持ち役であった油地獄の与兵衛を、城太郎にゆずらせた。  椿は三十、蝶六は五十に近くなっていた。白塗りの白粉《おしろい》がかえって皺《しわ》を目立たせる、小柄で金壺眼《かなつぼまなこ》、反歯の蝶六が、「不義になって貸してくだされ」と椿のお吉にしなだれかかると、客は笑った。かつての色気は消え、醜《みにく》さばかりが目立つのだった。  城太郎の初役の与兵衛は成功した。  わやくを言うのも甘えるのも、喧嘩|三昧《ざんまい》も女遊びも、その底から、淋しさが滲《にじ》み出て、客の同情をひいた。  星のような灯りが、闇の客席のむこうに、一つ、二つ……。三つとかぞえようとすると、淡《あわ》い幻のように消える。そうして、また一つ……。  現実の舞台では、与兵衛の母のおさわが、 「ムウ読めた。また与兵衛が事くやみにか。いかに継《まま》しい子なればとて、あんまりに義理すぎますぞえ」と、徳兵衛を責めている。  天水桶のかげで出のきっかけを待つ城太郎の眼裏には、かつて椿と演じた、一幕目のお吉とのからみが浮かんでいる。  喧嘩のあげく泥まみれになった与兵衛の城太郎を、お吉の椿がしげしげと見て、  ええ、もう、しようのない。顔も躯も泥だらけ。気でも違いはせぬか。  そう思わっしゃるのはもっともじゃ。いま喧嘩して泥をつかみあい、参詣《さんけい》の侍《さむらい》にその泥がかかって、それで下向《げこう》には切られるはず。お吉どの、どうぞ助けてくだされ。頼みます、頼みます。  ほんにあきれたお人じゃなあ。そのようなことばかりしていやしゃんすと、末には親御の病になりますぞえ。……ここの茶屋の奥を借りて、まあ、はだかにならしゃんせ。泥をぬぐうてあげましょう。  せりふの上だけのことである。つれだって上手にひっこんでも、裸になるわけでも、椿の手で躯を拭《ぬぐ》われるわけでもないのだが……。袖《そで》かげに入ったとき、椿の手は、城太郎の着物の前を、風が吹きすぎるような軽さで、撫《な》でた。彼は、躯の昂《たか》まりをさぐりとられ、肌が熱くなった。  蝶六は、お吉の夫豊島屋七左衛門の役にまわっている。お吉と与兵衛のあいだにあらぬ疑いをかけて嫉妬《しつと》する男である。  奥で何をしておった。エエ、おのれ、腹が立つ。  わたしが与兵衛さんと奥にいたを、疑わしゃんすのか。アア、あほらしゅうもない。  おのれ、その口を。  と、立ちかかるのを、与兵衛の城太郎がとんで出て押さえ、  これ、七左衛門どの、まァ、わけをきいてくだされ。  と、事情を話し、  なんぼわしでも、こないな子供のある女を。……まっぴらごめんやす。  せりふを言いながら、城太郎は思わず、くすっと笑ったのだった。子供こそないが、椿は三十女なのだ……。  椿と蝶六が夜をともにしている気配は、まったく見られなくなっていた。城太郎は、女の躯はとうに知っていたが、椿に抱かれた夜、禁断という薬味で濃厚に味つけされた性の旨《うま》みをはじめて知った。  城太郎が主役をつとめるようになって、人気はいっそう高まった。  城太郎が十八になった年、蝶六は死んだ。椿は彼を座長にすえた。それは、椿の公の夫になることでもあった。  闇は濃さをかさねる。  下廻りが黒衣《くろご》の姿で身をかがめ、「いざり」の蝋燭の芯《しん》を切り、袖にひっこむ。  闇のむこうに、星が数を増した。  いや、あれは星だろうか。淡く、滲んだような光である。ほそぼそとゆらめいている。  舞台の蝋燭の灯が遠い昏《くら》い鏡にうつってでもいるように。  道具幕の前に吊された瑠璃燈は、あるときいっせいに焔と焔がつらなりあい、一大|火焔《かえん》となって燃えあがりそうな猛々《たけだけ》しさを、華奢《きやしや》な光のなかに秘めている。  本火の使用が消防法で禁じられたのは、この、火の魔性を知る者がいた故かもしれない。  禁断の蝋燭芝居が、ただ一夜をかぎって、許可された。  この町の、人家を離れた山間《やまあい》に、朽《く》ちかけた野舞台があったためである。  かつては、神社に付属し、祭礼のときなど地芝居が奉納されたという。いつの建立か、記録はないが、神社の方はすでに消滅している。どこかに移されたのかもしれない。地芝居もとだえ、野舞台だけが、こわれかけた納屋のような姿で残されている。屋根は瓦《かわら》に葺《ふ》きかえられてあるが、颱風《たいふう》などでくずれたのがそのままで木の下地が見えているし、羽目板も破れて雨風が吹きこみ放題である。劇場建築史の専門家が見れば、なにがしかの価値があるのかもしれないが、地元では、近々とりこわすつもりでいる。  城太郎の一座は、この信州の温泉郷のはずれにある温泉センターに、一箇月の契約で興行に来ている。センターの館主と雑談しているとき、蝋燭芝居の話題になったのは、何がきっかけだったろう……そう、六十代の戦中派である館主は芝居好きで、若いころ、蝋燭芝居を見たおぼえがあると言ったのだ。城太郎が、自分では目にしたことのない蝋燭の照明に心をひかれつづけてきたのは……椿の話が印象に強く刻まれたせいだ。見たことがないだけに、いっそう、宙に吊された無数の蝋燭と、ルリ燈という言葉のひびきの美しさに、魅せられたのだ。  貧しい、侘《わび》しい旅芝居である。大劇場のような多彩な照明は望むべくもない。どの小屋も、色の変化の機能を持たない光量を絞《しぼ》ることもできない単純な投光機が一台、あるだけなのだ。そんな貧弱な機械にたよるよりも、素朴な蝋燭の光の方が、どれほど華麗なことか。  消防法の壁は厳しいし、城太郎も、火災を起こさない自信はなかった。  まあ、あのボロ小屋なら燃えたところで、と、館主は言った。附近に人家もない。見物は野天にいるのだから、舞台の羽目板に火がうつっても、安全だ。万一の場合、すぐに消火できる態勢にしておこう。寿命尽き、木《こ》っ端《ぱ》になるばかりの舞台が、死にぎわのいっとき、最後の綺羅《きら》を飾るのだな、と芝居好きというだけあって、館主は年に似合わぬことを言った。  野舞台は、町の所有物である。館主は町会議員でもあったから、町議にかけ、消防署の許可をとった。大都市とちがい、署長と館主の個人的なつきあいも深い。見物にも出演者にも危険はない、と見きわめた上で、一夜をかぎり、許可がおりたのであった。地元の人々も好奇心や興味を持ち、朽ちた舞台の整備、蝋燭の調達に手を貸した。この夜の芝居は、町費で買い切りということになった。  じゃらん、と音がした。与兵衛の母親おさわの懐から、五百の銭が落ちたのである。  これは何じゃ、と詰《なじ》る徳兵衛に、 「与兵衛めにやりたいばっかりに、わたしが店のかねを盗みました」と、おさわは詫《わ》び入り、「たとえあの悪者め、周梨槃特《しゆうりはんどく》の阿呆《あほう》でも、阿闍世太子《あじやせたいし》の鬼子でも、母の身でなんの憎かろう。いかなる悪業悪縁が胎内にやどって、あの通りと思えば、不便《ふびん》さ可愛さは父親《てておや》の一倍なれども、母が可愛い顔をしてはと、わざとにくい顔をして、ぶっつ叩いつ追い出すの勘当のと、酷《むご》う辛《つろ》うあたりしは、継父《ままてて》のこなたにかわいがってもらいたさ。ゆるしてくだされ、徳兵衛どの……」と、かきくどく。  カオルのお吉が、 「親の気持はありがたいものですね。思わずもらい泣きしました」  どうにも学芸会だ、と城太郎は内心吐息をつく。  椿のお吉は……と、また思い出す。  別れたいと言ったのは、城太郎だ。椿は、無言だった。一言も彼を詰《なじ》りはしなかった。  去年である。彼は三十七。椿は五十。十三の年の差が、無惨な亀裂《きれつ》をひろげていた。  別れてカオルを妻にむかえたために、座員は分裂し、城太郎と行をともにしたのは五人ほど。弱小な劇団に転落した。贔屓も少なからず離れた。  カオルは、東京生まれの東京育ちである。両親は旅役者なのだが、父親はカオルが六つの年に死んだ。一座をひきついで座長となった母親は、娘を堅気《かたぎ》にしたく、実家にあずけた。祖父母に育てられて、カオルは、中学、高校から短大にまで進んだ。短大を卒業すると、おもしろそうだと言って、母の一座に加わった。母親はがっかりするのと嬉しいのと、半々の心境であった。東京で座長大会があったとき、関西から上京して参加した城太郎は、カオルと親しくなった。短大出ときくだけで、城太郎はいささか眩《まぶ》しかった。  カオルはすらりと背が高く、小さくしまった顔に、くっきりした目鼻立ちで、体操の選手か何かのように溌剌《はつらつ》としていた。くったくのない大声で笑った。  楽屋で、カオルの顔を、城太郎は作ってやった。眼を閉じ、ちょっと唇をひらいて上向いたカオルは、キスを待っているように、城太郎には感じられた。  徳兵衛とおさわが下手に退場するのをきっかけに、城太郎は立ちあがり、門口をあけ、 「七左衛門どのはお留守かな」 「どなた?」  と、カオルがふりかえる。 「お吉さま、わしでござんす」 「なんだ、与兵衛さんか。驚きました。さあ、どうぞ」  ——驚いちゃったわ、と言わないだけ、上出来か。 「ちょうどよかったわ。この銭八百、あなたにあげてくれと」 「これが、親たちの合力《ごうりき》か」 「たいせつなお金ですよ。これをもとでに一かせぎして、立派になっておうちにお帰りなさいね」 「いかさま、よう合点《がてん》いたしました。ただいまより真人間になって孝行をつくす合点なれど、肝心《かんじん》お慈悲の銭がありませぬ」 「え?」 「というて、親兄には言われぬ首尾。さだめてお内方には売《う》り溜《た》め掛《かけ》の寄《よ》り金《がね》もあるはず。新《しん》でたった二百匁ばかり、勘当のゆりるまで、どうぞ貸してくださいませ」  それそれそれ。奥を聞こうより口聞け、どこに心が直りました。  闇のむこうから……椿の声だ。  いや、闇ではなかった。  遠い鏡を見るように、見物席の彼方に、瑠璃燈が煌々《こうこう》と映えた。数百か数千か、数えきれぬ灯明《ほあか》りに照らし出された舞台が、闇の見物席を川と見るなら、その対岸に……。  三十代の豊潤《ほうじゆん》な、椿が、お吉のこしらえで立ち、此方《こなた》の城太郎に呼びかける。 「うそにも金を貸してくれとは、言われぬ義理ではござんせぬか。世間の義理かいても、金借りて悪性所《あくしようどころ》の払いして、あいもかわらず行く算用でござんすか」 �悪性所の払い�と言うとき、お吉の無意識の嫉妬をたくみにのぞかせる。  城太郎が贔屓の女客と夜遊びに出るとき、椿は、せえだい、おきばりやっしゃ、と冷たく言った。行くなとは言わなかった。  ああ、蝋燭芝居とは、このように見えるものなのか、と、城太郎は感嘆して向こうを眺める。  舞台に立っていては、見物の目にどううつるか、客観的な視座を持てない。  対岸の無数の瑠璃燈は、生あるもののように、繊細な動きを見せる。  いざりの灯は下から照らしあげ、瑠璃燈は背後から照らす。人間は、光にふちどられた影のように立ち…… 「なるほど、うちには売り溜め掛の寄り金、上銀五百匁あまり、銭もありはあっても、夫の留守に一銭も貸すことはできませぬ。いつぞやの野崎参り、着る物洗うて進ぜたさえ、不義したと疑われ、その言いわけに幾日《いくにち》かかったかしれませぬ。思い出しても身がちぢむ。帰らぬうちに、その銭もって早く去《い》んでくださいませ」 「不義になって、貸してくだされ」  城太郎は、闇のむこうの舞台にいる椿に手をさしのべた。  不義になって、貸してくだされ。  椿の胸にしなだれかかったときの、乳房の弾力がよみがえる。よいかげんになぶっておかしゃんせ、声をたててわめくぞえ、と、芝居の仕草、片手で突き放しながら、そのとき椿のもう一方の手は城太郎を淫《みだ》らにさぐった。 「死んではこの金親仁《かねおやじ》の難儀にかかること、不孝の上ぬり、身上の破滅。思いまわせば死ぬにも死なれず……」  昏《くら》い川のむこうに、城太郎は呼びかける。 「と言うて生きてもいられず、詮方《せんかた》つきてのこの御無心。なければ是非もない、ある金たった二百匁で与兵衛の命、つないでくださる御恩徳、黄泉《よみじ》の底まで忘れましょうか。お吉さま、この通りでござります。どうぞ貸してくださりませ」  ——姉さん、たのむ。拝むよ。悪いのにひっかかって、耳をそろえてかねを出すか、指をつめるかの羽目なんだ。  まだ、蝶六が座長だったころだ。座長であると同時に太夫元《たゆうもと》も兼ね、金銭の出入りは蝶六が握っていた。 「ホホホホ、まがまがしい、あの嘘わいの」 「嘘じゃない、嘘じゃない」 「嘘じゃ、嘘じゃ、嘘じゃ。この上|尾鰭《おひれ》をつけて言わしゃんしても、ならぬと言うたらなりませぬわいなあ」  ——頭をさげる城太郎に、一座でだれより収入《みいり》がいいのはおまえなのに、と椿はちょっと淋しそうな笑顔をみせた。一月《ひとつき》の興行で城太郎が贔屓から贈られる祝儀のたかは、入場料の総額を上廻ることもあったのだ。洋酒だの莨《たばこ》だの衣裳だの、みな、もらいものでまかなえた。子供のころのように、大人たちに祝儀をとりあげられることはなくなっていたし、蝶六も椿も、筋骨のたくましくなった城太郎に手をあげることはできなくなっていた。しかし、幼時の記憶は魂《たましい》のゆがみそのものなのだ。城太郎は決して陰湿な恨《うら》みがましい性質ではなかったが、いまさら虚心にはなれない。  悪質な賭博《とばく》に手を出し、城太郎がそのころ身動きがとれなくなっていたのは事実だった。指をつめるぐらいじゃあすまねえんだ。命が危い、と城太郎は言った。少し待っておくれ、何とか工面しよう、椿は衿元《えりもと》に顎《あご》を埋めて言った。  その三日後に、蝶六が死んだ。  深夜、移動のトラックの荷台から、走行中に転落したのである。泥酔していた。荷台に人が乗ることは、すでに禁止されていたが、蝶六はいつも、酔うと荷台で手足をのばしたがった。  大型トラック一台とライトバン二台で、北陸の、車の往来のとだえた道を走っていた。城太郎はライトバンを運転し、もう一台のライトバンが前に、トラックは最後尾につらなっていた。  トラックの運転は若い下廻りで蝶六と椿が同乗した。ほかの座員は二台のライトバンに分乗していた。  トラックが追い越しをかけてきたので、城太郎は道をゆずった。トラックは二台のライトバンのあいだに割りこんだ。  荷台には、衣裳ケースやら小|箪笥《だんす》やら、世帯道具から小道具まで、積みあげてある。衣裳ケースを三つ四つ積んでロープをからげた上に、何か黒いものが乗っている、と目をこらしたとき、車が揺れ、それは、はねとぶように地上に落ちた。  座長だ、と、彼は認めた。そのとき、足はアクセルを踏みこんでいた。  隣りのシートに坐っていた座員は、後に、城太郎に有利な証言をした。とっさのことで、よけることもブレーキもまにあわなかった。不可抗力だ。しかも、転落して道路に叩きつけられたとき、複雑骨折し、頭蓋骨《ずがいこつ》も陥没していたから、城太郎のライトバンの轍《わだち》が轢《ひ》かなくても、すでに致命傷を受けていたと、医者の証言もあった。  泥酔した蝶六が荷台に乗るのをとめなかった椿と下廻りの責任も問われたが、これも、法的な制裁を受けることはなかった。  地に叩きつけられた蝶六を見たとき、あとの処置はおまえの番だよ、と、椿にバトンを渡された、という感じに、城太郎はつき動かされたのであった。それ以上、何をためらう暇もなく、アクセルを踏んでいた。すぐに、ブレーキに踏みかえた。とんでもないことを! と、ぞっとした。  ほとんど正体のなくなった蝶六を、途中で休憩したときに、椿は、衣裳ケースの上に押しあげたのだ。そう、城太郎は確信する。どうしてあのとき追い抜きをかけたのだとトラックを運転していた下廻りに、城太郎はあとで訊《き》いた。ひっこぬけ、と、助手席で椿がけしかけたのだと、下廻りは言った。  蝶六が溜めこんでいた小金は椿のものとなり、椿の手から城太郎にわたった。蝶六の死について、二人は互いに何も言わなかった。  殺そうと思ったことなど、なかった、と、城太郎は言いたい。母親に放り棄てられた口惜しさ、哀しさ、それは、何かにむかって、いつかはぶつけずにはいられないものではあったかもしれないけれど、こんな形で爆発するとは、思ってもいなかった。  椿の躯は、その後もしばらく、彼を惑溺《わくでき》させた。 「くどうは言うまい、貸してくだされ」  こちら側、城太郎の与兵衛の周囲は、すでに黒闇の一色である。対岸に華麗な灯はゆらぎ、椿のお吉が立つ。豊潤な椿の顔に、灯影は、五十を過ぎた女の疲れた翳《かげ》を、時おり重ねさせる。 「エエ、なりませぬわいな」 「そんなら、その代わりこの樽に油二升とりかえてくださりませ」  手にした樽をさしのべて、彼は、ふわりと闇の川をわたる。お吉と、むかいあって立った。燃えさかる瑠璃燈が身を焦《こ》がす。 「それは互いの商いのうち、貸し借りせんでは世が立たぬ。そんなら詰めてあげましょう」 [#ここから2字下げ] 消ゆる命のともし火は、油はかるも夢の間《ま》と、知らで升《ます》取り柄杓《ひしやく》取る。 [#ここで字下げ終わり]  お吉が油を計り樽に入れる、その背後に与兵衛はそっと立ち、懐中より短刀を抜いた。   灯《とも》しに映る刃《やいば》の光り……。  与兵衛がふりあげた刃が油にうつり、お吉は驚き、とびのいた。 「音ぼね立てるな!」  刃を突き立てる手応えはなく、城太郎は、ついと前にのめった。  死にともない。助けてくれ、椿。  野太い声は、蝶六か。  あきらめて死んでくだされ。口で言えば人が聞く。心の中でお念仏。これは、椿の声だ。  油樽がとび、油が流れた。 [#ここから2字下げ] 庭も心も暗闇に、打ちまく油流るる血、踏みのめらかし踏みすべり、身内は血汐《ちしお》の赤面赤鬼《あかづらあかおに》。 [#ここで字下げ終わり]  いや、血なんど流れていはしない。  どっと風が吹き、一面の瑠璃燈、いざり、はたはたはたと消えた。真の闇。  刃風が城太郎の頬を掠《かす》めた。  太い腕が、彼の咽喉輪《のどわ》にかかった。  あきらめて、死んでくだされ。  椿と蝶六の声が重なった。  生霊《いきりよう》と死霊、闇のなかで声をあわせた。死んでくだされ。  闇の客席を川と見るなら、その対岸に、蛍火が一つ、二つ……三つ、四つ……。  燦《さん》と煌《きら》めく瑠璃燈が、彼方の野舞台を明るく浮き出させた。舞台中央に立ちつくし、茫然とこちらを眺めるカオル。その眼に何がうつっているのか、此方の闇のなかにいる城太郎にはわかりようもない。  野舞台の瑠璃燈は、風に大きくゆらぎ、焔と焔がつらなりあい、一大火焔と燃えあがった。彼を呼ぶカオルの声を、かすかに聴いた。咽喉輪にかかった男の腕に力が加わった。  奈《な》  落《らく》  嵐《あらし》朝次という役者の名を、いまでもおぼえている人が、いるだろうか。  活躍したのは、わずか数年、それも、劇団には属していない、フリーだった。東京近辺の舞台、といっても、ほとんどが温泉センターだが、一箇月、ある一座といっしょにいたと思うと、二、三箇月姿を消す。ふいにまた、別の一座に加わって、センターの舞台に立っている、というふうだった。  旅芝居、旅役者という呼称は、近頃では大衆演劇と、いかめしい名にとってかわられようとしているが、私の血に溶《と》けこんでいるのは、旅であり、旅役者である。  嵐朝次は、突然、消えた。  旅芝居の狂言は、日替りである。一箇月、三十日の興行、前狂言と切《きり》狂言で一日二本、全部|外題《げだい》がちがう。やりなれたものなら、稽古《けいこ》もせずそのまま舞台《いた》にかけるし、座員になじみのない新作などであれば、前の日の舞台がはねた後、口立《くちだ》てで稽古して翌日の本舞台にのぞむ。座長が口頭で、せりふから仕草《しぐさ》まで説明し、座員はそれを頭にたたきこむのである。一つの劇団が三百本以上の演《だ》し物を持っているが、持ち外題は劇団のあいだで重複《ちようふく》するものが多い。  月に六十本の異なる芝居といえば大変なものだけれど、パターンはいくつか決まっている。  筋立《すじだ》ては単純で、冒頭を見れば、その後の展開、結末までみとおしがつく。山場《やまば》と山場のあいだのつなぎは、御都合《ごつごう》主義のいいかげん、と、あげつらえばきりがないが、行儀《ぎようぎ》のいい大劇場の舞台では消えてしまっている、観《み》る者の血を騒がせるセンシュアルな、もののけじみた力を、何人かの役者は確実に内在させていた。 『嵐朝次』がそういう役者だったかどうか、私には何とも言えない。お祝儀《はな》の額は、まあ、座長やその座の花形役者に次ぐくらいは、ついた。  どんな役もかなり達者にこなしたが、女形は嫌った。長身だから似合わない、と自分で言うのだが、周囲の者は、やらせたがった。  役者は嫌いだ、と、ときどき口にした。化粧はうとましい。そう言いながら、いざ舞台《いた》に立つと、あるひいき客の言葉を借りれば、�ぞっとするほど熱っぽい�芝居をみせた。  突然消え、それきりあらわれなくなった。     1  いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日は、雨の降るなか、お足もとの悪いなかを、当|菖蒲座《あやめざ》までおはこびくださいまして、ありがとうございました。お待たせいたしました。第一部前狂言、第二部歌謡ショー終了いたしまして、ただいまより、第三部|切《きり》狂言はお待ちかね『乱れ舞いお七と吉三《きちさ》』さっそく始めさせていただきます。未熟なところは見て見ぬふり、ただ、よいよいよいの御声援をよろしくお願いいたします。開幕に先きだちまして、主な登場人物と配役を申し上げます。……  舞台の袖《そで》に立つと、ひび割れた金属板を叩《たた》くようなひどいマイクを通した口上《こうじよう》が、耳によみがえる。  いらっしゃいませ、と、私は声に出してつぶやいた。  人気《ひとけ》のない薄暗い客席は、かすかな瘴気《しようき》をたちのぼらせる。窓も戸も閉ざされたきりである。定員五百名、詰めれば、一、二階あわせて七百名は収容できる軽い勾配《こうばい》のついた桟敷《さじき》の畳は、踏むと足型のとおりにくぼみ、湿気と黴《かび》のにおいを吐《は》き出す。  舞台の板は、さすがにしっかりしていた。腐蝕を寄せつけず、表面を覆《おお》った埃《ほこり》をぬぐえば、すぐにも所作《しよさ》ができそうであった。廻り舞台の盆《ぼん》や切穴《きりあな》の蓋《ふた》も、寸分の隙《すき》もなく嵌《は》まり、歳月による風化をみせない。  病み衰えたとはいえ、まだ、寿命尽きたわけではない小屋なのだ。人間でいえば古稀《こき》にあたる老齢だが、木造とはいえ、骨組みのたしかさは、近頃の、マッチ棒のような柱にうわべばかり飾り立てた建物の比ではない。  まだ、生きられる。しかし、劇場《こや》の真の生命である観客が、とうに消滅していた。  かつてこの桟敷を埋《う》め、役者とともに芝居のなかの生を生き、笑い、泣き、ひいきの役者に、自分の躯《からだ》を売って稼《かせ》いだ金を貢《みつ》いでいた酌婦《しやくふ》たち。鉱夫たち。みな、消えた。  もっとも、私は、彼らによって生き生きと華《はな》やいでいた小屋を知らないのだ。私が物心ついたころ、鉱山は閉山し、地元の人々は、冷暖房の設備も貧しい芝居小屋に足をはこぶより、テレビの前にくつろぐほうをとるようになっていた。  切穴の蓋の小さいくぼみに指をかけ、力をこめて持ち上げた。朝次に逢えるとしたら、ここ、この奈落《ならく》以外には考えられない。湿った土のにおいが濃くよどむ地下に通じる急な梯子《はしご》に、私は足を下ろしかけた。 「お待ち」  案のじょう、声がした。     2  菖蒲座の小屋主の息子である私と、小屋のお茶子《ちやこ》の私生児である朝次は、小屋を遊び場にして育った。  奈落は、禁じられた場所であった。ことに、舞台で芝居が演じられているときは、もぐりこむことを厳禁された。豆電球の弱い光に照らされるその薄闇の溜《たま》りは、芝居者たちの戦場であったのだ。  早替りの役者が、衣裳《いしよう》を脱ぎ替えながら馳《か》けぬける。半裸の男たちが、柝《き》を合図に盆を廻す。役者が乗ったすっぽんの迫《せ》り台を、男たちが四人がかりで持ち上げる。汗がしたたり飛ぶ。小さい子供がうろうろしていれば、はねとばされてもしかたがなかった。  禁じられたために、いっそう、二人の好む場所になった。ことに、私は奈落が好きだった。そこにいることの不安や薄気味悪さも含めて。一人だけで長時間いることは、怕《こわ》くてできなかった。私がいることに気づかぬ者が揚蓋《あげぶた》を落とし、上に物でも置いてしまえば、子供の力ではどうしようもない。地下の土牢《つちろう》に幽閉されたような状態になる。いくら好ましい場所だといっても、明るい日常への通路が確保されているという安心感にもとづいた上でのことであった。私はいつも、安全な逃げ道をつかんでいなくては、足を踏み出せないのだった。  叱《しか》られ、折檻《せつかん》されても懲《こ》りずに、私と朝次は奈落にしのびこんだ。  五つ……だったと思う。私と朝次は、そこで、男が殺されるのを目撃した。  大正の初期に建てられた菖蒲座は、そのころ——昭和三十年初頭——になっても、舞台機構の操作はすべて人力に頼っていた。  花道に切られたすっぽんの迫り台を上下させるのも、奈落で盆の力棒を押すのも、小屋付きの若い衆であった。  奈落は、周壁に沿って舞台を支える柱が並び、柱と柱のあいだに筋交《すじかい》がわたされ、花道の下の通路が洞窟《どうくつ》の枝道のようにのび、中央に盆の芯棒《しんぼう》ががっしりとそびえ立っている。芯棒から車軸状に突き出た八本の梁《はり》の先端に力棒が垂直に下がり、若い衆は力棒を抱きかかえ全身の重みをあずけるようにして押し廻す。盆のへりには滑車《かつしや》がとりつけられているので、上の飾り物が少いときは、四、五人でも廻せた。八人総がかりでなくてはびくともしないほど飾りが重いこともあった。周壁は土台が煉瓦積み、地上に露出する部分がコンクリート、境い目で煉瓦部分のほうが十五センチほどはり出している。若い衆たちが呼吸を荒げ盆を廻すとき、私と朝次は、背を壁にはりつけて、この出っぱりに腰かけ、土にとどかない足をぶらぶらさせながら、眺《なが》めていることが多かった。冬、奈落の底は、水のように冷気が躯のなかにしみこんだ。夏は、肌ぬぎになった若い衆たちの汗に濡《ぬ》れた背に、柱から柱にはりわたされたコードのところどころに灯《とも》された豆電球の弱い灯《ひ》が流れた。  黄ばんだ灯の光は、奈落の隅々《すみずみ》までは届かなかった。力棒にとりついた男たちが盆を廻しはじめたとき、闇の一部が佝僂《くる》のように盛り上がり、底闇から産み出されたように男がとび出して、若い衆の一人に躯をぶつけたのである。  私は、血はほとんど目にしなかった。何が起きたのか、理解さえできないほどであった。盆を廻す邪魔をして、あとでひどい叱責《しつせき》をくらうだろうに。私の心にまず浮かんだのは、そんなことぐらいだった。  男は若い衆たちの下敷きになり、とり押さえられた。廻りかけていた盆が途中で止まったのだから、上では当然驚いただろう。  若い衆たちが仕事をさぼることは、間々《まま》あった。小屋付きの彼らの給料はごくわずかなもので、月替わり、あるいは半月替わりで巡業してくる旅役者の座長がよこす祝儀が大切な収入源である。祝儀の額が思ったより少いと、盆を廻すきっかけをはずしたり、すっぽんのセリの上げ下げを、わざとがくがく揺らしたり、いやがらせに工夫《くふう》をこらすことになる。その手加減ひとつで、役者は舞台で大恥をかく。座長の祝儀を中継ぎしたものが、一、二枚|懐《ふところ》にとりこんでいた内緒《ないしよ》が露見《ろけん》するのも、こういうときであった。  このときも、切穴から下をのぞきこんだ座員は、若い衆が横着《おうちやく》をきめこんだと思ったもののようだった。異変を知って騒ぎになったのだが、客には動揺を与えぬよう、そのまま芝居は続けられたらしい。  小屋主である私の父をはじめ、小屋の者や劇団の手のあいた者が奈落にどやどや下りてきて協議する一方、若い衆たちは再び力棒を抱いて盆を廻しはじめた。上にひびかぬよう、声をひそめていた。まもなく、警察官が数人、下りてきた。奈落に通じる切穴は袖《そで》のかげにあるので、その出入りは客席からはみえないが、不穏《ふおん》な空気はつたわり、役者たちは事情を知って昂奮していたし、客には気の毒な舞台になったと、あとで耳にした。  兇器の刃物を、すばやく拾ってかくし持ったのは、私である。むしょうに欲しかったのだ。子供が拾ったとは、だれも気づかなかった。  あとで、ひそかに眺《なが》めた。白木の柄《つか》に、血の飛沫《ひまつ》が、愛嬌《あいきよう》ぼくろのように、残っていた。  事件の後も、何事もなかったように、私たちは奈落で遊んだ。  舞台を見るのも、私は、奈落にいるのと同様、好きだった。朝次を相手に、見おぼえた芝居をなぞって遊んだが、演じる場所は奈落にかぎられていた。広々とした舞台を使えばよさそうなものだが、開けっぴろげの舞台は、私にはおちつかなかった。開場前の舞台で所作のまねごとなどしていると、だれか彼か通りかかっては口をはさむのがうるさかった。私は、人に見せるために演じるのではなく、役の人物を、その時間本当に生きるので、見物衆は邪魔でもあり、気恥ずかしくもあった。奈落の閉ざされた空間なら、架空《かくう》の時間を生きられた。坊ちゃん、うまかね、などと、私を現実にひき戻す声は、そこにはなかった。三つ年上の朝次に、いやさ、お富、などと、白昼の光のもとで言えたものではない。  朝次は、妙に図太くしかも淡々《たんたん》としたところがあり、人前でも、やれと言われれば臆《おく》せず、声色《こわいろ》も仕草もやってのけた。ほめられても、べつに嬉しがるふうでもないのだった。  私はつくづく役者にはむいていないと思ったのは、七つか八つのころだったろうか、ある役者が面白半分に、私と朝次に舞台化粧をしようとしたときだ。濡れた刷毛《はけ》がべっとりと顔を撫《な》で、刷毛の巾《はば》に、真白い跡が額《ひたい》から顎《あご》まで立ったとき、私は悲鳴をあげた。理由もなく、鳥肌立ったのだ。  今にして思うと、私は、白塗りの化粧の持つ言いようのない力を、敏感すぎるほど敏感に予知してしまったのかもしれない。  仰々《ぎようぎよう》しく騒いで嫌がる私に役者は鼻白み、私を突き放して、朝次の顔つくりに専念した。朝次は眉《まゆ》が淡く、奥二重《おくぶたえ》で目尻が下がりぎみの、かわいげのある顔立ちだった。羽二重をしめただけで、やさしい目もとがひきしまった。  旅役者の舞台化粧は、毒々しい。歌舞伎のような白塗りに、アイシャドウ、付け睫毛《まつげ》という、和洋|折衷《せつちゆう》、鼻すじをことさら真白にたてる。その役者は、鼻梁《びりよう》の両わきと瞼《まぶた》の陰翳《いんえい》を紅《べに》できわだたせるという彼独特の工夫による化粧を、朝次の顔にうつした。  その日、私は、化粧をし羽二重をしめた朝次と、袖に並んで舞台を見た。  狂言は、『乱れ舞いお七と吉三』、お嬢吉三と八百屋お七を兄妹に仕立てた、旅芝居ならではの、奇妙なものであった。  八百屋お七の、人形|浄瑠璃《じようるり》の正式な外題は、『伊達娘《だてむすめ》恋緋鹿子《こいのひがのこ》』、現在は歌舞伎では、火の見櫓《やぐら》だけが上演される。本郷駒込|吉祥院《きつしよういん》の寺小姓吉三郎は、天国《あまくに》の名剣を探している。  みつからねば、明六《あけむ》つには切腹せねばならぬ。吉三郎といいかわしている八百屋の娘お七は、剣のありかを知ったが、暮《くれ》六つの鐘を合図に街の木戸がしまったため、吉三郎に知らせることができない。木戸を開けさせようと、お七は火の見櫓にのぼり、火事の知らせ以外には打ってはならぬ太鼓を、火刑覚悟で打ち鳴らす。  みどころは、櫓にかけつけようとするお七の人形ぶりである。  お嬢吉三の登場する『三人吉三《さんにんきちさ》|廓 初買《くるわのはつがい》』は、月もおぼろに白魚の、の名せりふで知られる。八百屋お七のラストの設定をもじって、お嬢吉三が、仲間のお坊吉三を逃すため、火の見櫓の太鼓を打つことになっている。  この二つの狂言を、強引によじりあわせて一つにした狂言を立てたのは、座長の叔父で劇団幹部の嵐仙龍であった。若い座長の後見役として、人気を守《も》りたてるアイディアを、何かと案出していた。  ふだんは立役《たちやく》専門の、座長嵐龍太郎をお嬢吉三にあて、男でありながら女装の賊、という、倒錯頽廃《とうさくたいはい》の毒に毒を重ねた魅力を存分に発揮させ、更に、柄《がら》が小さいために損しているが、二枚目から悪役、三枚めと、何でも達者にこなす嵐小龍を町娘お七に扮《ふん》させ、客を沸《わ》かせた。小龍は、朝次の顔化粧をした男である。お七の化粧を終えると、小龍と朝次は、素顔はまるでちがうにもかかわらず、兄弟のように——姉妹のようにというべきか——似かよった。  浅黄《あさぎ》と緋《ひ》の麻の葉の段鹿子《だんかのこ》の振袖に帯を胸高にしめた小龍は、袖では裾《すそ》をからげ暑がっていたが、柝《き》が入るとことさら小娘めかして出ていった。客席がどよめいたのは、股旅《またたび》やくざなどの小龍を見なれている目に、女形が思いのほかさまになってうつったからだろう。  悪役に追われ、大川端《おおかわばた》につながれた屋形船に逃げこむ。出て来やがれとどなるのに応じて、屋形船の障子《しようじ》が開き、すらりと土手に下り立ったのが龍太郎のお嬢吉三で、これが一八〇センチはある長身に、黒地に裾《すそ》模様の振袖、金の平《ひら》打ち簪《かんざし》の高島田、もともとが美貌である、客席に吐息が揺れた。  悪人を追い払った縁でお嬢はお七の家に入りこむが、仲間のお坊としめしあわせ、すきを見て、この家の有金を盗み出す魂胆《こんたん》、ところが、まことにいいかげんな手がかりで、お嬢が子供のころかどわかされ行方不明になっていたこの家の息子と知れる。そこへ、訴人《そにん》した者があってお嬢に討手がかかる。逃げるお嬢、あとを慕《した》って追うお七、引込みのとき、お七は、ああ、くたびれた、なれない役はやるもんじゃねえや、と裾をからげて臑《すね》を出した。もちろん、客の笑いを計算している。  その前にも、ときどき、わざと地を出しては笑いをよんでいたが、終幕、降りしきる雪のなかの人形ぶりとなって、私は目を奪われた。  あの太鼓、打たせてくれますか、打ってくれるか、打たせてくれますか、と、お嬢との掛けあいにつづいて、お嬢が人形|遣《つか》いをつとめ、背後からお七をささえる。髷《まげ》の根の仕掛けを解いて乱れ髪《がつたり》となった小龍は獅子のように頭をふりながら、龍太郎と一つ躯で、かくり、かくり、と中腰で跳び進む。  私は旅役者の芝居には赤ん坊のころからなじんでいたが、歌舞伎の名題《なだい》役者の舞台は目にしたことがなかった。まして子供のときである。小龍の人形ぶりの巧拙《こうせつ》はわからない。男が女に扮し、それが更に動きのぎくしゃくした人形に変化する、二重三重の妖《あや》かしにひきずりこまれた。しかも、人形は背後から、高島田の女装の賊に抱きすくめられ、あやつられているのであった。  人形でありながら、人間にちがいなかった。のけぞり、うつむき、長い重い髪を振りさばきながら、中腰で跳ねとび進む所作は、躯に大変な苦痛にちがいない。演技による表現ではない、生身《なまみ》の苦しさが、小龍の表情にあらわだった。前夜、暁け方まで小龍は酒をかっくらっている。二日酔いが苦痛を倍加していた。人形ぶりという窮屈な所作に閉じこめられたお七は、心はあせりながら躯が思うように動かぬ手負いに通じる悲愴美《ひそうび》をにじませていた——と感じたのは、私だけだったろうか。  背後から美しい町娘を抱きすくめた龍太郎の手と躯が享受《きようじゆ》している感触が、そのまま、私の躯につたわった。町娘ではあるけれど、筋肉のひきしまった男の躯でもあった。小屋の風呂で、私は小龍といっしょになったことがある。役者は紅白粉《べにおしろい》で湯を汚すので、町の湯屋では嫌われる。菖蒲座では、小さい楽屋風呂を備えていた。小龍は石鹸で濡れたあぐらのなかに、私をちょっと抱きこみ、すぐ追いやった。子供相手の、何げない仕草であった。  本歌舞伎の櫓のお七なら、花道の引込みで幕になるのだが、このお七は、捕手に斬殺され、その後、長襦袢《じゆばん》一つとなったお嬢吉三と捕手の立廻りがつづく。緋の長襦袢の裏に紫がちらりとのぞくという、色彩までもけれんたっぷりなのが、龍太郎の長身に映えた。     3 「暁《あき》ちゃん、その梯子《はしご》、下りたらいけんよ」  朝次の声が言う。 「何でね」 「下りたら、娑婆《しやば》へは戻れんもんね」 「よかよ。この梯子一つが、三途《さんず》の川かい。よかじゃろもん。下りたるばい」 「そうかい。下りてくれるかい」 「下りたるよ」 「下りてくれるかい」  奈落での二人の遊びに、新しいレパートリーが加わったのは、いうまでもない。  朝次はこの芝居ごっこに少しのうしろめたさも感じないようで、人前でも、みようみまねの人形ぶりを、平気で披露《ひろう》した。終演後、楽屋で車座になって酒を飲んでいる座員のところに行き、下廻りの一人にねだって人形遣いをたのみ、お七をやりかけた。仙龍と龍太郎が目でうなずきかわし、龍太郎が立ってきて、下廻りをおしのけ、朝次を背後から抱きかかえた。仙龍が口三味線をいれた。  坊ちゃん、何したとね。  小龍に顔をのぞきこまれ、私はいたたまれず、その場を逃げようとした。  まあ、来《き》んしゃい。  あぐらのなかに、小龍は私を抱きいれた。小柄だが腕の力は強く、私の身動きは封じられた。涙が頬に流れ出す前に、顔を洗ってきたいと思うのに。  一度見ただけで、ようおぼえたの。  蛙《かえる》の子やな。  朝次の母親を妊《はら》ませたのは旅廻りの役者の一人だということだった。  朝次、ほかに何ぞ踊れるか。  何でんリクエスト出してみらんね。  朝次は、平然と言った。  レコードの伴奏にあわせ、やくざぶりの伊那の勘太郎、いなせな火消しの野狐三次、女形の湯島の白梅と次々に舞踊ショーで見おぼえた振りに、あやふやなところはかってな振り付けを混《まじ》え、酔った座員の大仰《おおぎよう》な讃辞を、軽く受け流した。  坊ちゃんも踊ってみらんね。  踊りは好かん。  そんなら、唄わんね。  私は、眠がっているふりをした。  翌日、私は奈落で朝次を打ちすえた。  歌舞伎の『加賀見山《かがみやま》|旧 錦 絵《こきようのにしきえ》』を女やくざの話にうつしかえた狂言を、その日、見たばかりであった。夜の部の送り出しを終え、皆が楽屋でくつろいだり、夜遊びにくり出したりしているとき、私と朝次は地の底の私たちの世界にとじこもった。  歌舞伎の鏡山は、お家|横領《おうりよう》の一味である局岩藤《つぼねいわふじ》が、中老|尾上《おのえ》をおとしいれるため、尾上があずかっている蘭奢待《らんじやたい》の香木《こうぼく》を忍びのものに盗ませる。尾上が上使に香木の箱をわたすと、中に入っていたのは草履《ぞうり》である。岩藤は尾上の落度《おちど》を責め、草履で打擲《ちようちやく》する。尾上は自害し、召使お初が、岩藤を討ち果たして主の仇《あだ》をとる。  女やくざの世界では、賽《さい》ころのすりかえとなる。縄張り拡張をたくらむ女親分お岩が、人望あつい女貸元の賭場《とば》の壺振り、お龍の使う賽を、腹心のものに命じていかさま賽にすりかえさせておき、いんちきをしたと満座のなかで責め折檻《せつかん》、お龍は恩のある貸元《かしもと》の顔をたてるため、自害するという話にしてある。  座員一同、ごついのから無細工《ぶさいく》なのまで、全員女形にしてしまうというのが、この狂言のたのしさになっていた。  長脇差《ながどす》のこじりを、床についた手の甲に突っ立てて、ぐりりぐりりと力をいれる憎《にく》ていなお岩が仙龍、苦痛にみもだえるお龍が龍太郎、お龍の妹分、名もそのままお初を小龍という配役だった。  いかさま賽をつきつけられ、わたしは知らないと言いわけしても聞きいれられず、悪口雑言《あつこうぞうごん》を浴びせられ、痰《たん》まで吐きかけられたお龍が、思わず腰の長脇差に手をかけようとする。その手は。この手は……。その手は、何とした。さあ、さあ、と詰めよられ、この手は、こう地について、おまえさまにあやまる手にござんす、と、口惜し涙にくれながら、土に手をついた朝次の肩を、私は思いきり打ち叩いた。朝次が打ち返さなかったのは、小屋主とお茶子という、親の関係を、心のすみにとどめていたからではないかと思う。私はそんな意識など、毛ほども持ってはいなかった。  朝次が役者になろうかと迷っているのではないか、ふと気になった私は、狡猾《こうかつ》な言葉を口にした。小龍兄ちゃんに、芝居おそわらんね。二人して、と、もちろんつけ加えた。  場所は奈落、という条件に、小龍は不審《ふしん》そうに、何でね、ほんまもんの舞台があいとるのに。奈落が好きなんじゃ。よせ、よせ。あげな所。小龍は相手にしなかった。しかし、芝居の稽古をつけるということには興味を持ち、師匠《ししよう》づらして、私と朝次に、立ての歩けのと言いはじめた。私の目的は、地下の世界に小龍をもひきずりいれ、仲間にすることにあったのだから、まるで話がくいちがった。  リクエスト出してみらんね。おれ、小龍兄ちゃんの持ち役なら、全部、おぼえたばい。  朝次は、私の思惑《おもわく》には気づかないのか、気づいても馬鹿げていると無視したのか、昼の部がはじまる前のがらんと明るい舞台で、小龍を相手に『新・瞼《まぶた》の母』をやりはじめた。  私は袖に腰を下ろし、立てた膝をかかえてうずくまり、畜生、せり板はずして、切穴から落としたろうか、盆と穴のあいだに足はさませて、盆をまわしてねじ切ったろか、と、できもしないことを思い、胸がほむらだつのにまかせた。     4 「暁ちゃん、この小屋つぶして、駐車場にするて、ほんのこつかい」 「そげな話やね。小屋はもう、とうにおれの家のもんではなか。どげんなろうと、おれは知らんもんね」  霧のように闇が流れている。  一箇月の興行を打ちあげ、嵐龍太郎劇団が次の興行地にむかう夜、朝次は、しごきで後手《うしろで》にくくられ、からになった楽屋の柱に縛りつけられていた。朝次の母親の加代がしたことであった。  旅芝居がさびれたといっても、三十日、一つ場所で興行を打ちつづけるあいだには、ファンもつき、ことに、龍太郎、小龍と別れを惜《お》しむ女たちが、劇団員が乗りこむマイクロバスのまわりに群らがった。大道具、小道具、色褪《いろあ》せた幟《のぼり》などを積みこんだトラックが、先に出発した。マイクロバスが発進するのを待たず、私は楽屋に戻った。  早くしごきをといてくれ、と、朝次は焦《あせ》った。  加代小母さんに叱《しか》られる。  暁ちゃんを叱ったりはせんて。おれが叱らせんて。  といたら、朝ちゃんは、ここにおらんようになるとじゃろ。  早う、とかんかい。  朝次は、自由になる脚で、私を蹴《け》りあげた。  役者と女のいざこざ、やくざとのもめごとは、珍しくなかった。嵐龍太郎劇団一つをとってみても、初日早々、土地のやくざの一団がトラックで小屋に乗りつけ、入口の前に横づけにして、入場者をはばんだ。劇団側のあいさつの通しようが悪かったというのである。つまり、包み金が少なかったということだ。楽屋に入りこんだ数人が、役者の一人をとりかこみ、短刀を畳に突き立てて、親分の女をとったおとしまえをどうつける、と凄《すご》んだこともあった。これらは金で解決がついたが、刃傷《にんじよう》騒ぎも一件起きている。  切狂言のあとの舞踊ショーで、小龍と龍太郎がからんで、木更津《きさらづ》くずしを踊っているときだった。背景の幕のかげからダボシャツの男がとび出して、花道を走りぬけ、小屋を出たところで倒れた。背中から生えたように短刀の柄がのぞいていたと、客たちは口々に語った。小龍に女をとられたと、意趣返しに来た地まわりのちんぴらであった。病院にはこばれる途中で死んだそうだ。刃は心臓に達していたが、短刀が栓《せん》の役をし、外にはほとんど出血していなかったと聞いた。  だれが刺したのか、警察のしらべでもわからなかった。座員か小屋の者のだれかにはちがいないのだが、名乗り出る者はいなかった。参考人として龍太郎と小龍が警察に連れていかれると知り、私は、自分がやったと警察官に話した。笑い捨てられ、あげく、邪魔扱いされ、叱られた。兇器の短刀は、被害者の持物である。それを奪って刺すなど、七つ八つの子供にできるわけはない、というのが大人の常識だ。  八つの子供にはできなくても、十一歳の少年にはできた。私は羨《うらや》ましかった。小龍のために、朝次は彼にできる最大のことをしてやったのだ。  背景の遠見幕越しに、男は小龍を刺すつもりだったらしい。大道具のかげにいた私と朝次に気がつかなかったのか、気がついても、子供だからと気をゆるしたのか。朝次は、手近にあった小道具の板きれを男の顔に投げつけた。男が思わずとり落とした短刀を、私は拾いあげたものの、どうしていいかわからず、朝次の手におしつけた。朝次は、正しいそれの使い方を知っていた。前かがみになった男の背に、全身の重みとともに、刃を打ちこんだ。  龍太郎と小龍は、一晩とりしらべられただけで帰された。二人とも舞台に出ていたのだから、アリバイは確かだった。その他の者も相互にアリバイが成立した。私と朝次は、指紋をとられることもなく、見過ごされた。  加代は、もちろん、こんないきさつは知らなかった。息子を高校を卒業させサラリーマンにしなくてはと思いつめていた。仙龍や龍太郎から朝次を一座に入れるようすすめられ、朝次はもとよりその気になったが、ついに許さなかった。  縛り上げて、マイクロバスに乗りこめないようにしたものの、龍太郎の一座が去れば、翌日には次の劇団のトラックが到着した。  観客の数は急激に減りつつあった。川筋《かわすじ》だけで五十いくつあった小屋が、一つ、二つ、と、つぶれはじめた。そのかわり、温泉センターが保養の客たちのためにステージをしつらえ、旅役者の芝居やショーを提供する傾向がひろまった。小屋でやる興行は、入場料を小屋と劇団が、宣伝費などを天引きした上で、小屋が六分、劇団四分、あるいは七分三分、五分五分と分配する歩合制で、入りが悪ければ座員の給料も払えないことになるが、センターの場合は、買切りである。客の数に関係なく、一定の額が劇団にわたされる。安定しているかわり、熱演しようと投げようと、収入にひびかないので、役者にしてみればもう一つはりがない。  朝次は、菖蒲座に来る劇団に、その都度《つど》客演の形で参加した。昼は学校があるので、夜の部だけだったが。センターでは、ほんまもんの芝居はできん。客は飲んだり食ったり喋《しやべ》くったり、うるそうて、舞台などろくに見よらん。暁ちゃん、菖蒲座をつぶしたらいかんで。  地まわりを刺殺したことは、朝次も私も、忘れたように口にしなくなっていた。黙っていれば、事実そのものが消えてしまうとでもいうように。私たちの日常は、芝居に侵《おか》されはじめていた。  高校には必ず行くのだよと、それを条件に、加代は、朝次が菖蒲座の舞台に立つのをしぶしぶ黙認した。  定員五百人の小屋に、十数人の客しか入らないこともあったが、朝次は気をくさらせなかった。映画ともテレビとも、大劇場の演劇とも違う小屋芝居が、かえって新鮮に人々に感じられるときがくる、と朝次は私に言った。たしかに、小屋芝居には、他のメディアにない特徴があった。客と舞台の一体化である。その日その日の客の反応で、芝居は柔軟に変化する。役者と客は、一つの船に乗りあわせた者同士のようだった。舞台の上で、ときどきふっと地を見せ、楽屋裏をのぞかせ、芝居は虚構なのだと客が我れにかえって笑い出す次の瞬間、もう山場にひきずりこんでいる。ひきずりこむ自信があるから、楽屋落ちのアドリブやギャグを放りこむ。  しかも、小屋芝居の役者は、あくまで身を低め、客をたてるのだった。ようこそお越しくださいました。一段高い舞台の上から失礼ではございますが、心はみなさまの下座《しもざ》にくだりまして、あつく御礼申し上げます。明日もまた、来てくださいね。きっとですよ。今日来てくださった方の顔は全部おぼえましたから、明日来てくださらなかったら、家に火をつけて燃しちゃいます。芝居がはねると、役者は全員扮装のまま入口に立ち、ありがとうございました、お疲れさまでした、と笑顔で客を送り出す。  化粧落としたら、おれは、笑いとうもないときに笑うたりはせんけどね。化粧しとるあいだは、役者たい。客ばとことんたのしませたるわい。朝次は私に言った。  奈落で芝居ごっこをすることは、なくなった。ほんまもんの舞台に立つ朝次にとっては、奈落は、男衆が盆を廻す場所であり、セリ台に乗る場所であり、つまりは仕事のための実用的な場所であって、きらびやかな幻想空間ではなくなったのである。更に、人件費を節約するために小屋の人手をへらしたので、せっかくの廻り舞台や迫りを使う機会も減った。私は、ときどき、一人でもぐった。暗い奈落には、形のないものがただよっていた。  朝次が中学二年を終え、三年にすすんだ四月、嵐龍太郎劇団が、再度やってきた。龍太郎の劇団は、ここしばらく関西に根をすえていたのだが、久しぶりに九州に戻ってきての興行だった。  小龍に会い、私は少しがっかりした。こんな背の低い、骨格の太い、鈍《にぶ》い感じの役者だったのだろうか。私の記憶にある小龍は、指先がふれただけで私を鳥肌立たせる力があった。その力を強《し》いて名づければ、色気とか、あるいは多少大げさに妖気とかいうふうなものなのだろうが、それが数年のあいだに消えたのか、私の方が変わったのか、私にはわからない。  朝次は、私のような幻滅はまるで持たなかったようで、嬉々《きき》として、龍太郎が立てる狂言に加わった。朝次と小龍は体型が似ていたし、化粧をすれば顔立ちも似かよったので、朝次を吹き替えに使った小龍の早替りが呼び物狂言になった。客がよろこぶので、三日に一度は早替りをやった。舞台を見ているうちに、私は、小龍がやはり奇妙な魅力を持った役者であることを認めないわけにはいかなくなった。絢爛《けんらん》とした華《はな》ではなかった。あでやかさをいうなら、龍太郎の方がはるかにまさる。不治の病いを身の内に持った者が、表面だれにも悟らせず、めいっぱい明るく機知にあふれていたら、こんなふうな魅力をかもしだすのではないか。もちろん、これはたとえで、小龍の躯が病んでいたわけではない。もしかしたら、小龍は、旅役者である屈辱という棘《とげ》をやわらかい心の中にくるみこんでいて、それが彼の誰にもみせない病いだったのかもしれない。  千秋楽をあと三日にひかえた夜、朝次は顔にひどい火傷を負った。寝ている朝次の枕もとを通りかかった加代が、つまずいた。そのとき加代は熱湯の入った薬罐《やかん》を持っていたのである。  わざとやったのでは、と疑いを持った者はいないではなかったが、まさか、いくら何でも母親がそこまで、と自分で疑いを打ち消していた。朝次は、確信していた。母親が故意にやった、と。  加代は、朝次が横になっているとき、その頭の方を歩くことは決してしなかったのだ。必ず裾《すそ》をまわって通った。男の子の頭の上を歩いたら出世しなくなる、と、げんをかついでいた。魚の切身を与えるときも、朝次には尾の方を食べさせなかった。  龍太郎の一座が次の興行地にむかうとき、朝次は病院にいた。  左の頬に、てらてらしたひきつれが残った。  朝次は、母親の思惑をくつがえした。濃い化粧で、みごとに火傷の痕《あと》をかくしてみせたのである。いくら厚くドーランを塗っても、面とむきあえば、頬のひきつれは目についた。しかし、舞台のライトと化粧は、たがいに助けあう効果を持っていて、かぶりつきの客の目さえごまかせた。  送り出しのときは、客と顔をつきあわせるのだし、常連客は火傷のいきさつを知ってさえいたが、その傷がかえって同情をそそるのか、女のひいき客がふえた。彼を買った女客もいたらしい。  男なら顔に傷があっても仕事さえできれば出世できる。役者以外の仕事なら。そう考えた加代の思いきった荒療治は、逆の効果しかもたらさなかった。切られ与三や切られお富がなぜあれほど人に好まれるのか、加代は思いいたらなかったのだ。  私はおとなしく通学していたので、加代は羨《うらや》んだ。この点でも、加代の目は鈍かった。加代とかぎらず、私の内側が一つの願望に蝕《むしば》まれきっていることに気づいた者はいなかったことだろう。  思いがけず願いが叶えられるまでに、二年の歳月が経った。  私は、朝次をとり戻した。  二年ぶりに龍太郎の一座がまたまわってきたのだが、小龍と朝次は、以前のようにしっくりいかなかった。朝次の成長に、小龍が、役者として嫉妬《しつと》した。朝次は、小龍の早替りの吹き替えに甘んじなくなっていた。花のある役、客の拍手のとれる役をやりたがり、十年早いわい、と小龍に頭ごなしにどづかれていた。  朝次の頬の傷を、小龍は舞台で、あからさまにからかいの種にした。化粧を落としたら、こいつ、お化けです。素顔で女をくどいてみろ。朝次は泣き伏すまねをして、いっしょに客をそそり、女ぶりで踊りながら、ふいに小龍の腰を蹴り上げてつんのめらせ、小龍の毒のある悪口を、客を笑わせるサービスにすりかえていた。  小龍と朝次が刃物を持ち出しての喧嘩《けんか》になったのは、女が原因だったらしい。どちらがどちらの女に手を出したというのか、女というのはだれなのか、私の知ったことではない。女は、祝儀《はな》をはずんでくれ、衣裳を贈ってくれる金のつるにすぎない。いや、金づるであるからこそ大切なのではあったけれど。それをとったのとられたのは、きっかけにすぎず、役争いの方が、二人のあいだにわだかまる憎しみの真因だったのだろう。よい役がつけば人気が湧《わ》く。人気が湧けば祝儀が増えるという、切実なこともあったし、それぞれの自負心もあった。小龍が山をあげているいい場面で、朝次がたくみな半畳《はんじよう》をいれ、客の拍手を自分の方にとってしまう、というようなことが重なっていた。  深夜、明日のための口立て稽古が終わり、座員たちが散ったあと、からの舞台の奥で、小龍と朝次が争っているのを私は見た。  二人とも、口より手の方が早かった。二言三言ののしりあったと思うと、とっくみあいになっていた。  私は、抜き身の短刀を二人の手のとどく床《ゆか》においた。刃物を持ち出しての喧嘩といったが、実際に持ち出したのは、私であった。五つのとき、奈落で手にいれて以来、大切にかくし持っていた。黒く浮いた血を落とし、時たま磨いた。なぜ、とっさに刃物を持たせることを思いついたのか、理屈で考えるより行動が先立っていた。たぶん、私は、思いきりとっくみあって、もやもやした感情を発散しつくした後に、二人の気持が結ばれなおす成行きを危惧《きぐ》したのだろう。だが、それはあとから考えた筋道であった。二人の争いを、私自身のことにとりこみたいと願ったのかもしれない。  朝次の動作は、小きみよく敏捷《びんしよう》だった。小龍の手をふりほどき、頭に巻いていたバンダナをはずしたと思うと、それが小龍の首にかかっていた。もがいた小龍の手が刃物の柄《つか》にふれ、つかみなおし、打ちこんだ。  そのとき、私は物音をたてた。小龍ははっとして逃げた。これだけのことは、ごく短い時間に起こって、そうして終わったのにちがいない。楽屋にいる誰もが気づかなかった。私は重い朝次の躯をひきずった。切穴の蓋を開け、奈落にひきずり下ろした。蓋を、少しずらして閉めた。すきまから細い光がさしこんでいた。  朝ちゃん、おまえを殺すのは、おれだよ。小龍兄さんじゃない。おれだよ。  私が力をこめるまでもなく、刃は胸に柄もとまで深く入りこんでいたのだが、私はそれを少し抜いて、あらためて思いきり刺した。  柄の指紋をぬぐい、朝次の手に柄を握らせた。私と朝次のあいだに、警察官などに介入されたくはなかったので、私は自分の痕跡《こんせき》を消した。私が手をはなすと、朝次の手も床に垂れた。  私は背後から朝次を抱いて、お七の人形ぶりを助けた。  朝次を横たえ、切穴を出た。蓋をきっちり閉めた。床に血は一しずくもこぼれていなかった。  朝次の不在は、翌日になるまで気づかれなかった。女から誘いをかけられて朝次が外で一夜を過ごすことは珍しくはなかった。小龍だけが怯《おび》えていた。怯えた小龍は弱々しく醜《みにく》かった。  私は、影になったような毎日をすごした。朝次の骸《むくろ》が発見されたり、警察官がしらべに来たり、自殺でかたがついたり、それらのことは、風のようにすぎた。  中学を卒業すると、私は強引に家を出て上京した。バッグに、羽二重を一本しのばせた。腕のいい板前《いたまえ》が庖丁《ほうちよう》一本あれば渡世《とせい》ができるように、役者は羽二重一本で、どこの一座にもころがりこめるが、私は芝居者になる気は少しもなかった。羽二重は、朝次の汗と白粉がしみて汚れていた。  アルバイトで、どうにか食べることはできた。その先どうなるのか、考えが及ばなかった。たえず苛立《いらだ》っていた。あるとき、突然、浅草にわずかに残っている芝居小屋にかけこんだ。やとってくれと座長に言うと、簡単に許された。身もとしらべも何もない。今日入って明日ドロンをきめる者がいてあたりまえなのだ。はじめは下廻りをやらされたが、見よう見まねで下地が身についていた。座長の口立ても即座にのみこみ、素人ではないとわかって、役がつくようになった。嵐朝次と名のった。三月とたたぬうちに、憑《つ》きものが落ちたように、化粧している自分がいやでたまらなくなった。無断で足抜きし、堅気《かたぎ》の職についた。数箇月……、躯のなかから火で焙《あぶ》られるように、いたたまれなくなる。東京近辺をまわる劇団にかけこむ。かけこみとドロンを幾度となくくりかえした。その合間には、喫茶店やスナックで働いたり、やがて成年に達したので車の免許をとり、長距離トラックの運転手、ビルのガラス拭《ふ》き、何かに追いたてられるように躯を酷使《こくし》した。  嵐朝次の芸名が、いくつかの劇団にあらわれ、消えた。  菖蒲座が廃館になる知らせを受けとり、私は郷里に帰った。経営が成り立たなくなった小屋は、売られた。私は、地元に働き口をみつけた。羽二重は、燃した。嵐朝次は、消滅した。     5  ふと、気づく。幾度となく、同じことをくりかえしてきたような気がする。朝次を求めて、奈落の揚蓋《あげぶた》を開け、「お待ち、暁ちゃん、その梯子、下りたらいけんよ」朝次の声をきく。「何でね」「下りたら娑婆へは戻れんもんね」「よかよ。この梯子一つが、三途の川かい。よかじゃろもん。下りたるばい」「そうかい、下りてくれるかい」「下りたるよ」「下りてくれるかい」今がはじめてではない。  警笛の音が私をひき戻した。 「どかんかい」  トラックの運転手が窓から首を出してどなる。 「車ばいれられんと」  私はゆっくり立ち上がる。  駐車場に重ねて、菖蒲座の瀕死《ひんし》の建物を見るのは、私の目だけなのだろう。奈落は埋められたと人は言う。しかし、私は知っている。生身の躯を脱ぎ捨てさえすれば、行ける場所なのだ、と。その勇気が、おれにはまだ、なかとよ、朝ちゃん。おれは、どうにも、この躯捨てきらんと。待っとってくれんね。おれを刺してくれる者はおらんもんね。  警笛が私をせきたて、トラックは、奈落の上にどっかりと乗りこんだ。  雪《ゆき》  衣《ご》 「気がきかないったら」  珊《さん》也に叱りとばされ、下廻りの佑司は首をすくめた。  開幕前の楽屋は、殺気というほどではないけれど、はりつめた緊迫感がある。十人ほどの座員が、半裸になって顔をつくり、晒を巻き、石油ストーヴの熱気が外のみぞれを忘れさせる。 「大事なお客さんだよ。名前ぐらい、ちゃんと聞いといてくれなくちゃ、困るじゃないか」 「聞いたんですよ。でも、珊也兄さんにわたしてくれればいいからって」 「どんな人だった?」 「女の人です」 「女はわかってらあね。若いか年寄りか、痩せてるのか肥ってるのか。ただ�女の人�じゃあ、見当のつけようがない。前からの、おれのお客さんかい」 �だれそれのお客�というのは、その役者についた特別な贔屓《ひいき》を意味する。小屋芝居の役者にとっては、百人二百人の一般観客より、かねの蔓《つる》になる一人のご贔屓さんの方が大切なのだ。  若いということはないな、と珊也は衣裳を包んだ畳紙《たとう》に目をやる。  観客の大半が六十、七十の老人という旅芝居だが、東京の座館で、フリーの辻川珊也がゲスト出演するときは、三十代から四十前後の水商売ふうの女客が目立つ。  今月は、中学生や高校生も混る年若い客がかぶりつきを占領しているが、これは、副座長|扇《おおぎ》あきらのファンである。女座長扇千鳥の一人息子であるあきらは、高校を卒業してから母親の一座に人って、まだ五年。小屋で生まれ、旅から旅の小屋芝居で育って三十二歳になる珊也の目から見たら、学芸会のような頼りない芝居しかできないが、若くて顔も悪くないから、アイドル歌手のように、稚いファンに騒がれる。もっとも、彼女たちは、祝儀《はな》をつけたり衣裳を贈ったりする経済力はない。レコーダーやカメラを持ちこんで、あきらの歌をテープにいれ、写真を撮り、ときには、たあいない手作りのリボンワラワーなんかを贈ってくれる。あきらは愛想のいい笑顔で受けとるけれど、楽屋にもどると、何の収入《みいり》にもならない贈り物を、放り出す。  衣裳だの高価な洋酒だの、五万、十万、二十万とまとまった現金をくれるのは、水商売とか、自分で店を持っているような、働きのある女たちである。それにみあったつきあいも求められるのだけれど。  珊也は、何人かの女の顔を思い浮かべた。名を告げなくても、珊兄ちゃんの贔屓はわたし一人、珊ちゃんにはわかるはずだ、と思われているのだとしたら、困る。贔屓の扱いは気骨が折れる。 「中に名刺でも入っているかもしれませんよ」  畳紙に印刷された衣裳屋の店名を見て、 「なんだ、『しまだ』さんで作ったのか。それなら、旦那にききゃあわかる」  珊也はつぶやいた。 『しまだ』は、小屋の裏手に軒を並べる踊り衣裳専門の呉服屋の一つである。主人の島田は珊也と気があい、珊也は自前で衣裳を誂《あつら》えるときは『しまだ』と決めている。衣裳を作ってあげるという贔屓にも、『しまだ』の御主人なら、ぼく以上にぼくの好みを知っていますし、寸法も心得ていますから、あそこで誂えてください、とすすめる。更に、店の二階、屋根裏のような小部屋だが、そこを主人は彼にかってに使わせてくれる。一年じゅう、座員たちといっしょの暮らしである。ときには、独りきりになりたくなる。そういうときに、気ままに使える場所があるのは、珊也にとって、ありがたかった。裏口から入り、急な梯子をのぼれば、だれに顔をあわせることもなく、独りの空間に入りこめるのである。女との密会などに利用したことはなかった。 「開けてみて」  珊也はうながした。 「おれ、もう手に白粉塗っちゃっていて。汚れないかな」  やくざの子分の拵《こしら》えの佑司は、指先で紙縒《こより》をつまんだ。以前は、三下が白塗りにすることなどなかったと、古い役者は眉をしかめるが、きれいな方が客受けするから、このごろは、役柄にかまわず、若いのはまっ白に塗りたくる。 「佑司、その衣裳、たしかに珊兄ちゃんにってよこしたのかい。副座長のお客さんじゃないの」  息子が晒を巻くのに手を貸しながら、きんと高い声を、座長の扇千鳥が投げた。目尻の皺を濃い白塗りでつぶし、千鳥はむしりの鬘《かつら》に浅葱《あさぎ》の股引、手甲脚絆、男の旅鴉の拵えである。背が低いから男装の立役はおよそ似合わないのだが、だれも、面とむかって千鳥にそう言う者はいない。 「いえ、たしかに、辻川珊也兄さんにって」 「そうかい。それならいいけど」  千鳥の機嫌が悪いのは、みぞれ混じりの天候のせいもある。雨だの、ましてみぞれや雪では、客足が極端に落ちる。温泉センターなら一月いくらの買切りだが、劇場《こや》は歩興行だから、入りの好し悪しが極端に生活にひびく。朝——といっても起きるのは昼に近いけれど——楽屋に敷いた蒲団を離れると、座長はまず窓の外を眺め、陽が照っていると、ほっとした顔で空にむかって柏手《かしわで》を打つ。 「兄《あに》さん、見せて」  晒を巻き終わったあきらが、甘えるようにすり寄ってきた。 「おかしなお客さんでしたよ」  と、佑司が、 「まっ白い着物でね、手拭いをこう吹き流しにかぶって、はしっこを口にくわえて、だから、顔が半分よりもっと、かくれてるの。眼だけしかみえてないって感じ。髪も、島田か何か……」 「それじゃまるで」  佑司が笑いだした。 「雪女郎じゃないか」 「おれも、ぎょっとしちゃった」 「佑司、まじめな話をしなよ」  千鳥はいっそう不機嫌に、 「冗談つきあってる暇はないんだよ」 「ほんとなんですよ」 「ばか。もう少しうまい話を考えな」 「ほんと。兄さん、まじな話。あの顔、メークしてましたよ。白塗りの目尻に紅をさして。顔を伏せてね、ささやくような声でひとこと、『辻川珊也兄さんに』。すーっと帰っていっちゃった」 「来たのは、御同業の役者だってのかい。浅草に、芝居小屋はここ一つだけなんだよ」珊也も、まともにはとらず、「雪女郎の御贔屓さんなんて、佑司、どこから思いついた話なんだ」 「やだなあ。おれが兄さんをかついだって、しかたないでしょ」 「雪女郎なんかに好かれちゃ、困るんだよッ」  癇走った声を、千鳥は出した。 「お天道《てんと》さまに贔屓になってもらわなくちゃ。こう足もとが悪くては、今日は入りはさんざんだよ。だれかちょっと、客席を見ておいでよ。もう、入れてるんだろ」  開いた畳紙のなかには、降り積んだ雪のように目映《まばゆ》く、白い衣裳がたたまれてあった。  両袖に手を入れて、珊也はひろげた。  |※[#「衣へん」+「施のつくり」]《ふき》も裏地も純白の、裾引きの女形の衣裳であった。 「正絹だね」  千鳥は布地に手を触れて、値踏みした。 「もったいない。じきに傷《いた》んでしまうのに。踊りの衣裳はレーヨンで十分なんだって、教えてあげなくちゃ。それが御贔屓さんへの親切ってものだよ。何十万もするものを作っていただくことはないんだよ。いつだったか、副座長のお客になってくださった方に、衣裳のことをきかれて、二万か三万もかけていただいたら、りっぱに舞台ばえのするものができますって言ったら、そんなに安くていいの? それなら、毎月でも作ってあげるって、たいそう喜んでくださった。そういうものなんだよ」  半分は珊也へのいやみ、半分は他の座員にきかせるように言う。 「せっかくの衣裳だけれど、白っていうのが困るわね。白じゃあ、『矢切の渡し』ぐらいしか使えない。矢切は、わたしと副座長の相舞踊と決まっている。ちょっと使いみちがないわねえ」 「衣裳函《タンバ》のこやしにしておけってこと?」  珊也は切りかえした。声音に、冷やりとさせるような厳しさがこもった。 「正絹は、やはり、いいな」  あきらが言う。とりなしているつもりなのか。媚びを、珊也は感じた。甘えた声を出しながら、かげで何をやっているか、おれが知らないと思っているのか。しかし、声を荒げるのはおさえた。まもなく幕が開く狂言は残菊物語をアレンジして簡単にしたもので、珊也はあきらの年上の恋女房になる。まばらな客を相手の舞台であろうと、楽屋裏の不和が透けてみえるような芝居はしたくなかった。 「安っぽいレーヨン着てると、こっちの気分まで安っぽくなるのよね」  と言いながら、あきらは衣裳を肩にあててみようとする。その手を、珊也は、さりげなく、しかしきっぱりとさえぎった。 「鷺娘を踊りますよ。十五日の若鷹会にこれを着て」  そう言ったとき、珊也の眼には、一羽の鷺が——いえ、ひとりの女が——視えた。  純白の衣裳。さばき髪。 樹の内に恐ろしや、地獄のありさま、ことごとく、罪を糺《ただ》して閻王《えんおう》の、鉄杖正にありありと、等活畜生しゅじょう地獄、或は叫喚大叫喚、修羅の太鼓はひまもなく、獄卒四方にむらがりて、鉄杖ふり上げ鉄《くろがね》の牙かみならし……  白鷺の姿を借りた女は、地獄の責め苦に身もだえる。胸に血の雫《しずく》が……。  ——姉ちゃん……。  珊也は、幻の女によびかけた。  ——姉ちゃんやろ、若鷹会にそなえてこの衣裳贈ってくれはったん。  若鷹会は、年に二度催される、若手の座長、副座長を中心に据えた座長大会である。 「冗談きついね」  千鳥の険をふくんだ笑い声に、我れにかえった。 「鷺娘なんて、やめてもらいますよ。あんな長いのを、しかも正調長唄なんかでやったら、うちのお客たちは退屈して、二度と来なくなっちゃうわよ。国立や明治座じゃないんだから。せいぜい一曲二、三分の、演歌のあてぶり。むずかしいのをやりたかったら、明治座でも借り切って、ひとりで温習会《おさらいかい》やっとくれ。温泉センターで、寝そべって酒くらってるお客を、おれが舞台に立ったら、起き直らせ、目を惹きつけてみせるというのが、珊ちゃん、あんたの自慢だけれど」 「べつに、おれは自慢してはいないよ。だれもが認めている事実を口にしているだけだ。おれが舞台《いた》に立っているあいだ、客の眼はおれから離れない。飲み食いも忘れている」 「えらい気焔《きえん》だね。それだけ言うのなら、他人のお客を奪《と》るようなせこいまねは、してほしくないね」 「座長、あんた、自分の口からそれを言うの? 恥ずかしくないの?」 「五分前ですよ」  祐司が声をかけた。  みぞれに肩を濡らしながら、 「ありがとうございました」 「また明日もおいでくださいね」  客たちを送り出すと、楽屋にとびこんだ。  化粧を落とし、セーターとズボンに着替え小屋を出た珊也の足は、『しまだ』にむかった。  細い露地に並んだ店は、どれもシャッターを下ろしていた。  裏口から入り、二階に上る前に、店に続く裏部屋をのぞいた。店主の島田は、置炬燵に背をかがめ、帳面をつけていた。珊也より十ほど年長の、四十を少し出た男である。 「珊ちゃん、お帰り。寒いね。熱いお茶でも淹《い》れようか」  おだやかな笑顔をむけた。島田は飲まないので、ここには酒はおいてない。住まいは亀戸にあり、自分の車で通ってくる。独り者だった。  珊也は炬燵に足をいれた。島田は躯を少しよじって、茶道具をのせた盆と魔法びんを引き寄せた。  焙じ茶の香ばしいにおいがたちのぼる。 「こんな日は、入りが薄かったろう」 「ひどかった」  でも、おれは手をぬかないでやるけどね、と、珊也は言いそえた。 「入りが薄いときの方が、客の眼が怕《こわ》いやね。ごまかしがきかない。こんな日に来てくれるのは、よほどの芝居好きだしね」 「そうだろうね」 「今日、衣裳がとどいたよ」  熱い茶が、ゆっくり、のどを通ってゆくのを感じる。 「そうかい」 「白い、本絹の」 「そうかい」 「そうかい、って、ここで誂えたんだよ」 「ああ、そうだ」 「だれ? あれを作ってくれたのは」  訊きながら、珊也は、ふと、贈り主は島田自身ではあるまいか、と思った。すぐに、打ち消した。白塗りの女姿で楽屋にとどけに来るなんて、そんな芝居っ気は……。 「どうして、わたしに訊くの」  島田は、おだやかな眼をいっそう細めた。 「どうして、って……。おれのいないときにとどいたから、だれだかわからないんだ」  珊也が言うと、島田は、何とも奇妙な表情をみせた。 「そうかい」  と、うなずいた。 「珊ちゃんには、わからないのかい」 「姉ちゃんだと思うよ」  珊也はつぶやいた。声に出したつもりはなかったが、 「姉ちゃん?」  島田は聞きとがめた。 「笑うよね、島田さん」 「笑いはしないが、珊ちゃんの姉さんは……」 「おれ、話したっけ?」 「くわしいことは知らないが、死んだと、珊ちゃんからきいたことがある」 「そう。死んだんだ」 「死んだ姉さんが、珊ちゃんに衣裳を?」 「鷺娘のね」 「珊ちゃん」  島田は、ちょっと坐り直した。 「本気で、死んだ姉さんが、衣裳を贈ってくれたと、わたしに言うつもりかい」 「それじゃ、だれなの。島田さんは、会っているんだろ」 「会ってはいないんだ」 「だって、誂えるとき」 「電話で注文してきた。珊ちゃんの衣裳なら、寸法はわかっているからね。白い本絹の女物、裾引きで、と言われたら、それで十分だ。仕上がりの期日と値段をつたえた」 「それで、今日、本人がとりに来たんだろ」 「わたしが、ほんのちょいと店をあけているときに来たようだ。代金をいれた封筒が、店においてあって、衣裳の包みはなくなっていた。でも、わたしはそのひとが出ていくところを、ちょっと見かけることは見かけたんだが。珊ちゃんは、そのひとを、死んだ姉さんだと思うのかい」 「頭がおかしいと思うだろうね」 「まあね」 「酒が欲しいな」 「ブランデーでいいかい」 「あるの? 珍しいね。飲まない人なのに」 「今夜は、珊ちゃん、ここに泊まりに来そうな予感がした。酒が欲しくなるだろうなとも」 「いやだな。島田さん、超能力者かい」 「いいや。寒くて淋しい夜だからね。たぶん、来ると思った。わたしに相手をしてほしいだろうと……そう思って、待っていた。意地っぱりのくせに淋しがりと、みとおしていると言ったら、意地っぱりの珊ちゃんは、そんなんじゃねえや、と肩をそびやかすかな」 「ブランデー、もらうよ」  楽屋においてある白い衣裳を、珊也は思い浮かべた。衣裳は立ち上がり、姉の姿にかさなった。  沈んだ雪音の太鼓。笛の音。 妄執の雲晴れやらぬ朧夜《おぼろよ》に君に通いし我が心、忍ぶ山|口舌《くぜつ》の滝の恋風が ふけども傘に雪もって、積もる思いは淡雪の、消えてはかなき恋路とや  純白の衣裳の胸に、血の雫が一点、とみるまに大きくひろがってゆく。 「おれの親父も役者でね。旅まわりの」  珊也は言った。 「そうだったってね」 「前に話したっけ」 「役者だったということだけ、きいた。関西、中国あたりをまわっていたって。くわしい話は知らない」 「姉とおれは、母親がちがう。姉を生んだ女は、死んだ。その後、別の女がおれを生んで、その女は……逃げた。旅まわりがいやになったんだろう。それから、親父が死んだ。ポン中でね。姉ちゃんも、ポン中だった。島田さん、やったことあるかい」 「いいや。そう簡単には手に入らない。やりたいと思ったこともないね」  ——姉ちゃんにポンを教えたのは、おれを生んだ女だった……。 「おれ、名前を変えるかもしれない」  珊也は、唐突に言った。 「どうして。辻川珊也。いい芸名じゃないか。大阪の辻川珊瑚からもらった名前だって、珊ちゃん、誇りにしていたのに」 「師匠が、名前返せってさ」  大阪を本拠にする辻川珊瑚劇団は、今月は上京して川崎の小屋で興行している。浅草は昼夜二回興行だが、川崎は夜の部だけなので、辻川珊瑚座長は、昼のあいた時間、ときどき浅草の楽屋に遊びに来る。  父親に死なれ、身寄りを失くした彼と姉は、父とは古いなじみである辻川珊瑚の一座にひきとられた。彼が九歳、姉が十五のときである。座長辻川珊瑚は、女形を専門にしていた。珊瑚に、彼は厳しく仕込まれた。ゆくゆくは二代目にと嘱望され、辻川珊也の名を与えられた。  姉はそのとき、すでに薬からぬけられない躯になっていた。  彼が辻川劇団をとび出してフリーになったのは、三年前のことである。 「ひどい女だったよ」 「え、だれが?」 「おれを生んだ女さ」 「お母さんかい」 「お母さんなものか。おれのおふくろは、姉ちゃんだ」 「それが、辻川珊也の名前を師匠に返すのと、どういう関係があるんだい」 「え?」 「名前の話をしていたんだよ。急に、ひどい女だったなんて言い出すから、めんくらった」 「姉ちゃんだって、まだ子供さね。疲れてだるくて、舞台に立つのがいやなときもある。元気が出るからって、あいつが、姉ちゃんの腕に針を刺したんだ。おれには、薬を射たなかった。おれは、そのおかげで助かったさ。しかし、汚ねえじゃないか。てめえの生んだ子供は無傷でそっとしといてさ。ということは、あいつ、薬をつづけたらどうなるか、ちゃんと承知していたんだ。目の前に、親父という、ぼろぼろの見本があったしさ。それでも、姉ちゃんを煽りたて、稼がせるために、射ったんだ」 「戦争中から戦後しばらくは、あの薬は、薬屋でおおっぴらに買えたんだってね」 「そのころは、給金を薬でくれる太夫元もあったって。親父もそれで病みついたんだ。辻川の師匠は、姉ちゃんの薬をやめさせようと、ずいぶん厳しくとめたんだけど。ほかのことは優しい姉ちゃんなのに、これだけは、だめだった。島田さん、おれ、さっき、おれを生んだ女は逃げたって言ったな。嘘ついたんだ。あの女、おれが殺しちゃった」 「酔ってるね」  島田は言った。 「聞き流しておくよ。酔っぱらいのたわごとだ」 「酔っていたんだ、あの女。冬の冷たい川に突き落とした。おれが。姉ちゃんは、それを見てしまった。とても辛がって泣いた。辛くて、よけい、薬がはなせなくなった。だから、おれは姉ちゃんを助けるつもりで、かえってひどい方に……」 「わたしだからいいけれど、そんなでたらめを、よそで喋るんじゃないよ。どんなに酔っていても。でも、今夜は、何を喋ったってかまやしない。吐き出してしまうがいいよ。楽になる」 「それだけの話だよ。ほかに何もありゃしない。何も変らなかった。あの女がいなくなっても」 「寝た方がいいのとちがうかい。明日も舞台がある」 「姉ちゃんは、薬はやめられなかったけれど、踊りはよかったよ。芝居より、踊りがうまかった。唄はだめ。へたくそ。おれの姉ちゃんなのに、なんでかね。おれは、唄、うまいだろ」 「演歌はね」 「辻川の師匠は、ただのあてぶりじゃなくて、きっちり日本舞踊をやった人だから、おれも姉ちゃんも、基本から叩きこまれた。だから、おれの踊りは、ほかの役者みたいな、いいかげんなもんじゃないよ」 「型がきれいだし、腰がきまっているね」 「そうだろ。あきらなんか、股割りができなくて、流し目ばかりだ」 「何かあったんだね、あきらちゃんや扇座長と。それで鬱屈している」 「あんなやつが何をしたからって、おれは平気さ。しかし、大阪の師匠までが、あきらの言葉にのせられて、おれを責めるっていうの、おかしくないかい」 「名前を返せといわれたというのは、そのことか」 「ああ」  珊也はうなずき、急に口が重くなった。  小さい子供のように、年上の島田に訴えている自分がこっけいに思えてきたのだ。 「姉ちゃんの話をしよう。姉ちゃんは、鷺娘を踊ったんだ」  それもまた、口にするには辛い記憶であった。  何より重大なはずの、母親を川に突き落として死なせた話をあっさり喋ったくせに、珊也は、今になって炬燵の上に顔を伏せた。  閉じた眼が、降りしきる紙の雪を視る。  姉ちゃんは、なぜ、胸に傷をつけて舞台に立たはったんやろ。  座長辻川珊瑚の代役であった。辻川座長が踊るはずだったのに、開幕直前に足首を捻挫したのである。雪衣《ゆきご》を着けて後見に立つことになっていた姉が、代役を命じられた。 「ゆきご?」島田は聞きかえした。 「ほら、黒衣《くろご》は、黒い衣裳をつけるだろ。舞台にいても見えないという約束ごとで。雪の景などではまっ白な雪衣、浪の景なら、浪と同じ模様の浪衣《なみご》をつける」 「ああ、あの雪衣か」 「踊りだから、後見は紋付袴に裃《かみしも》でいいんだけれど、座長の好みで、雪衣にした。おれも小さい雪衣で後見役をすることになっていた。何の役にもたたないけれど、飾りさね。子供が出るとお客がよろこぶ」  姉にかわって、古参の役者が、珊也と並び後見をつとめることになった。  おれのかわりに舞台に立つのだ。おれに恥をかかすような踊りは許さんぞ。  辻川珊瑚座長は、華奢な容姿にそぐわぬ荒い厳しい言葉を姉にむけた。  薬が……と、姉は半泣きになっていた。そのとき、アンプルが切れていた。  射たなけりゃ、踊れんのか。  いえ、踊ります。  おれに恥をかかせるなよ、と辻川座長は釘をさすように言葉をかさねたのだった。  十五日の若鷹会には、喜利《きり》の舞踊ショーで、珊也が鷺娘を踊ります。今日お出でのお客さまがた、十五日、必ず見に来てくださいね。  口上のたびに、珊也は宣伝した。  当日、小さい芝居小屋は、補助椅子を通路にいっぱいに並べる盛況であった。  珊也が前もって見やすい席をとっておいてくれたので、島田は、少しおくれていったにもかかわらず、腰かけることができた。  隣りの席を占めているのが、辻川珊瑚座長だと気づいた。辻川も、上京すると島田の店で衣裳を誂えることがあるので、顔見知りである。  挨拶のあとで、 「おめあては、珊ちゃんの鷺娘ですか」  島田は訊いた。 「鷺だか烏だか」  辻川は苦笑してみせた。 「副座長の扇あきらくんより、ゲスト出演の珊ちゃんの方が人気があるので、だいぶ、珊ちゃんに扇千鳥座長の風あたりが強いようですが」 「珊コは自惚《うぬぼ》れが強すぎてね。天狗になっている。一度、へし折ってやらんならんと思っています」 「自惚れではなく、自負だと思いますね」  島田は、やわらかく言った。 「実力の裏づけがないのに自慢するのなら、自惚れだが、珊ちゃんは、自分で言うだけの力はあるのだから」 「どうも、珊コに目をかけてもろて。しかし、あいつ、意地が強すぎて、敵ばかり作りよる。三年前、わたしに逆ろうて、うちの劇団をとび出し上京したとき、わたしにそむくのなら、辻川の名は名乗るな、と言いわたそうと思ったのだが、つい甘やかして、そのままになっていた」 「フリーでがんばっていますよ、珊ちゃん。今度、名前を返すよう辻川さんに言われたとかで、しょげていましたが」 「しょむないやつですわ。あちらこちらで、わたしの悪口を言いふらす、あきらくんの御贔屓は横どりする。それをきかされたときは、わたしも腹が煮えよって」 「しかし、こうやって、珊ちゃんの舞台を心配して見にこられる。中傷だと、承知しておられるんじゃありませんか」 「扇座長が、そう根もないことを言うとも思えんのでね。まあ、どんな鷺娘やら、見せてもらいましょ。広言するほどにみごとに踊りおおせたら、勘当|許《ゆ》りたってもよろしいわ」  舞台は、あてぶり踊りの最中であった。  似たり寄ったりの振りが幾番もつづく。客席は熱狂していた。色とりどりのおひねりがとぶ。  珊也がみえをはって、他人をよそおって衣裳を誂えにきたのか、と、島田は疑いもしたのだった。純白の正絹の衣裳をと注文してきた電話の声は、島田には、珊也自身の声ときこえた。畳紙を持ち去った白ずくめの女も、ちらりと見ただけだが、珊也と、島田には見えた。  自前でととのえるより、高価なものを贈ってくれる御贔屓さんがいるということが、役者にとっては一つの自慢になる。意地っぱりの珊也は、見栄もはる。自分でも、あほな見栄はってるんや、と冷静に認めながら、去年の若鷹会の数日前だった、ほかの座長たち、えらいお祝儀《はな》があがるらしい、おれ、かっこうつかないな、と苦笑して言った。それ以上はねだらなかったが、よし、まかしとき、と島田は言ったのだった。かねを残してやる家族もいない。珊也の舞台を飾ってやろうと、彼が踊っているとき、舞台に一万円札を撤きちらした。百枚の新札は、珊也の裾にあおられ、舞い上がり、肩に降りかかった。  終演後、珊也は、札束を島田にかえした。  冗談じゃない。お祝儀にあげたんだよ。  島田さんから、こんなにもらえへんよ。珊也は言った。舞台にぎやかにしてもろておおきにでした。あれで十分なんや。ほんまにもらうつもりはないよ。ちょっと、見栄はっただけや。無邪気な笑顔をみせたのだった。  そのとき以来、珊也はいっそう、島田になついたようだ。 「舞台はかわりまして、お待ちかね、辻川珊也の鷺娘はいかがでしょうか」  アナウンスが流れた。舞台はいったん暗黒になり、テープの長唄とともに、ライトが、水辺に立つ白無垢の鷺娘を浮きあがらせた。  綿帽子が顔をかくし、蛇の目傘に雪が降りかかる。  ——あの衣裳は、本当に、珊ちゃんの死んだ姉さんが贈ったものなのかもしれない。  島田は思った。死者が行動しようとするとき、生者の躯を借りなくてはならない。珊也の姉が、だれよりも借りやすいのは、珊也の躯だろう。珊ちゃんは、おそらく、何も知らないのだ。  彼の口が喋り、彼自身の躯がしたことを。  あれは、たしかに珊ちゃんの躯だったけれど、死んだ姉さんでもあったのだ。  そう思うと、島田は気が晴れた。  隣りで、辻川が身じろぎした。少し身をのり出し、目を一点にこらす。島田も、気づいた。純白の衣裳の腿のあたりに、じわりと小さく紅いしみがにじみ出し、少しずつ、大きくひろがってゆく。  ふっと薄れかかる意識を、傷のいたみが、ひきもどす。 [#ここから2字下げ] 思い重なる胸の闇、せめてあわれと夕ぐれに、ちらちら雪に濡鷺の、しょんぼりと可愛らし [#ここで字下げ終わり]  綿帽子をとると、一瞬、客席は息をのみ、ついで吐息と拍手が起こった。凄艶な美貌への讃嘆であった。 [#ここから2字下げ] 迷う心の細流れ ちょろちょろ水の一筋に、恨みの外はしら鷺の、水に馴れたる足取りも、濡れて雫と消ゆるもの [#ここで字下げ終わり]  彼は、姉の息づかいを肌近く感じる。  しっかり舞わなあかんよ。辻川の座長さんが見たはるよ。  姉ちゃん、ついとってくれんでもええよ。おれひとりで、舞いぬいてみせる。  そうか。せやけど、腿の傷、痛むやろ。  痛むように、剌したんや。痛んでくれなんだら、何もならん。  左脚に力をいれたとき、激痛が走り、よろめきかけるのを、雪衣をつけた姉の手がささえた。  楽屋で、彼は、化粧をしながら姉に訊ねたのだった。 〈姉ちゃん、何で、鷺娘のとき、胸を突かはったん〉 〈わかっとるやろ、おまえなら。姉ちゃん、もう、どうもならんように追いつめられとった〉 〈いやな噂が、あの後、立ったんよ。辻川座長が姉ちゃんを……。それで、姉ちゃんが〉 〈座長に、嫁はんにならんか言われたことは、あるよ。けど、うちなあ……〉 〈座長には、奥さんも子ォもいてるやないか〉 〈うん。せやけど、うちが死の思たんは、そのせいとちがう〉  おれに恥をかかせるような踊りは許さん、と、あのとき、辻川座長は姉ちゃんに言った。  薬が切れていた。アンプルは手もとになかった。  姉の鷺娘は、ただ、立ちつくしていた。胸から血を流し、立っているだけがせいいっぱいだった。 〈でも、姉ちゃん、舞うとったよ〉 〈うん。おれには視えた〉  客にも視えたのではなかったか、と彼は思う。  追いつめられて、死なはった。鷺が、嘴《くちばし》で胸を突き破るように。 〈衣裳、気にいった?〉 〈うん。最高や〉 〈うちが後見するさかい〉 〈そうか? 心強いな〉  衣裳をつけようと、立ち上がろうとして、珊也はよろめいたのだ。  ——おかしいな……。  重い闇にひきこまれてゆくような、けだるさ。眠い。  こんなときに、眠くなるわけがない。 「珊ちゃん、どうしたの」  千鳥が声をかけた。 「何、その寝ぼけ顔。しっかりしてちょうだいよ。二日酔いかい」  あきらの贔屓が、珊也にのりかえた。あれを、よくよく根にもっているのだな。彼は、鼻の先に嘲笑を浮かべた。  小細工をして、むりに奪《と》ったわけじゃない。あちらさんが、あきらよりおれの方に惹かれたのだから、しかたあるまい。  扇千鳥の一座にゲスト出演するのは、今度がはじめてだった。千鳥はすでに人気が落ちている。女剣戟は、近ごろでは見むきもされないのだ。副座長にすえたあきらは、若い女の子に騒がれはするけれど、芝居は未熟、他の座員も、しなびた年寄りと、素人同然の下廻りが二、三人ずつという、弱体なので、千鳥が頭をさげて、珊也に助っ人を求めてきたのだった。  あきらのファンは若い子が多いけれど、なかには、かねまわりのいい中年女性もいた。  あきらの贔屓とわかっていても、誘われれば、珊也は拒みはしない。  あきらは母親に泣きつき、千鳥はそれを、辻川珊瑚座長に訴えたのだ。  汚いことをしやがる、と思いながら、一抹の淋しさ、羨ましさが、認めたくないけれど、珊也の心の底にひそんでいた。  ——そんなに、息子がかわいいのかい。 〈おまえのお母さんだって、おまえをかわいがっていたんだよ〉  姉がささやいた。 〈お母さんなんて、いわないでくれ〉 〈おまえには、決して、薬を使わせなかった〉 〈だから、汚ないっていうんだ〉 〈母親だからだよ〉 〈やめてくれ〉  あの女の愛情を少しでもみとめたら、川に突き落とした自分の生きる瀬がなくなる。 〈おまえの記憶を、この衣裳みたいに、まっ白にしてやりたい。あれは、わたしがやったの。おまえじゃない。ね、そう思っていいんだよ〉 〈やってしまったことは、変りやしないよ〉 〈かわいそうにね〉  姉の手が頬にふれ、その胸にもたれこんで、すっと眠りにひきこまれそうになる。 「珊ちゃん! じきに出番なんだよ!」  千鳥がどなった。  さっき飲んだ茶のなかに、睡眠剤を溶かしこみやがったな。おれをつぶすつもりで。  証拠のないことだった。  なにをばかなことを。自分の二日酔いを棚にあげて、と、笑いとばされればそれまでだ。  変な言いがかりをつけるなと、むこうは逆にくってかかるだろう。  珊也は、化粧前の抽出しから小刀を出した。  千鳥が、ぎょっとしたように身をひく。  腿に、小刀を突き立てた。 〈そうまでするの?〉  姉の眼が哀しそうだ。  小刀をぬくと、すばやく手拭いで縛りあげた。 「珊ちゃん! 頭がどうかしたのかい」 「あんたの仕掛けた罠からぬけ出すには、これしかないさ」  千鳥は、口ごもった。その顔色から、彼は、自分の推察に確信を持った。 [#ここから2字下げ] 白鷺の羽風に雪の散りて花の散りしく景色と見れど、あたら眺めの雪ぞ散りなん 恋に心もうつろいし、花の吹雪の散りかかり、払うも惜しき袖傘や [#ここで字下げ終わり]  島田は席を立ち、通路の人波をかきわけ、舞台に進み寄った。  腿に傷が口をあけていることも、眠気にひきこまれるのを、その激痛とぎりぎりの精神力でくいとめていることも、客に毛筋ほども見抜かせるものか。珊也の意地を、滲み出る血が裏切る。しかし、舞いの手に、足に、乱れはなかった。  いつか、薄闇の水辺に舞う鷺は、二羽であった。  雪に混って、花弁のように、札がひるがえった。  珊ちゃんへのお祝儀《はな》だよ。全部。返すことはないんだよ。  島田は、大きく舞台いっぱいに札を撒き散らす。乱舞する札は、旅役者の、何よりの栄光である。  さばき髪となった珊也は、鉄杖にみたてた柳の杖で、我が身に地獄の責めを加える。 [#ここから2字下げ] 修羅の太鼓はひまもなく、獄卒四方にむらがりて、鉄杖ふり上げ、鉄《くろがね》の牙かみならし…… [#ここで字下げ終わり]  降る雪は水の流れに似て、そのむこうに、彼は、彼が突き落とした女——彼を生んだ女——の青ざめた顔を、一瞬、かいま見た。 [#ここから2字下げ] ついにこの身はひしひしひし、憐れみたまえ、我が憂き身、かたるも泪なりけらし…… [#ここで字下げ終わり]  二羽の鷺は、羽をさしかわし、くちびるを寄せあった。  黒《くろ》  塚《づか》  殺した男の、名も知りませぬ。  明日、わたくしは、八十の賀をむかえます。傘寿《さんじゆ》と呼ぶとも申します。賀で候の寿《ことぶき》のと称《たた》えるほどにめでたいものですか。呀《が》としるし、呪をあてた方がふさわしい。呪とは口を開いたさま、むなしく中うつろなさまをあらわす文字だそうでございます。  この年まで、病みつくこともなく、躯ばかりは健やかにすごしてまいりましたのは、旧の九月九日、重陽《ちようよう》の朝に、古《いにしえ》の、王朝貴族のならわしを真似つづけた報い……などと……迷信じみた考えは笑い捨てる、理の勝った性《さが》と思っておりましたが。  息子はいささか気恥ずかしげに、露をふくんだ『きせ綿』で、わたくしの躯を拭ってくれたのでございました。  夫が病死いたしましたのが、息子が十七、わたくしが三十六のとき、その後、学徒出陣で家を出るまでの三年間、息子は、夫のはじめましたしきたりを、ひきついでくれました。来る年、来る年、いくたびも息子の手で肌を拭われたように憶えておりますけれど、よく数えてみますと、息子のそれは、わずか三度だけなのでございました。息子は戦死いたしました。  十八でわたくしが嫁ぎましたとき、夫はすでに、菊作りにいそしんでおりました。  一帯の大地主でございました。何の職につかなくとも、旦那さまとたてられて、食に不自由はなかったのですけれど、遊び暮らすのが不得手という律義なひとで、役場につとめ、何やら肩書を持っておりました。  小高い丘が昔のお城跡で、その裾の広い土地に、家はございました。幕藩時代には家臣の住まいのあったところでございます。夫の家は士族ではございません。藩制瓦解の後、先代か先々代ですか、買いとった地所だそうでございます。  百坪ほどを、夫は菊畑にあてておりました。商売にするのではございませんから、このくらいが手ごろだったのでございましょう。もちろん一人では手がまわらず、作男《さくおとこ》たちに手伝わせておりました。錦を織りかさねたような厚走り、花弁が花火のように流れる管物《くだもの》、一重咲きの広熨斗《ひろのし》、色も濃厚な黄金色から淡黄、紅、紅藤、雪白と、お城山から見下ろせば錦繍《きんしゆう》の裲襠《うちかけ》をひろげた趣がございました。  もっとも、わたくしは、菊という花をあまり好きではございませんでした。菊と名がつくのなら、野菊、都忘れのたぐいの、素朴な野の花の小花の方が好みにあっていたのでございます。  嫁ぎましたのは九月、わたくしは、夫に指図され、大鉢に定植され蕾《つぼみ》を持ちはじめた菊の、日除けをとり去ったり、殺虫剤を撒いたりしました。夫は、こればかりは人手にまかせることのない、脇芽の整理に余念がないのでした。一幹一花とするために、芯蕾を残し余分な蕾をのぞきとる作業でございます。十月に入りますと、蕾は色づき、ゆるやかな開花がはじまります。針金の輪台をとりつけてやるのはこの時期でございます。  ある夕方、夫は、二十本ほどの鉢をえらんで開花も近い蕾の上に薄くのばした綿をかぶせました。 「蕾を保護するためなのですか」  わたくしはたずねました。 「女学校出は、小むずかしいことを言うな」  と夫は笑い、その夜の寝物語りに、物の本で識ったという王朝の風習を話しました。  菊花が中国から日本に伝わったのは、天平のころだそうでございます。はじめは薬用として重宝されておりましたのが、王朝に入り、貴族のあいだで、眼をたのしませる宴の花となりました。宮中では、庭園に植えられた菊に、重陽の宴の前夜、女宮たちが『きせ綿』をかけ、夜明け、露に濡れたその綿で、躯を拭って長寿を祈るという行事が生まれたのだそうでございます。  妻を娶《めと》ったら、この習わしを真似ようとたのしみにしていたのだと、夫は申しました。  風雅なことと感心するより、何と物好きなと、わたくしは少し呆れたのでございました。  翌朝、露の干ぬ間にと早暁起こされたときは、外はまだ仄昏《ほのぐら》く、風が冷とうございました。  旧暦の重陽は、新暦になおせば十月、秋も闌《たけなわ》でございます。  肌ぬぎになって、風にさらされながら、濡れた綿で躯をぬぐったりしたら、長寿どころか風邪をひいてしまうと、わたくしは風流心などいっこう持ちあわせず、理詰めに考え、内心いっそう呆れました。  並び立った大鉢の菊の茎は、猛々しいほどたくましく育っております。その脇の一画に竹で垣を結ってありました。夫は、わたくしにはこばせた着物を垣にひろげてかけ、目かくしにして、肌をぬぐように命じ、自分もためらいなく裸となりました。  夫の躯は、もう見なれてはおりました。夜は灯を細くして、顔もおぼろなほどにいたしますけれど、風呂で夫はわたくしに躯を洗わせるのでした。わたくしは裾をはしょり、襷《たすき》で裾をからげ、夫の背を流すのが常でございました。けれど、いくら人目のない早暁とはいえ、そうして衣の垣でまわりをかこってあるとはいえ、頭の上は突きぬけた空、わたくしは身のすくむ思いがいたしました。下女は厨《くりや》で竈《かまど》の火を起こし、飯を炊きはじめております。作男たちも朝が早うございます。  夫は使用人の目をはばかる気持など少しも持ってはおりませんでした。だれはばからぬ誇らかな行事でございました。  夫は父親をわたしの嫁ぎます数年前に、母親を前年に、なくしております。父親は血の気の多い人で、何か小作人たちの争いに巻きこまれ、怪我をしたのがもとでなくなったとききました。母親は脊椎カリエスでなくなるしばらく前から寝たきりでございました。  夫はもともと独り息子というわけではなく、上にひとり、下に三人きょうだいがおりましたのですが、どれも、まだ赤子のうちに赤痢やら肺炎やらでなくなっております。  菊の露で躯を拭えば長寿を保つと、古い風習にとりつかれましたのも、そのような境遇のせいかもしれません。夫は虚弱だったわけではなく、なくなったきょうだいたちの寿命を一身にもらい集めたかのように、なかなか壮健でございました。  何をぐずぐずしておるのだと、夫は容赦なくわたくしを促します。荒い声をあげたり、むやみにはしゃいだりするひとではありませんけれど、このときには、声に浮き浮きした気分があらわれておりました。  人前で肌をさらすのははしたないと、厳しく躾《しつけ》られ育ちました。なれど、夫にさからうなというのも、庭訓《ていきん》でございました。思いきって細帯を解き、着物と襦袢をいっしょに肩からすべらせました。冷気に鳥肌がたちました。しかし、何という爽やかさ、すがすがしさでございましたことか。菊はまだ、香りを高く放つほどにはなっておりませんが、大気は草の香、樹脂の香、そして田舎のことでございますから溜の肥のにおいも混るのですけれど、それさえも妨げにならぬ快さにみちておりました。  菊花の露を重くふくんだ薄綿が、うなじ、咽喉、胸と拭います。夫の手の動きは、それは細やかでございました。閨《ねや》のことを口にするのははばかられますが、夜のときよりも、はるかに情こまやかでまめまめしいのでございました。けれど、閨のときのような、口にするのが恥ずかしい気分は起きてこないのでございます。ゆもじまで取り去られましたときは、絶えいりたいほどでございましたが、不思議なのびやかさに、わたくしは思わず天を仰ぎ、両脚を踏みひろげたのでございます。  夫は、自分の躯は、いたってそそくさと、己れの手で拭いおさめました。まるで、自分の長寿は願わないかのようでした。  十一月、数百鉢の菊はみごとに咲きかおりました。重陽前の一夜、きぬ綿をかぶせられた二十本ばかりのみが、何か勢いに欠けるような気がいたしました。精気を人にうつしたのだから当然だと夫は事もなげに申しました。菊はまことに精妙な植物でございます。陽ざしを受ける時間、肥料の混合の割合、わずかな差異が、開花に優劣をつくります。開花前の大切な時期に、たとえ一夜にせよ、蕾をいためつけられたせいなのだ、と、わたくしは理で考えました。  その年の暮れ、懐妊の兆があらわれ、夫は重陽の夜の契りの結実だと申しました。  八月のはじめ、男子を出産いたしました。この躯のどこでこれほどの乳がつくられるのかと訝《いぶか》るほど乳はゆたかに溢れ、赤子ひとりでは飲み切れず、絞りとった余りを、夫は菊の根に注ぎました。その年の重陽、生後三箇月の息子をも、夫は行事に参加させました。  秋風に抵抗力のない素肌をさらすのはさすがに心配で、着物は着せたまま衿もとをはだけ、手をさしいれて万遍なく拭いました。やわらかい丸いくちびるの両脇に、針でつついたほどのえくぼを浮かべて、赤子ははっきり笑ったのでございます。  赤子が匂やかな少年に生い育つのと符節をあわせて戦争が激化し、それでも重陽菊節句の行事は欠かさずにつづけられました。夫はわたくしの躯を拭い、わたくしは息子の躯を拭いきよめるのでございました。夫はあいかわらず自分の躯は粗末にあつかいました。  夫の申しますとおり、花の気が身のうちにとおりわたって邪を払うのであれば、わたくしも息子もとうに菊花の化身となってもおかしくないのですが、もとよりそのようなことは起こらず、平凡な日常でございました。  ただ、その年に一度の奇妙な儀式のあったときだけ、わたくしは、このひととまことに夫婦《めおと》であると感じるのでございました。悦びよりは、むしろ淋しさを、わたくしはおぼえました。残る三六四日、夫とわたくしは、時たま閨を一つにする他人同士というふうで、それはそれでいっそ気楽だったのでございます。  菊は毎年みごとに咲きそろうのですが、次第に畑をせばめねばならなくなりました。花は、戦争には不要なものでございました。  夫の死は、精密な機械の歯車が理由もなく突然一つはずれたような、思いもかけぬもので、医師は死因を急性心不全としました。  その後、息子が見よう見まねで菊の露の行事をひきついだのは先に申したとおりでございます。そうして、学徒出陣、戦死、とつづきました。  敗戦の日、わたくしはひとりでした。  農地改革やら財産税やら、夫から遺された土地は、あらかたなくなりました。住まいと、そのまわりのわずかな土地が残りました。  残った土地の大部分を貸し、その収入と、戦死した息子の少しばかりの軍人恩給で、どうにか食べるだけのことはまかなえます。  わたくしは、菊作りに日を送るようになりました。夫の遺志を継ぐというような殊勝な心根ではございません。ほかに、することを知らなかったからです。  女手ひとつの仕事ですから、鉢の数はたかがしれております。そのかわり、一茎ごとに丹精いたしました。夫に命じられたことだけを、命じられるままにしていたときとちがい、ひともとの花が開くまでに、何とまあ手間のかかることでございましょう。一年にただ一度の開花をみるために、一日の暇もなくまめやかに心をくばり躯を動かさなくてはならないのでした。冬のさなかにも、親株の防寒、苗の消毒、腐葉土の切りかえし、根分け苗の施肥、乾燥肥料の作成と、風に吹きさらされて立働きますし、炎天下の夏、追肥やら定植、脇芽をつみ、灌水、日除け作り、赤子より手がかかりました。  以前は好みではなかった厚走り、厚物咲の大輪種が、これほどいとおしくなるとは思いもしませんでした。夫の生前より、はるかに身近く夫を感じました。  重陽の早暁には、露をふくんだきせ綿で全身を拭いきよめます。そのとき、わたくしの手は、夫の手となり、息子の手となることを知りました。  長寿など、なんで願いましょう。菊の露に長寿の効があると信じきれるほど素直でもございません。けれど、儀式はすでにわたくしの生となっておりました。食べ、眠るのとひとしい、自然な営みでございました。まして、そのときだけ、夫の手、息子の手がわたくしの肌を丹念にやさしく撫でさすってくれるのでございます。  戦後の三十九年は、まるでただ一年のようにも感じられます。毎年、同じ仕事のくりかえしでございます。  幾分の変化は、もちろんございました。住まいに隣接した土地は財産税として物納したのでございますが、後に電鉄会社に払い下げられ、そこは遊園地になりました。秋の菊人形と菊花展が、昨今では呼びものとなっております。夫の下で働かされ、菊作りの技を仕込まれた人たちやその子供たちが、いまでは自営農のかたわら菊の栽培を盛んに行なっているのでございます。なかには昔のかかわりを懐しく大切に思ってくれている人もおりまして、わたくしの老いた手にあまる力仕事を助けてもくれます。鉢を売りさばいてくれるのも、そういう人たちでございます。地代と恩給では食べるだけがせいいっぱい、肥料やらなにやら、菊作りにかかる費用は、菊を売ったかねでまかないます。利益はたいして残りません。  展覧会に出品しないかと、ずいぶん誘われました。いつも、ことわりました。わずらわしかったのです。出品すれば、審査員とやらが、品さだめして、優勝だの入選だのと、等級までつける。つい隣りでありながら、菊花展をのぞいたこともありませんでした。  それを……去年、魔がさしたと申しましょうか。なにげなく、立ち寄ってしまったのでございます。  よせばよかった。知らなければ、おだやかな日がすごせたものを、とも思います。  家族連れの客で、遊園地はにぎわっておりました。  帝冠、桜秀、劇舞、光琳、雪山などと銘をつけられ、整然と並んだ大輪の菊の鉢は、わたくしの興をそそりはいたしませんでした。厚物、管物、大掴、それぞれの種類ごとに選ばれた優勝花を、この程度のものなのか、わたくしの子供の方がみごとだ、などと冷やかに眺めて通りすぎました。  つづく一画は、菊人形展で、八犬伝をあつかっておりました。  竹で胴を編み、黄菊白菊で埋めつくし、人形首をつけた菊人形も、わたくしには美しいともおもしろいとも思えませんでした。  菊人形の会場につづいて、小さな掛小屋が建っているのを目にいたしました。展覧会と菊人形展の見物客相手の、アトラクションというのでしょうか、歌と踊りと芝居をみせるという立看板が出ておりました。芝居の外題は菊人形にちなんで八犬伝、半月のあいだ日替りで、毎日一幕か二幕ずつ、いろいろな場面を見せる趣向のようで、入口には犬塚信乃と犬飼現八の芳流閣の決闘らしい菊人形が飾られております。  わたくしは、かたい家に育ちました。芝居小屋は悪所、決して足を踏み入れてはならぬ、絵看板に目をむけてもならぬと、幼いころ厳しく親にいましめられ、自分には縁のない場所と思っておりました。わたくしの幼いころは、祭礼に掛け小屋芝居はつきものでしたけれど、最近では、ほとんど目にすることもございません。  なかは一度も見たこともないくせに、稚拙な絵看板に郷愁のようなものをおぼえました。入場料は八百円。わたくしでも、それほど気重なく払える額でございました。いまさら、親の禁忌でもございません。窓口で切符を買おうとすると、もうとっくに始まっていて、昼の部はじきに終わるのだからと、五百円に割り引いてくれました。  急ごしらえの桟敷は八分どおり埋まっており、舞台では、どういう筋書きになっているのでしょう、悪役らしい赤っ面の武士と、水干姿の若い女の立廻りの最中、ああ、あれは旦開野《あさけの》かと納得いたしました。そこに、犬塚信乃、犬山道節、犬飼現八とおぼしい三犬士があらわれ、旦開野こと犬坂毛野に助太刀して悪役を倒し、大見得きって、あっけなく幕となりました。これでおしまいでは、五百円でも高かったと席を立とうとしますと、隣りの客が、このあとまだ舞踊ショーがあるとひきとめてくれました。  他愛ない、レコードの流行歌にあわせて、似たりよったりの振りで踊る舞踊がつづきました。歌舞伎役者のような白塗りに、アイシャドウ、付け睫毛という化粧も奇妙なものでした。ときどき、客が舞台に近づき、熨斗袋やむき出しの一万円札の祝儀をわたしていました。  七、八番進んだときでしたでしょうか。  つづきまして、お待ちかね、座長市川菊之助の登場でございます。踊ります曲目は……。  司会のアナウンスにつづいて流れた歌が何であったかおぼえておりません。  その若い座長と息子のおもざしが似かよっていたわけではございません。舞台にあらわれた若い役者は、芸者のような粋な着付で、何という形の髪なのでしょう、鬢《びん》が横にはり髱《たぼ》は鶺鴒《せきれい》の尾のようでした。  歌舞伎役者の名をつなぎあわせたような芸名のこっけいさも、気にならなくなりました。女に扮しながら、頬から顎の鋭さに、若い男があらわれておりました。あちらこちらから客が立ちあがって、舞台のはしに祝儀をおきます。客の大半は中年から六十、七十の老女なのですが、かぶりつきに若い女の子が群がり、やがて女の子たちは、紙の手提から色とりどりのひねりをつかみ出し、舞台にむかって撒きはじめました。  ひとりの年とった女が客をかきわけ舞台のきわまで行くと、祝儀袋をそっと置きました。そうして、舞台で踊る役者にむかってかるく両手をあわせて頭をさげ、席に戻ったのでございます。  わたくしは、自分の姿を見る思いでございました。  なくなった息子を思い重ねている自分に気づきました。息子は戦死して、いったんは神と祀《まつ》られたわけでございますが、敗戦と同時にその座からひきずり下ろされました。しかし、神上がった魂が、地上の人間のつごうで、それほどたやすく蹴落とされるものでございましょうか。息子は、わたくしにとって、息子であるとともに、若い雄《たけ》き神でございます。  役者は、いくら年若いといっても、色にまみれ、金銭の汚濁によごれておりましょう。けれど、舞台の舞い姿は、たしかに、神の�よりまし�なのでございました。  そのとき、そのように理屈で考えて重ねあわせたのではございません。ただ、わけもなく、わたくしは心のなかで手をあわせておりました。  愚かなとお嗤《わら》いになりましょう。白塗りの舞台化粧に目をくらまされたのだと、嘲りもなさいましょう。承知でございます。しかし、だまされるとは、どういうことでございましょう。たとえ束の間の幻影であろうと、その瞬間、当人には真実であったなれば、その瞬間をどうして嘘と申せましょう。  歌舞伎座や明治座などの舞台を観たことがないわけではございません。わたくしの妹が東京に嫁ぎ、けっこうに暮しておりまして、何年に一度というくらいではございますが招《よ》ばれて上京し、観劇したこともございます。そのような大劇場は、もはや、悪所と呼ばれる妖しい力は持たない、見た目にきらびやかではありますけれど、それだけに張りぼてのそらぞらしさが目につき、いっこうに酔いもいたしませんでした。  掛け小屋は、侘しくみじめでございました。役者が足を踏み鳴らせば、床の継ぎ目がぎいときしみ、背景の道具幕の破れ穴から、裏の楽屋がちらりとのぞけました。薄汚ない舞台で、その若い役者は花と匂いたったのでございます。薄汚ない侘しい舞台であるからこそ、匂いたったのでございましょう。  若い座長役者が会釈して袖に入ったあと、下廻りらしい座員が祝儀袋やおひねりをかき集め、御声援ならびに贈り物、まことにありがとうございました、と司会のアナウンスがありました。  更につづいた幾番かの踊りは、とりたてていうこともございません。流し目をつかい、裾をまくって見得をきり、退屈なばかりでございました。  最後にもう一度、若い座長が登場いたしました。若衆|髷《まげ》、二藍《ふたあい》の地に銀で歌を散らし描いた着付でございました。そのとき、客席から畳紙《たとう》を捧げた中年の女が進み寄って舞台にあがり、包みを開きました。膝をついた役者の背後から、朱と薄浅葱《うすあさぎ》に染めわけた踊り衣裳の両袖を翼のようにひろげ、着せかけました。  その日は、半月の興行のちょうど中日にあたっておりました。千秋楽までの残る一週間、わたしは毎日小屋にかよいました。夜の夢は艶やかな色に浸し染められました。最後の日に、お札を一枚、お祝儀にいたしました。そうしてわかったのでございますが、お祝儀や贈り物をわたしますとき、どれほど大勢の観客がほかにいようと、一対一の絆が、その瞬間は結ばれるのでございます。そう、感じられるのです。  お賽銭をあげるときも、そうではございませんか。神仏が、そのときは、ひとりの顔をひたと見てくれる。  もとより、錯覚でございます。そう承知しながら、衣裳を捧げ贈る夢をみました。  この一座、ふだんは東京の小屋や関東、中部一帯の温泉センターなどをまわったり、この土地には毎年一度、菊花展のアトラクションに出演する契約なのだとききました。来年も来るのですね、と、わたくしは一座の頭取に念を押しました。  申しましたように、わたくしは、殺した男の名も知りませぬ。  国選の弁護士さんは、わたくしも傷を負わされたのだから、争ったはずみに刺したといえば正当防衛と主張できる、殺してしまったので過剰防衛とされ、有罪判決は免れないかもしれないが、それでも執行猶予がつくだろうと言われましたが、わたくしは、殺す意志があって殺したのでございます。  この年になりましても、死刑はおそろしゅうございます。なろうことなら逃げのびたい、本能にせかされる虫のように、そう念じます。でも、今になって嘘を申すくらいなら、殺しはいたしませぬ。  その見も知らぬ男は、わたくしの菊を踏みにじったのでございます。たかが花ではないか、人の命とひきかえになるか、と責められるのはわかっております。  今年の展覧会に出品するつもりで丹精した厚走りでございました。色は濃黄ばかり、二十鉢。ゆたかな丸みを帯びた花芯にむかって鱗《うろこ》状に盛りあがり、下部から管状の走り弁が均整よく剣のようにのび、どれも申し分のない仕上がりでございました。  嫁ぎまして以来、はじめて、今年の重陽、わたくしは菊の露を身に享《う》けることをいたしませんでした。菊の力は菊のうちにとどめて、よりみごとに開花することを願ったのでございます。  出品すれば必ず優勝する自信がございました。  庭に闖入《ちんにゆう》した男は、半ば正体ないほどに酔っておりました。何やらわめきながら、手にした棒で、わたくしの菊を打ち叩き、足蹴にかけました。  後でわかったのですが、土地の人ではございません。東京あたりから泊まりがけで、菊見物の遊びに来た、団体客のひとりでございました。宴会のあと、酔いざましに散歩に出、仲間とはぐれ、ひとりふらふらと迷いこんできたのでございます。  酔った目に、夜の大輪の黄菊が、何を見せたのでございましょうか。宴席で、よほど耐えがたい屈辱をこらえでもしたのでしょうか。  事情は知りませぬ。後に酔いから醒めた男が何か弁解したようでございますが、わたくしは聞き流してしまいました。  わたくしの住む家のまわりに、人家はございません。遊園地もすでに人影はとだえておりました。  菊を踏みにじる男に、わたくしは自分の非力も忘れ、むしゃぶりつきました。男は苦もなく、わたくしを突き放しました。手にふれた支柱の竹をひきぬいて、わたくしは男に打ってかかりました。男は竹を奪いとり、横なぎに払いました。はずみでございましたでしょう、鋭く斜にそがれた竹の先端が、わたくしの顔を、一すじ切り裂きました。  顔をおさえた指のあいだからしたたる血が、男を我れにかえらせたようでございます。  男はうろたえ、わたくしにあやまりました。治療費は出すから、このことは公にしないでくれ、内聞にしてくれ、と、申すのでした。  この菊は展覧会に出品するものだったのだと、わたくしは声を荒げず申しました。優勝するはずだったのだ、とも。  優勝の賞金に相当する金額を弁済する、と男は申しました。明日まで待ってほしい、いま、この場では持ちあわせが足りないが、明日、カードで預金をおろせば、五十万でも百万でも、ととのえるのは苦もないことなのだ、とにかく、内聞にしてくれ、あんたがころんで怪我したことにでもしてくれ、くどくどと男はたのみこみ、逃げ去りました。  地に散り敷いた花弁の黄は、泥に湿り、土の上に一面、黄色い小花が咲き開いたようでした。  家に入り、鏡に顔をうつしました。左の瞼の上から顎にかけて、みごとに一文字に切り裂かれ、溢れる血で顔は赤い花になっておりました。わたくしは、笑ってしまいました。夜道を医者に行く気にならず、力がぬけて横になり、一晩、痛みをこらえるだけで精を使いはたしました。  翌日、まさかあらわれはすまいと思っていた男が、おとずれてまいったのでございます。  身なりのいい中年の男でございました。  わたくしの顔の疵《きず》を見て色を失いましたが、まだ医者にいかなかったのかと咎《とが》めるように言い、札の束を、わたくしの前に置きました。大金を出したことで、むこうは尊大な余裕のある笑顔になりました。これだけ出してやったら、文句はあるまい。笑顔は、そう語っておりました。  わたくしは茶をすすめてくつろがせ、男の背後にまわり、全身の重みをかけ、剪定鋏《せんていばさみ》の先で、男のぼんのくぼを貫きました。  純白の綾羅、裾から胸にかけて大輪の菊を金絲銀絲で縫いとった振袖を、宙に視ました。帯は銀地に朱の細い線で、模様はやはり菊でございます。  若い神への捧げものとして、すでに注文してある踊り衣裳でございます。半金は前金でいれなくてはなりませんので、葬式の費用にと手をつけず貯えておいたものを支払いました。残金は、菊花の優勝賞金をあてる心づもりでございました。  男がわたくしによこした慰謝料は、衣裳の費用をまかなうのに充分な額でございました。黙って受けとっても事はすんだのでございます。  しかし、傲慢な薄笑いとともに恵まれたかね、お恵みいただいたかねで、どうしてあの衣裳があがなえますものか。  奪いとらねばならぬ、と、わたくしはこのとき、閃《ひらめ》くように思ったのでございます。  この手、血に染めて、身を堕《おと》しつくして、手にいれたかねなれば、美と汚濁を一身に混沌と集めて花ひらいたわたくしの少年神に捧げるのにもっともふさわしい。恵まれたかねなど、役にたちはしない。  倒れた男に、幾度も、鋏を突き立てました。血しぶきがわたくしにもかかりました、事がすんだら、全身を洗いきよめ、衣裳を受けとりに店にいこう、そうして芝居小屋にとどけよう、今日が乗りこみの日のはず、そう思いながら鋏を突き立て突き立てしておりますうちに、快く酔っている自分に気づき、愕然《がくぜん》といたしました。  これほど烈しい、醜い力が身内にひそんでいたのか。  男の所業は、この残虐に価しませんでした。  男は、ただ、わたくしの、閉じこめられていた力を炸裂させてしまっただけなのです。  少年神でさえ、わたくしの前には力ないものとなりました。  八十年に一日を残すこれまでの歳月は、最後に己れの夜叉《やしや》の顔を見出すためにあったのでございましょうか。  なま暖い男の血はわたくしの肌の上で乾いて鱗となりました。  わたくしは、自首するために、家を出ました。  死刑になされませ。  楽《がく》  屋《や》 「この楽屋は宙吊《ちゆうづ》りになっているんです」  と言うと、女は驚いた様子《ようす》もなく、 「そうね」  と応じた。  舞台裏の楽屋一つでは手狭《てぜま》になり、あとから急ごしらえに架設《かせつ》されたのだろう。ほとんど垂直に迫《せ》り上がった鉄製の階段をのぼったとっつき、幅《はば》四尺ほど、奥行きは五人並んで顔をつくるのがせいいっぱいの、短い廊下《ろうか》のような小部屋、それが舞台のうしろの中空に浮かんでいる。  パッチ一つの半裸で化粧前《けしようまえ》にあぐらをかき、白|塗《ぬ》りの目もとに紅《べに》をさした顔をくずそうとすると、「待って」と、女はまたカメラをむけた。 「三十五歳の男の躯の上に、やさしい女顔がのっているの、おもしろいわ」  化粧前と反対側の壁には、役者たちのシャツだの小物をいれた紙袋だのが鴨居《かもい》の釘《くぎ》にさがり、どんづまりの壁ぎわにおかれた耐用《たいよう》年数を過ぎたテレビに、灰色の走査線が停止寸前の脳波のように流れている。  座長や他の座員は階下の広い楽屋でくつろいでいる。F温泉センターのアトラクション興行は、連日、十一時開演、二時終演の、昼間一回だけだ。終幕後、この女に写真をとらせてくれといわれ黒地|裾引《すそひ》きの女形の衣裳《いしよう》のまま空《から》の舞台でポーズをとり、ひとり化粧を落とすのがおくれた。浴衣がけの中年女や婆《ばあ》さんが、だだっ広い大広間に十二、三人という今日の客のなかで、ジーンズに活動的な上衣のこの女の姿は、舞台からも目についていた。持参のカメラは、プロの持物のように仰々《ぎようぎよう》しい。 「なぜ、おれなんかに一目惚《ひとめぼ》れしたの」 「あなたが生きるのに不熱心みたいにみえるからじゃないかしら」  彼は苦笑した。 「ほら、その笑い顔。あなた、舞台で斬《き》られて死ぬとき、そういう顔で苦笑したわ」  刀で斬る、そのとき、舞台の嘘が客の眼にまるみえになるわ、と女はつづける。  刃が肩から背へ袈裟《けさ》がけに走っても、血しぶきどころか、衣服が裂《さ》けもしない。その嘘を、「苦《にが》っぽい、まるで自嘲《じちよう》するような笑顔で、いっそうあからさまにしていたわ」 「そんな不まじめ、しませんよ」 「それじゃ、無意識なのかしら」  温泉の湯気が楽屋にまでしのびこむわけはないのに、空気は厚ぼったく湿っている。このF温泉は、昭和三十二年、農家が副業でやっていた豚《ぶた》のホルモン焼きの店を、当時はやりはじめていたヘルスセンターに改築したもので、建物は古び、設備もあまりよくない。建てつけが悪いのか、どこからともなく絶えず砂埃《すなぼこり》が舞いこみ、床に敷いた茣蓙《ござ》の目に、掃《は》いた後でまた、蟻《あり》が湧《わ》き出すように砂粒があらわれ、湿気でべっとりねばりつく。  鏡のなかに、彼は女の視線の動きをとらえた。鏡と鏡のあいだの引違いの小窓に興味を持ったようなので、開けてやった。窓枠《まどわく》に指の白粉《おしろい》が残った。  頭をつき出しても肩でつかえるから墜《お》ちはしないのだけれど、道具幕をとり払ってから見とおせる眼の位置の高さにぞっとしたのか、女は躯をひいた。 「楽屋って、たそがれの空をうつす水のようね」  女は言う。 「水……ですか?」 「日常と祝祭の、危《あや》うい中間地帯。生と死の、と言いかえてもいいわ」 「それじゃ、まるで三途《さんず》の川だ」  彼が言うと、女は笑い、 「役者さんが、一瞬、透明になるところ」 「おれが、いま、透明ですか」 「芝居の役という鎧《よろい》をぬぎ捨て、日常という衣裳をまとうまでのあいだに、透明になる瞬間があるのよ」 「汗くさい裸っていうだけのことだがな」 「入口に貼《は》ってあったあなたの写真を見たとき、ここに入る気になったの。何枚ものスチールのなかから、あなただけが眼にとびこんできた」 「土、日は、もっと客が入るんですよ」 「明るくて哀《かな》しいの。なぜかしらと思ったわ。明るさと哀しさと、正反対のものが背中あわせに貼りついている」  彼は、化粧前の棚《たな》の下から焼酎《しようちゆう》のびんとコップを出した。 「飲みますか」 「生《き》じゃ飲めないわ」 「お湯ありますよ。そこの魔法びん。今日は、特別入りが薄かった」 「公会堂の方にお客をとられているんじゃないの」  薄刃の剃刀《かみそり》のように、女の声は彼の耳を裂いた。  剃刀を連想したのは、そのとき、彼の眼に、化粧前に無造作《むぞうさ》に投げ出されてある実際の剃刀がうつっていたためか。  女は、自分が閃《ひら》めかした言葉の刃物には気づかないようで、 「恋川千太郎、あの人、旅役者出身なんでしょう。いまや、歌でも凄《すご》い人気ね。それ、ひげ剃《そ》りに使うの?」 「そうです」 「舞台化粧の前に、ひげを剃るの?」 「ええ」 「ひげを剃って女になるの。何だか凄い。電気剃刀じゃないところがいいわね。よく切れそう。電気じゃ、剃ったという気がしないでしょうね。いそいで剃って、頬《ほお》を切ってしまうこと、ないの?」 「ありますよ」 「あなた、恋川千太郎と少し似ている」 「……そうですか」 「でも、恋川は明るくも哀しくもないわ。汗っぽいだけ。野心と、それにみあった人気と栄光が、脂《あぶら》になって皮膚《ひふ》を鈍重《どんじゆう》にしているわ」 「恋川千太郎、嫌いですか」 「嫌いよ」 「野心のある男、嫌いですか」 「ええ」 「人生投げちゃってる男が好きなんですか」 「片足下りている男の人って、明るくて哀しいでしょ」 「野心は、生まれつき男なら持っている牙《きば》ですよ。それを無理無体に抜かれたら」 「血を流すわね」 「血が好きなんですか」 「そうかしら」 「いとこなんです」 「だれが。ああ、恋川千太郎とあなた。だから、少し似ているのね、顔立ちが」 「おれ、下りているようにみえるんですか」 「下りてないの? ほら、その笑い」  彼はクレンジング・クリームを指先ですくいとり、顔になすりつけようとした。 「こわしてしまうの、その顔」  少し哀しそうに女は言う。  彼は手をとめた。 「あなたは、熱演しているようで、ちっとも熱くなっていなかった。そのくせ、熱っぽいせりふでお客を昂奮させていた。女の人にもそういうふうなの?」  答えるかわりに、彼はいきなり女を抱き寄せ、くちびるを吸った。頬を打たれるかと思ったが、女は応じた。ジーンズのファスナーに手をかけると、それが陶酔《とうすい》をさますきっかけになったように腰をよじって避《さ》け、躯をはなした。 「殺生やな、こんなんしといて」  女の指が彼の顔にべっとりとクレンジング・クリームを塗りつけた。 「このガーゼで拭《ふ》きとるの?」 「自分でやるよ」 「躯は男で顔は女。ミノタウロスね」 「何ですか、それ」 「躯は人間で顔は牛なの、ミノタウロスは。それとも、キマイラかしら。頭は獅子《しし》で、躯は……」  彼は化粧をぬぐいとった。 「仮面がはずれた」  と女は言った。 「これ、素顔だと思いますか」 「素顔も、哀しくて明るいわ。もう一度、キスしてくれる?」 「キスだけ?」 「そろそろ、行かなくちゃならないの」 「どこへ」 「公会堂」  と言って、女は彼のくちびるにむしゃぶりつき、しばらく彼の腕のなかにいた。それから、彼の手をもぎはなした。 「公会堂?」 「ごめんね。わたし、仕事で恋川千太郎の写真をとるために、Fに来たの。ところが、東北新幹線の列車を下りて、駅前のタクシーの運転手に、『旅役者の……』と言いかけたら、早のみこみで、『あ、わかりました』と、ここに連れてこられてしまったの」 「………」 「タクシーを下りたとき、運転手さんがまちがえたなと、わかったわ。すぐにひきかえすこともできたのだけれど、あなたに……あなたの写真に、惹《ひ》きつけられた。この人の眼、何だろうと思ったの。恋川千太郎の方は、夜の部にまにあえばいいから、ここの舞台もみていこうという気になったの」  彼は空になっていたコップに焼酎を注《つ》いだ。コップの底に砂粒が沈んでいる。 「ここから公会堂まで、車なら五分とかからないわね。さっき、センターの人にきいたら、そう言っていたわ」 「もう、まにあいませんよ」  彼はテレビを指さした。 「インタビューがはじまってしまっている」  ——ちんこ芝居って知っていますか。  ゆれ動く走査線がおぼろな映像を結び、画面いっぱいの恋川千太郎の顔が、インタビュアーに喋《しやべ》っている。  ——小児《ちいこ》がなまって、ちんこになったんですね。豆芝居とかちんぴら芝居ともいうんですが、六つ七つから十五ぐらいまでの子供が主役で、大人を脇にまわして、芝居をするんです。ぼくは両親とも役者で、三歳のときから舞台に立っていました。七つでちんこ芝居の人気者になりました。 「嘘つけ。それは、わいや」  彼はつぶやいた。  ライトを浴びた恋川千太郎の頬は上気し、恥じらった少女のようだ。  ——ぼくがちんこに出るようになった昭和三十五年ごろというのは、テレビが盛《さか》んになったおかげで、旅芝居の常設座館は次々につぶれ、田舎の掛け小屋まわりばかりでした。ぼくは宇和島《うわじま》の出身で、四国は、昔は旅芝居のメッカといわれるくらい興行が盛んだったところですが、劇場は全滅、悲惨な状態でした。それでも、子供が血煙 荒神山《ちけむりこうじんやま》の吉良《きら》の仁吉《にきち》だの、下田《しもだ》情話の唐人《とうじん》お吉《きち》だの、やくざ物から人情物から悪達者にこなすと、これが受けましてね、ぼくは一座の米櫃《こめびつ》でした。 「それは、わいや。おまえは、おれの稼《かせ》ぎで学校にかよわしてもろて、いい目見たんやないか」  彼は思わずどなり、女の手を握ってひきよせた。一言一言、女の耳に打ちこむように、 「おれも千太郎も、役者の子やった。宇和島の。おれは、ふた親に早く死なれて、千太郎の親父の一座に入れられた。千太郎は、母親が——それが、おれのおふくろの妹なんやけど——役者にしたくないといって……、千太郎は母親といっしょに実家に住みついた。千太郎の親父は旅で稼いだかねを、女房子供のところに送っていた」 「つまり、あなたが稼いだおかねね」  女の声がやさしく彼の耳をなでる。  彼は、いつもの苦笑をとり戻した。激昂《げつこう》を人前にさらさなくなって久しい。  ——父は、芸のことではきびしかったです。ぼくは、ようどづかれましたわ。せりふをとちったといっては、太鼓《たいこ》の桴《ばち》でなぐられ、これは痛いですよ、出がおくれたといっては蹴《け》とばされ……。  愛情などこもってはいなかった、と、彼は思い出す。思い出したいことではなかった。虚《むな》しい苦痛でしかなかった。忘れようとつとめてきた。 「芸にきびしいといえば聞こえがいいけれど、つまり、あいつの親父は乱暴な男やったんや。酒飲んで酔っぱらうと、みさかいのうなって。酒乱や。あいつのおふくろが、あいつを連れて実家に残ったんも、一つには、乱暴されて辛抱《しんぼう》できんかったせいもある」  こんなことを、なぜ、赤の他人である女に話す気になったのか、赤の他人だからだろうか。  明るくて哀しい、と、仮面の裏を見ぬいたような言葉が、妙に甘やかだったせいもある。明るくてずぼらという者はいても、哀しいといわれたことはなかった。化粧も仮面、素顔も仮面、二重の仮面の底から滲《にじ》むものを、この女の眼だけが、めざとくすくいとった、と苦笑しようとし、どんな表情になったのか、自分ではわからない。  楽屋が宙吊りだといったのを、そうね、と素直に受けとめられたときから、女に心をひらきはじめていた。おかしなことをいう、と嗤《わら》わなかったのは、この女だけだ。  ——今になってはなつかしいんですけれど、ほんまにひどい小屋をまわりました。夜、楽屋で寝るでしょ。天井のすきまから、星がみえるんですわ。もちろん雨が降れば雨もり。もるなんてものじゃなかったな。ざあざあ流れこむんです。 「偉《えら》そうに……。みんな、わいから盗みよって。ぬくぬくと学校にかよっとったやつが。雨もりの楽屋ぐらい、なんぼのもんや。そのくらいの苦労は、みな、しとる。わいらのもう一つ前の連中は、戦後のヒロポン全盛時代や。給金のかわりにヒロポンもろて、生きのびてきたんや」  ——入りが悪くて食べられないとき、もう時効だからいいますけれど、よその畑のものを盗みもしました。大人がやると目立つし、つかまったとき許してもらえんでしょ。ぼくの役目でした。一度、みつかってね、警察につきだされるかと思ったら、かわいそうだって、お婆ちゃんが、さつまいもやら柿やら、ひとかかえ持たせてくれました。  嘘や。こらしめのためだと、肥溜《こえだめ》に落とされた。イメージこわすような話は、せんのやな。  ——どんな辛《つら》い思いをしても、舞台が好きでしたから。舞台に立てさえすれば、満足でした。何もかも、なつかしいですね。一時舞台を退《の》いたのは、変声期になったからです。  彼は、瞼《まぶた》が濡《ぬ》れたので横をむいた。声が出なくなったときの口惜《くや》しさ哀しさが、あまりに鮮やかによみがえった。それまでは、子供とはいえ一座の花形だった。芝居も達者だが歌はそれ以上だと、お世辞ではなくほめられ、大阪の辣腕《らつわん》の興行師が目をつけ、阪神地区の大きな劇場《こや》に一座ぐるみ出る話が進みかけた矢先であった。  十二歳だった。  声が出なくても舞踊ショーだけならつとまるのだが、ちょうどそのころ、千太郎が、春休みで劇団に遊びに来ていた。小学校を卒業し、四月から通う中学の制服が彼の目にまぶしく、千太郎の前で化粧をし鬘《かつら》をつけるのが、どうしてもできなかった。  そのころ、鳴物《なりもの》はまだレコードやテープではなく、下座《げざ》がいた。三味線をひく下座の小母さんの傍で、彼はつけを打ち、囃子《はやし》の太鼓を受けもった。根が器用なのだろう、みようみまねで、じきに三味線も身についた。 「今でも、一応ひけますよ。ギターでもドラムでも、必要になればこなしちゃう」  舞台に立たなくなったので、給金がストップした。下座を手伝うぐらいでは、かねはくれない。もともと給金は小遣いにもならない程度で、歌謡ショーや舞踊ショーのとき客がくれる祝儀《はな》が大きいのだけれど、それもとだえた。  大阪の興行師から口がかかり、一座は四国をはなれた。千太郎と母親も、大阪に越した。天王寺《てんのうじ》にアパートを借り、生活費はあいかわらず、座長である千太郎の父親が仕送りをしていた。母親は水商売に出るようになった。そのころから千太郎は父の仕事に興味を持ちはじめ、近くで興行しているときは、楽屋に立ち寄り、舞台をのぞいた。  年ごろが近いので、千太郎は彼に親しみをみせた。  ——声がわりで舞台に立てない時期、ぼくがどうやって過したと思いますか。  千太郎は、いささか得意げに、  ——ぼくは、文楽《ぶんらく》に入ったんです。  ほう、と、インタビュアーが感嘆の声をあげる。 「それまで奪《と》りよるのか!」  彼は叫んだ。  文楽入りは、彼の、ひそかな誇《ほこ》りであった。  ——ぼくらの芝居も、根は歌舞伎であり、歌舞伎の基は人形|浄瑠璃《じようるり》ですからね。この際、みっちりと勉強しようと思ったんです。  そんな余裕のあるものではなかった。必死のあがきだったのだ。一座にいれば、最低の食と住だけはあてがわれるけれど、無給である。いつまた、まともな声にもどって舞台に立てるようになるのか、その舞台も、テレビに押され、苦しくなる一方だった。  千太郎の言葉は、人形遣いの弟子になったようにとれるが、彼がありついたのは、道具|方《かた》の下で働く雑用係だった。躯を酷使《こくし》する労働の合間《あいま》に、舞台をのぞき見た。わずかだが給料をもらえ、きまった休みもあるので、暇《ひま》なときには大歌舞伎を立見《たちみ》で見た。いつか、近松《ちかまつ》の浄瑠璃物の舞台に立てたら、と胸が痛いほどに、思った。  歌舞伎は名門の子弟でなければ一生うだつがあがらない。彼が立てるのは、旅芝居の舞台、それも、昔なら、列車の一駅ごとに小屋があり、地元の人の大きな娯楽になっていたのだけれど、今は、専門の小屋はかぞえるほど、九州などは小屋は全滅し温泉センターばかり、大阪でも四つ五つ、あとは温泉センターという状態である。  それでも、いい、どんな舞台であろうと、|女 殺《おんなころし》|油 地獄《あぶらのじごく》だの、曾根崎心中《そねざきしんじゆう》だの、きっちりと演じられたら……と。 「こないな夢を持ったこともあるんです。最初から人生下りていたわけじゃない」  千太郎は、彼が働いている文楽の舞台裏にも、ときたま遊びに来た。  早よ、戻ってきいな。声出るようになったやんけ。おれもこのごろ、少しは親父の芝居手伝うとるんや。  舞台に立っとるんか。  そうや。せやけど、親父にどづかれて、かなわんわ。なあ、教《おせ》えたってえな、女形のコツ。親父、何《なあん》も教《おせ》てくれよらんで、どづくばかりや。吉《きい》ちゃん、ちんこでお染やらお七やら、こなしとったんやろ。  甘えるように躯を寄せられ、  背え丸めたらあかん。躯こごめたかて女にはなれへん。逆に背すじのばして、貝殻骨つけるようにしてみ。顎《あご》がつんとあがって胸が出て、肩の線がやさしなるやろ。  こうか。  そして、正面切ったらあかんのや。躯のむき、斜めに客にみせるんや。その方が細うみえる。手も男はごついさかい、袖口《そでぐち》にかくして指先だけみせる。袂《たもと》、こないにからげてみ。かっこうつくやろ。  先輩きどりで教えるのは悪い気分ではなかったが、何か哀しくもあった。これでは、隠退した老優みたいじゃないか……。  仕事場ばかりではなく、彼のアパートにも千太郎は訪ねてくるようになった。はじめて訪れたとき、千太郎は、十六、七の女の子といっしょだった。彼が顔見知りの、劇場の売店でバイトをしている娘だった。軽口をたたいたり、からかったり、そのていどのつきあいはしていた娘である。大切に、ゆっくりと、親しさを深めたいと彼は思っていた。  しかし、その夜は、彼の予想もしない乱雑なものになった。  その後、女の子の親からねじこまれた。  おれのこと、言わんといて。こんなん親父に知れてみい、おれ、親父にぶっ殺されてまうわ。おまえなら、怒る親おらんやろ。  ええわ。  彼は、いくらか投げやりにうけあった。  女の子が一方的に被害者だったわけではない。手ごめにしたような言いかたをされ、彼は、怒るより、辛《つら》くなっていた。  それ以来、千太郎は、彼のアパートを、女の子を連れこむ場所に利用するようになった。長つづきはせず、相手はしじゅう変っていた。  彼が文楽の裏方をくびになったのは、千太郎の不始末の身替りになる事が度重《たびかさ》なったためであった。怒る親いてへんやろ、と言われると、何となく納得して引き受けてしまうのは、千太郎の父の激怒のおそろしさが身にしみてわかるからでもあるが、 「やはり、足の半分ぐらいは、下りていたのかな。夢は夢、どうせうまくいくわけがないと……」  それとも、怒る親もいない淋しさを、幼いころに味わいつくしたためか。  あの時期のことを、得々と、あいつに喋らせていいものか。  だが……不思議なのだ。おれが口にしたら、みじめな苦労話が、あいつの口をとおせば、輝かしいサクセス・ストーリーの一齣《ひとこま》になる。食えなくて畑の南瓜《かぼちや》を盗んだことも、楽屋の天井の割れ目から星を眺《なが》めたことも、声を失なった苦しさも。  サクセス・ストーリーにふさわしい過去を持たないあいつは、おれの記憶をことごとく奪いやがった。  あいつがテレビで何万何十万のひとに語っているのは、おれの歴史だ。顔はあいつだが、なかみは、おれだ。  ——変声期を切り抜けたので、また劇団にもどりました。  あいつの親父の一座には、もどらなかった。いずれにせよ、おれが身をおくところは、旅芝居のほかにはなかったのだが、上方《かみがた》の和事《わごと》をきっちりとやろうという劇団は、なかった。なまじすぐれたものを知ってしまったため、辛さが増した。旅芝居は、いうなれば、祭りの夜店の駄菓子だ。高級料亭の懐石料理とは、たのしみかたが違うのだ。祭りの夜の気楽な賑《にぎ》わいに、なくてはならぬ綿菓子や鼈甲飴《べつこうあめ》、しんこ細工《ざいく》。 「それでいいじゃあねえか、と自分をなだめるんですけどね。違うところに生まれていたら……と、つい……」  何でも器用にこなす芸達者と、重宝《ちようほう》に使われた。千太郎は高校に籍をおいていた。  ——十九のとき、独立して一座を持ちました。  雇《やと》われ座長だった。年上の座員の意地悪い仕打ちに耐えなくてはならなかった。せりふやからみの間《ま》をはずされ、上手にごまかすすべをおぼえた。旅芝居がどん底にある時期と重なっていた。一年でその座はつぶれ、他の劇団に入った。夜の夢では、油にすべりながらお吉に刃をふりかざす与兵衛、雪の降りしきるなかを梅川《うめがわ》の肩を抱いて歩みなやむ冥途《めいど》の飛脚《ひきやく》の忠兵衛であった。 落人の為かや今は冬枯れて、薄尾花《すすきおばな》はなけれども、世を忍ぶ身のあとや先、人目を包む頬冠り、かくせど色香梅川が、馴れぬ旅路を忠兵衛が、いたわる身さえ雪風に、こごゆる手先ふところに、暖められつ暖めつ……  千太郎は二十二で座長になった。父親のあとをついだのである。父親は後見として、なお、一座を束《たば》ねていた。  彼は、かたわらに、女の体温がないのに気づいた。  眼をうつすと、テレビの画面に、女はいた。恋川千太郎にカメラをむけていた。女が取材するところを、テレビのカメラがうつし出しているのだった。追憶にふけっているおれをおいて、車で駆けつけたのだ!  ——歌手として人気が出るようになったのは…… 「それまで奪《と》るな!」  彼は立ちあがり、叫んだ。  鉄の急な階段を駆け下り、外にとび出した。どのようにして車を拾ったのか意識にない。公会堂へ、と命じた。  レコードの吹き込みの話は、最初、彼に持ちこまれたのである。彼の記憶では、そうなっている。  奪られつくしてきた……。  変声期を通りぬけた彼の声は、演歌にむいていた。はりがあって、よくのび、小節《こぶし》がたくみであった。  旅芝居に少しずつ陽があたりはじめていた。といっても、マスコミに騒がれるのは、ごく一部の役者であり、大半はこれまでとかわりなくセンターまわりをつづけているのではあったけれど、レコードを出す役者も数を増してきていた。  彼は柄《がら》が小さいのが難だが、子供のころから叩きこまれた芸の達者さと、技巧を越えて滲《にじ》み出る情感が客を捉《とら》えるとみえ、何人かの贔屓《ひいき》客がついた。座長といっても給料はたかが知れている。興行のたびにまとまった額の祝儀《はな》や華やかな舞台衣裳を贈ってくれ、何かと面倒をみてくれる御贔屓さんがいなくては、役者の暮らしは成り立たない。  座長大会ともなると、客たちが自分の贔屓役者を守《も》りたてようと、贈り物を競いあう。  マイクを手に歌う役者に、満員の人波をかきわけて舞台に近づいた客が、一万円札をつらねたレイをかけてやり、この日のため誂《あつら》えた衣裳を得意げにひろげて肩に羽織らせる。  所属する劇団が異なる千太郎と彼が顔をあわせるのは、この座長大会の折だった。  舞台衣裳は傷みがはげしい。ふだんは、見た目は派手でも、地はレーヨン、せいぜい三、四万であがる安物で数を揃《そろ》えるが、座長大会のときは、座長同士みえをはらざるを得ない。正絹の絞り、縫《ぬ》いとり、箔《はく》置きといった一着数十万もする豪奢《ごうしや》な衣裳をととのえてくれる贔屓は貴重であった。  吉ちゃん、久しぶりやな。千太郎は、人なつっこく甘え寄る。ええベベ作ってもろて、ええな。そう言いながら、衣裳を値ぶみしそっと見くらべる千太郎の眼は、女のようだった。  贔屓になってくれるのは、自前で店を持っている水商売の女が多い。彼にレコード吹き込みの道をつけてくれたのも、スナックを経営している中年の女であった。その店に飲みに行くと、彼に勘定を払わせず、年に一枚は高価な衣裳をつくってくれるといったふうだった。その代償に、ひとり身の女の躯の淋しさをなぐさめることを求められた。  女は彼を店の常連客であるレコード会社のプロデューサーにひきあわせた。  プロデューサーの気にいられ、やがて、歌詞と譜面を与えられた。近々、テスト盤を吹きこむからと予告されたのだが、その後いっこう連絡がなく、話はたち消えた。女に問いただそうとしたが、女は彼に会うのを避け、店に彼が行くと、すっと姿を消すということが重なった。  数箇月後、千太郎の初吹き込みのレコードが華々しく発売された。歌詞が少し違っているが、曲はまぎれもなく、彼に与えられたものだった。  彼はようやく女をつかまえ、なじった。女は逆に、あんたがわたしを裏切ったんじゃないか、と、くってかかった。  ——ああ、またか……。  千太郎の中傷《ちゆうしよう》で、贔屓が彼をうとんじたり、千太郎に鞍《くら》がえしたりすることが、それまでに何度もあったのだ。  中傷は手に負えぬ刃物だ。どんな弁明も、ざっくり開いた傷口を完全に消すことはできない。疑いは、信頼をいっきに食いつぶす。  畜生。歯ぎしりしながら、彼は、ついには一歩|退《の》く。おまえは恐い親がいてへんもの。親がいないからこそ、孤《ひと》りで闘うのだと牙をむく前に、つい、片足を闘争的な生からおろしたくなる。父親関係あらへん。生まれついて牙が欠けとるのかもしれん。  なんぼでも、俺を蹴倒してみ。実力で這《は》い上がってみせたるわ。内心自負したのだが、度重なる中傷は、彼の評判を落とし、贔屓をつきにくくしていた。金に汚ない、実《じつ》のない女たらし、と、彼の知らないところで噂《うわさ》は定着してしまっていた。  握りしめた手が痛い。剃刀の柄を握っている、と気づいたとき、彼は、スタジオのなかにいた。  彼を明るくて哀しいと言った女が——カメラマンだといった女が——千太郎とくちびるをあわせていた。 「千」  彼は呼んだ。烈しい声を出したつもりが、何か投げやりな声になっていた。 「おれ、おまえの咽喉《のど》かっ裂いたるつもりで来たんやけどな」 「おれをか?」  千太郎はふりむいた。  眼があった。彼は、苦笑した。千太郎も笑った。 「よこしいな」  千太郎の手に、彼は剃刀をわたした。  おれの顔やな、と、千太郎を見て、彼は思った。  剃刀が一閃《いつせん》した。彼は、殺す恐怖と殺される恐怖、そうしてどちらにも共通した陶酔《とうすい》に似た忘我《ぼうが》を、その瞬間感じた。 「テレビをつけろ」  座長に命じられ、 「何チャンですか」  下廻りがききかえす。 「恋川千太郎のインタビューと舞台中継があるだろう、公会堂の」 「いま、新聞みます。ああ、あれはまだ早いですよ。いま三時半でしょう。インタビューと中継は五時からです」  そのとき、階段を踏み鳴らして駆け下りてきた女が、吉弥さんが剃刀で咽喉を斬った、と告げた。女の顔から胸に、血しぶきが散っていた。 「どうして!」 「わかりません。わたしが恋川さんのところにこれから写真をとりに行くといったら、テレビを指さして、もうまにあわないと言って、それからちょっとして、ふいに」 「テレビを? しかし、二階の楽屋のテレビは」 「ええ、こわれていました。何もうつっていなくて、走査線が流れているだけ」  座長を先頭に座員たちは階段を駆け上る。  女は、楽屋から舞台にまわった。掻《か》き切った彼の手をはなれた剃刀は、勢いよく小窓から外にとんだのだ。舞台に、それは落ちていた。小窓から流れる明りが、スポットライトのようだ。  花《か》  刃《じん》     1  おびただしい血溜りのなかに仰向けに倒れている。  それが、記憶の根元にある幼い自分の姿だと、彼は、おだやかな眼をした五十年輩の婦人である家裁の調停委員の前で、どうしても口にできないのだった。  夢を、現実の体験ととりちがえているのだ。そう、何度も自分に言った。自分の倒れている姿を俯瞰《ふかん》するなど、夢でなくてはあり得ないことだし、彼の躯には、大量の血を流した傷の痕らしいものは、一つもなかった。  その上、巨大な翼を持った怪烏のような男が頭上から見下ろし、彼を攫《さら》って行こうとした、などと言えば、これはもう、だれがきいても、子供のころに見た他愛ない悪夢だと断定するにちがいない。幼い子供は、しばしば、夢に見たことと現実にあったことの区別がつかなくなるものなのだ。  夢なのだ、と納得せざるを得ない。もう一人、血溜りに倒れている男の姿も、記憶にある。それが彼の父親で、刀を腹に突き立ててかっさばき、紐のような腸がはみ出し、両の手が血みどろの姿も浮かぶのだが、彼の父もまた、一文字の割腹の痕などありはしなかった。脇腹に三センチほどの縫合の痕はあるが、盲腸の手術の痕だと、父は言っていた。 「どうして、もう少し早く、きちんとする気にならなかったんです。三十五年もたってからでは、調査するといっても大変だわねえ」 「必要がなかったので」  彼は手短かに答えた。 「出生届が出してなかったのは、あなたのせいではないわねえ。いつ、戸籍がないことがわかったの」 「中学に入学の手続きをするときです。親父は五年生のときに死に、母親は……ぼくが物心ついたときにはいなくなっており……ぼくが一人で手続きをしなくてはならず、そのとき」 「小学校に入学するときは? 戸籍がなかったら、就学の通知も届かなかったでしょう」 「親父が、ぼくが学校に行く年だと気がついて、とにかく、そのとき興行中だった土地の小学校に連れていったんでしょうね。そして、出生届を出さなかったために戸籍がないという事情を話したんだろうと思います。半月か一月ごとに転校する旅まわりの役者の子ですから、学校の方でも、やかましいことは言わなかったんでしょう。ぼくは小さかったので、その辺のことは知りません」 「お父さんは、どうしてあなたが生まれたときすぐに届けなかったの」 「要するに、単純に、ずぼらだったんですね。田舎の旅まわりだから、生まれたとき、すぐに役場に行けなかった。一日のばしにしているうちに、日がたちすぎて、今度は、届けに行くと怒られると思ったのかな。そんなに大事なことだとも思わなかったのかもしれませんね。親父の気持は、おれにはわからねえ」 「生まれた場所は」 「知りません」  四国の……南の方だったのだろうか。父のいる一座が巡業してまわったのは、四国一帯だった。  小学校の一年、二年のころ、雪を見たおぼえがない。菜の花が一面にひろがっていた。秋も冬も、旅をして歩いていたのに、そのころの記憶は、なぜか春野ばかりだ。  転校につぐ転校だが、いじめられたことはなかった。むしろ、行く先々ですぐに人気者になった。まだテレビもほとんどなく、訪れてくる旅の一座は、土地の人たちに何よりのたのしみを与えた。彼は物おじしない茶目っ気のある子供だったし、大人に混って暮らしているから、同じ年ごろの子供たちの知らない知識を持っていた。その上、夜は綺麗に化粧し衣裳と鬘《かつら》をつけて踊るので、女の子たちはスターを見る目を彼にむけた。役者の子をいやしむ風習のない土地をわたり歩いた幼時は、倖せだったとさえいえる。ただ一つ、父親が酒乱であったことをのぞけば。そのことの不幸は、彼のすべての倖せの総量をはるかにしのいだ。 「転校するときは、先生が、在学した証明書みたいなものに判を押して持たせてくれました。ノートみたいに綴じてあって、それを次の学校に提出して、また判をもらうんです。それですんでいたから、戸籍がないことなんか知らなかった」 「それで、中学に行くときになってわかったのね」 「ええ、驚きました」 「中学へは?」 「行かずじまいです。でも、これでずいぶん本は読むんですよ。字なんて自然におぼえますからね。ただ、書くのは苦手だ」 「明治や大正のころならともかく、三十五歳ということは、戦後生まれね。それで戸籍がないというのは……私も、こういうケースは、はじめてだわ」  調停委員は、品のいい良家の夫人という感じだ。お嬢さん育ちなのだろう、……千津のように……と、彼は思った。 「ここで出生証明書とかいうのを作ってもらって、就籍届とかいうのといっしょに区役所に出せば、新しい戸籍を作れると、区役所の戸籍係の人に言われました」 「ええ、それはそうなんですけれどね、あなたの話だけで簡単に証明書を出すわけにはいかないんですよ。あなたが、だれそれの子供で、いつ、どこで生まれた、たしかにその本人である、ということが確実に証明されなくてはね」 「それがわかっていたら、とっくに手続きしています」 「まったく何もわからないの」 「わかりません。親父の本名が矢川総五郎、舞台での名前は市川千丸。わかっているのは、そのくらいなものです」 「お母さんの名前は」 「知りません。親父が教えてくれなかった」 「兄弟とか、伯父さんとか伯母さんとか」 「いません。親父の親戚ぐらい、どこかにいるんでしょうが、会ったことも名をきいたこともない」 「それじゃ、あなた……」 「天涯孤独」と、彼はおどけた口調で言った。これを言うと、たいがいの女が、かっこいいという表情に感傷を混ぜて彼を見るのがおかしい。 「お父さんの郷里は」 「関西のなまりがあったから、西の生まれなんでしょうね。もっとも、生まれはどこでも、長年西にいれば、西の言葉が身につくが」 「お父さんの本籍地もわからないの」 「わかりません」  戸籍がないと知ったとき、十二歳の子供にできるだけの手はつくし、父の郷里、せめて本籍地を、知ろうとした。わずかな手がかりにもすがりついて探した。三、四年徒労を重ね、親を恨《うら》んだ。いらない子供だったのかと、ひそかに泣きもしたのだが、その後は、戸籍などいらない、親の身元も自分のルーツも知らなくてもよい、と思いさだめたのだった。おれは現に生きているのだから。忘れようと思えば忘れていられることだ。そう決心したのは、そのころかわいがってくれた女が、自分には子宮がないと言ったときである。裸の躯を抱くと、臍《へそ》から一直線に、薄紅い傷の痕がてらりとしていた。帝王切開したのかという彼の問いに、悪性の腫瘍ができて全摘出したのだと言った。忘れていられるものなのよ、あんたみたいな人が思い出させさえしなければ。なくたって、こうして生きているものね。 「これでは、私の方も調べようがないわ。あなたの方で、もう少し手がかりを提出してくれたら、その真偽を調査するのだけれど。小さいころの巡業地ぐらい、わからないものかしら。どうして、今ごろになって急に戸籍を……」  調停委員は、 「結婚?」  と、微笑し、彼が記入した書類に目を落とした。 「矢川将吉さん。いまも舞台に立っているのね。大衆演劇……。芸名は?」  皐月野《さつきの》、と言いそうになって、彼は、 「太刀川菖次《たちかわしようじ》です」  と言いなおした。皐月野の姓は、師匠にとりあげられた。そのことが、彼に一つのきっかけを——あるいは、ふんぎりを、与えたといえる。 「出生地、調べてみます。何かわかったら、また来ます。そのときはよろしく」  冷房のきいた家庭裁判所を出ると、梅雨の合間にしては強すぎる陽が照りつけた。強烈な陽射しは目の前に暗闇をつくり、その中央はぼうぼうと白く赫《かがや》き、怪烏のような男、血溜りを、久々に彼は瞼の裏に視た。     2  将吉が刺された!  受話器が、千津には、何か不気味なものに変容したようにみえた。  舞台の上で。刺したのは、座長、明石百代《あかしももよ》。  電話で知らせてきたのは、明石劇団の下廻り、三島由美であった。  七月十一日。百代の息子で副座長の明石あきらが、義兄皐月野良太郎の姓を継ぐ襲名披露座長大会の当日である。 「劇場《こや》の近くのJ**という救急病院に、救急車ではこびました」 「すぐ行くわ」  くわしい事情をききとるのももどかしく、身仕度にかかった。  自分でも意外なほど、躯はきりきりとこまめに動いている。そのくせ、何もまとまったことは考えられなかった。財布は持った。鍵も持った。そんな実務的なことが脈絡なく浮かび、ふっと気を抜いたら畳に平たくなってしまいそうで、独楽《こま》が廻りながら直進する勢いの衰えぬうちと、靴をつっかけドアを開けた。  出会い頭に、人にぶつかりそうになった。品のいい地味なブラウス。五十前後の見知らぬ女。目にうつったのは、それだけだった。ごめんなさい、と会釈もそこそこに、アパートの外廊下を小走りに行こうとする。 「矢川将吉さんの同居の方ですね」  背後から女の声が追う。 「ええ、そうです」  走りながら答える。 「私はカサイの……」 「すみません。今、いそいでいますので、また……」  振り切って、急な階段を降りた。露地を抜け、駅にむかう途中で、おりよくタクシーを拾えた。  ——将吉が明石百代に刺された……。  シートに腰をおろし、ようやく、電話の言葉を反芻《はんすう》する余裕ができた。  舞台の上で、将吉が明石百代に。  そんな馬鹿な話はない。逆なら、まだ……。  いいえ、将吉はそんな馬鹿なまねはしない。  病院の受付の前に、目を泣き腫らした由美が待っていた。わたしにむしゃぶりつくと、そのままわたしを押すようにして、廊下を進み階段を下りる。  ——地下へ……?  手足の先が冷たくなるのを感じた。由美の導く先が察しがついた。地下には、病室はない。  将吉の顔には、白布がかけられてあった。 「吉田千津さんですね。**署の者ですが」  男が寄って来て言った。  わたしは白布をめくった。どんな無惨な顔があらわれるかと恐ろしかったのだが、将吉は、疲れきって帰宅し服もぬがずに寝入ってしまったときと同じ、無防備なくつろいだ寝顔であった。女形も似合うくらいで男にしては小作りなのだが、死んだ将吉は、二まわりも大きくみえ、堂々としていた。身をかがめ、蝋色《ろういろ》の頬に頬をつけた。底冷えのする冷たさがつたわった。 「少し話をききたいんだが」  横で男が言う。由美がスツールをわたしの傍に寄せた。腰をおろし、将吉の手を握っていようと思ったが、両腕は躯ごと白布にくるみこまれていた。 「明石百代は、なぜ、太刀川菖次さんを殺害したんですかね」  太刀川菖次……。わたしは、一瞬とまどった。——そうだった。赤ん坊のときから旅まわりの舞台に出ていた将吉が、十五歳の年から二十年間使いなれた『皐月野菖次』の芸名を師匠の皐月野良太郎にとりあげられ、改めた芸名が、太刀川菖次だった。その名で、今日、はじめて舞台に立ったのだ。ここ半月ほど、将吉は東京をはなれ、一人でどこかに旅行し、昨夜帰京したのである。今日の座長大会にゲスト出演することは、前から決まっていた。  明石百代が、なぜ、将吉を——。なぜ? と問いたいのは、わたしの方だ。 「舞台で、どんなふうにして刺したんですか。わたしはまだ、何もきいていないんです。将ちゃんが明石座長に刺された、としか」 「きみ」と、刑事は由美を顎で呼び、 「きみはその場の様子を目撃していたんだったね。話してあげなさい。その後、こちらの質問に応えてもらおう」  組舞踊の最中だった、と由美は言った。  三つの曲をメドレーにした、芝居仕立ての趣向のある舞踊である。夏祭りで、浴衣がけの男や女が群れ踊っている。由美も、そのなかにいた。町娘姿の百代と、いなせな若い衆の副座長あきらのラヴ・シーン。そこへ、手古舞いの芸者に扮した菖次があらわれ、若い衆は芸者に心をうつす。嫉妬に逆上した町娘が、若い衆が帯のうしろにはさんでいた匕首《あいくち》をぬきとって、芸者を刺す。 「その匕首が、本身の刃になっていたんです」 「本身の刃に……」 「知らなかったと、座長もあきらさんも言っているわ」 「知らなかったって」 「当然、小道具だと思っていたって。刀身だけが、本物になっていたの。柄《つか》も鞘《さや》もかわっていないから、気がつかなかったって」 「だから、誤って刺してしまったというの。……いいえ、そんなはずはないわ。いくら本物の匕首でも、まちがって刺してしまうということは、あり得ないわ! 殺すつもりがあってやったのでなければ」 「どうして」と、刑事が言った。刑事は、その答えをすでに知っていて、わたしの反応をたしかめているような、余裕のある表情だった。 「踊りの振りですもの。刺すのはまねだけです。お客の目には刺したようにみえても、実際は躯の横に押しあてるような形になるだけです」 「ちょっと、実際にやってみてくれないか」  匕首のかわりにしろというつもりだろう、刑事は手にしていたボールペンをわたしによこした。わたしは立ち、ボールペンを逆手に握って由美とむかいあい、突き出し脇腹の横にあてた。切っ先は躯に触れもしない。  刑事は、うなずいた。 「我れ我れも、その点に不審を持った。小道具の匕首はジュラルミン製だそうだね。型だけで刺したようにみせるのだということは、ほかの人たちからもきいた」 「明石座長が……どうして、将ちゃんを……」 「明石百代は、太刀川菖次さんの方から、躯を刃先にぶつけてきたと言うのだ。抜いて逆手に持ったとき、何か重さがいつもより重いと感じたそうだ」 「抜く、刺す、が、一瞬でしょう」と、由美が、「あれ、と思い、刃の光りぐあいが……と思ったときには、もう、突き刺さっていたんですって。厚い踊り帯でも締めているときなら、深い傷にならないですんだけれど、手古舞いの衣裳だったから……」 「将ちゃんが躯を刃先に。そんな馬鹿な話。何のために。由美ちゃん、あんた、いっしょに舞台に出ていて、見てたんでしょう。将ちゃんが、そんな馬鹿なことをした?」 「踊っていたから、その瞬間のことは……わからない。わからないのよ」  由美は、また、しゃくりあげた。 「明石百代は、こういっている。第一に、自分が太刀川菖次を殺さねばならない理由がない。仮に動機があったとしても、大勢の人の眼の前で刺し殺すなど、そんな愚かなことをするわけがない。そうして、明石百代は、こうも言っている。菖次は、誤解して、百代を恨んでいた。それで、百代に傷害犯の汚名を着せようと企み、匕首の刀身をすりかえた。刺殺のシーンで、わざと自分の躯を傷つけるようにした。軽い掠《かす》り傷《きず》ですますつもりのところが、はずみで致命傷になってしまった。ふつう、腹を刺してもなかなか死なないものだが、刺さった刃が、どちらがどう動いたためか、その辺は百代は夢中でおぼえていないそうだが、更に横に切り裂くようになってしまった」  わたしは、軽い脳貧血に襲われ、突っ伏した。  事情聴取は、小休止の後につづけられた。 「本身の匕首の刀身を、だれかが持っているのを見たことはないですか」 「ありません」 「太刀川菖次さんは、つい先ごろまでは、皐月野菖次という芸名だったそうだね。どうして改名したんです」 「師匠に——皐月野良太郎先生に——返せといわれたんです」 「関西の劇団の座長だそうだね、皐月野良太郎というのは」  刑事は、すべて、他の人たちからきいて心得ているらしかった。それなら、放っておいてほしい……。 「菖次さんは、皐月野良太郎さんの弟子だったんですか」 「ええ」  良太郎が病気で長期間にわたり療養しているとき、将吉は、二十にみたない若さで座長のかわりをつとめ、一座をひきいていたこともあったと、きいているけれど、わたしは黙っていた。  よけいなことを喋る気力がなかった。 「それがどうして東京に」 「独立したくなったのでしょう」  将吉は口数の多い方ではなかったが、酔ったときなど、ふと言葉がこぼれるように、過去を少しずつわたしに語った。他人の話をするように淡々と。そういう語り口でなくては、話せなかったのだと思う。父親も旅役者であること。生まれながらの流れ芸の族《うから》の一人であること、母を知らないこと、小学校五年のとき、大阪で興行中にアル中の父親が卒中で死に、皐月野良太郎の劇団にひきとられたこと。おまえは並の役者が三年かかるところを三月《みつき》でこなすと師匠の舌を巻かせた。十五歳で皐月野の芸名をもらい、いずれは二代目にと目された。師匠の病中、劇団をあずかった。彼は、あずかった以上、自分の思いどおりのやり方でとおそうと思ったが、師匠が何かと口出しし、喧嘩になり、劇団をとび出して上京した。そのころ同棲していた女といっしょだった。役者はやめるつもりで流しをして稼いだ。女とは、じきに別れた。  だから、おれは芝居の外の世界もよく知っている、というのが、将吉が誇らかに言うことの一つだった。将吉の話には、自分褒めが多い。わたしはそれを自惚《うぬぼ》れとはとらず、彼の自負、プライドときいた。実力の裏づけが確かにあったからだ。  そのうち、東京のあちらこちらの劇団から手伝いをたのまれ、ゲスト出演するようになった。ゲストだから、常に劇団の座長や花形を立て、脇にまわることが多いのだが、主役を食う芸達者で人気が出た。師匠とは、次第に和解した。 「どうして名前を返せと?」 「何か、また師匠と喧嘩したらしいです」  喧嘩したといっても、将吉は、皐月野良太郎を敬愛しきっていた。年は十しかちがわないけれど、兄というよりは父親のように思っていたようだ。明石百代に母親を感じていたように。 「明石百代の息子のあきらくんが、今度、皐月野の名を継ぎましたね」 「ええ」 「それは、どうして」  すでに知っているらしいことを、また、たずねる。 「百代座長の長女の洋子さんが、皐月野良太郎先生と結婚したんです」 「洋子さんは初婚、良太郎さんは再婚だそうだね」 「ええ」 「年はかなりはなれているのだろう」 「良太郎先生は四十五、洋子さんは二十七です」 「それじゃあ、良太郎さんは、娘のように若い女房がかわいくてならんのだろうな」 「赤ちゃんもできたしね」由美が口をはさんだ。 「皐月野の姓をあきらくんに継がせるというのは、明石百代の希望だったのだそうだね」 「そうらしいです」 「『皐月野』の方が、『明石』より格が上とでもいうことかね」  皐月野良太郎は、関西では、大日方満《おおひがたみつる》、美里英二《みさとえいじ》、浪花《なにわ》三之助《さんのすけ》と、人気実力ともに肩を並べる四天王の一人である。若さの花はやや衰えたとはいえ、彼の巡業先にファンの一群がついて移動するほどで、中年の女たちのアイドルといえる。明石百代は、あきらのために、強力な後楯が欲しかったのだ。百代座長は、洋子とあきらがまだ幼いころ、やはり役者だった夫に死に別れ、その後、女手で夫の一座をひきつぎ、苦労をかさねたときいている。 「あきらくんが、皐月野良太郎の二代目になるわけだね」 「たぶん」 「本来なら、菖次くんが二代目を継ぐはずだった」 「さあ、先生がどう考えておられたか、わたしは知りません」 「あきらくんに継がせるために名前をとりあげられたと、菖次さんが怨みを持ち、意趣返しに自分を傷害犯にしたてようと仕組んだのにちがいないと、明石百代は主張している」 「そんな……」  明石百代を傷害犯にしたてようとして、かるい怪我ですますつもりが、はずみで致命傷を負ってしまった……。  何とも滑稽であほらしくて、そんなばかなことを、と笑い捨てたいのだけれど、わたしは、否定しきれないのだった。  明石百代は、勝利者なのだ。将吉を殺す理由がない。そうして将吉は、ずいぶん哀しい境遇に育ったわりには、くったくなく、からっと明るくて、いい気っぷなのだが、人一倍意地が強く、思いこみの激しい一面もあった。好き嫌いも強かった。いったん信じた人間には、裸身をさらけだす甘えをみせるが、嫌いな相手は、大切なご贔屓《ひいき》さんでも寄せつけなかった。そういうところは、七つ年下のわたしより子供っぽいほどだ。  刑事が去ると、由美は、 「菖次兄ちゃんは……」  と言いかけて、また泣きだした。 「千津子って……呼んだわ。もう囁《ささや》くような声だったけれど。救急車がくるのを待って、楽屋に寝せられているとき。皆、うろたえて騒いでいた。わたし、兄ちゃんの枕もとに一人でいたの。わたしの方に手をのばそうとして……千津姉ちゃんとまちがえたのね。それきり、意識不明になって、そのまま……」 「千津子?」  わたしはききかえした。 「千津子と呼んだの? 『千津』じゃなく?」  わたしの名は、千津だ。将吉は、親しくなってからは、千津と呼び捨てにし、千津子とも、千津ちゃんとも呼ばなかった。 「千津子さん、と言おうとしたのかしら。そんなふうにきこえた。よく聞きとれなかったの。ごめんなさい。でも、たしかに、千津姉ちゃんの名前を呼んだのよ、最期に」 「行って。二人だけにして」  わたしは頼んだ。由美が去ってから、もう一度、底冷えのする頬に頬をふれた。 「将ちゃん、わたしを呼んでくれたのね。でも、どうして、千津子って……。わたしは、千津、なのに」  ほかの女の名を、将吉が死にぎわに口にすることはない。わたしは、それだけは信じられる。     3  皐月野の名を返せと師匠に命じられた。  そう将吉が言ったとき、あまり、さりげない口調なので、そのことの重大さは、はじめ、わたしの耳を素通りした。そう、と聞き流しかけて、 「え、何て言ったの」  将吉に目をむけた。 「皐月野の名を返せとさ。つまり、今後、皐月野菖次とは名乗るなという命令だ」  卓袱台《ちやぶだい》の上にのっているのは、レミーマルタンのボトルで、二DKのアパート住まいにはふさわしくない贅沢さだけれど、『皐月野菖次』のご贔屓さんからの贈り物であった。  将吉は、安酒は決して口にしなかった。外で飲むときも、ボトルをおいてあるのは、ちょっと豪華な感じのする店ばかりであった。縄のれんの大衆酒場はいやだと言う。将吉の立つ舞台が、入場料九百円の大衆演劇——いまは廃れた言葉で言えば『旅芝居』——の小屋や、地方の温泉センターなどであることを思うとそぐわない気がして、「縄のれんの方が気楽でいいじゃないの」と言ったことがある。  コップ酒で酔いつぶれ、店の土間に寝そべってしまっている父親を、泣きながらひきずっていた子供のころを思い出すのがいやなのだと将吉は言い、わたしは何も言えなくなった。  豪華といっても、浅草のことだ、ママもホステスもざっくばらんで、ことに、将吉がどこよりも好んで行く『リヴィエラ』などは、マスターとママの夫婦が将吉を息子扱いし、ご贔屓さんと同伴でないときは、代金をとらないほどだ。その話をきくと、気のきいたご贔屓さんは、菖ちゃんのツケの分も、と余分に代金をおいていってくださるのだった。  将吉は、わたしと知りあったころは、すでに東京でフリーになっていた。方々の劇団に頼まれてゲストで出るのだが、その礼金は、一箇月で三万円だの五万円だの、まるで小遣いにもならない金額である。それでも、将吉のような人気役者になると、舞台に立てば毎日、ご贔屓さんから一万や二万のお祝儀《はな》はつくし、酒、莨《たばこ》、ビールと、しじゅう贈られ、踊りの衣裳もときには贈られるので不自由なことはない。しかし、気まぐれなご贔屓さんのお祝儀だけで成り立っている暮らしに、わたしは馴染みきれず、自分でも仕事をつづけたかったが、将吉は、わたしに家にいてくれと言った。母親を知らず父親を早くに失い、兄弟もない、文字どおり天涯孤独の将吉の、唯一の、わたしは家族であったのだ。  おれの芸に、お祝儀がつくのだ。色を目当てじゃあない。誇りをもって将吉は言った。わたしも、そう思う。しかし、その芸は、色気とわかちがたく溶けあっていて、女客たちの固い財布をひもとかせるのは、歌う皐月野菖次、舞う皐月野菖次の全身が放射する淫蕩ともいえる蜜なのだ。畳にごろ寝してそのまま眠りこむ将吉を見なれてしまったわたしには、遠い世界だけれど、無数の女たちの視線が、この肌を舐めた、ときには、本当に抱きつき唇を求めもした、そう思うと、心が波立つのを押さえきれず、眠っている将吉を荒々しく抱きすくめたものだ。  劇団は、どれも、一年中地方の温泉センターをめぐっており、東京の舞台《いた》にのるのは、一年に、二月《ふたつき》ほどである。しかし、将吉は東京と川崎の小屋にだけ、ゲスト出演するようにしていて、東京のときは、暁け方近くまで飲んでも、家に帰ってくる。家、といっても六畳一間のアパートだけれど。  子供、は、わたしたちのあいだでは、禁句になっていた。  祝儀のたかが人気のバロメーターであることを思うと、皐月野菖次の人気は、かつての師匠、皐月野良太郎には、ついに及ばなかった。 「どうして名前を返せなどと……。何か先生の気にさわるようなことでも……」  わたしは言葉を切った。  くるものが来た、と思った。  明石百代が、息子のあきらに皐月野を名乗らせたがって策動していることは、うちにこもっていることの多いわたしにも感じられるのだった。皐月野の名は、この世界では大きい。  その数日後、将吉は、仕事を休み、ふらりと一人で旅立ったのだった。     4 「何様《なにさま》だと思ってるんだ」  という罵声が、将吉がはじめてわたしにかけた言葉であった。三年前——。  十条の芝居小屋の楽屋で、明石劇団の座員たちが、はこびこんだ荷物の整理に大わらわなのを眺めながら、わたしは立膝で莨をのんでいたのである。  そのころ、わたしは、ある商業劇団の研究生だった。名のとおった古い劇団なのだが、時代物を専門としているので時流にあわず、公演活動は少くなっていた。知りあいの照明さんから、ここのところ躯があいているんだろ、娘役の役者がいなくなって困っているところがあるから、一箇月、助っ人にいってやってよ、と頼まれ、引き受けたのである。  本読みはいつから入るの、立ち稽古は、と問うわたしに、そんなむずかしいことはいらないんだよ、簡単な芝居のちょい役だから。乗り込みの日に行けばいい、と照明さんは言った。  わたしは仙台出身で、高校を卒業後、上京して女子短大に入ったが、芝居の道に進みたく、研究生となった。固いサラリーマンの家にしては母親が芸事が好きで、幼いころから三味線や邦舞を習わされ、時代物の世界になじむ素地はできていた。  夜の九時半ごろ、教えられた劇場《こや》に行くと、一箇月の興行を終えた劇団がトラックに荷物を積み込んでいる最中で、そこに明石劇団のトラックが到着し、挟い道路はごった返していた。  去って行く座の花形役者らしいのに、ファンの女たちがとりすがらんばかりに別れを惜しんでいるのも、わたしにはもの珍しい光景だった。  明石劇団の荷物のはこび入れがはじまった。舞台活動が下火とはいえ、わたしが所属しているのは、名をいえばほとんどの人が知っている、いわば名門である。驕《おご》りが、たしかに、わたしにはあった。その上、客演をたのまれて来ているのだ。座の人たちに混って裏の仕事をやることは頭に浮かびもせず、何と汚ない楽屋だろうと、莨をのみながら眺めまわしていた。わたしたちの劇団がのる舞台《いた》は、東京でも地方でも、設備のととのった大劇場や公会堂ばかりである。わたしは、大衆演劇というのは、それまで見たこともなく、他の商業演劇と同じようなものと思っていた。客席が畳敷きの劇場《こや》——まったく、小屋という言葉がふさわしい——も、はじめてで、珍しいけれど、ここで一箇月暮らすのかと、いささか侘しい気もした。  そこを、彼に怒鳴りつけられたのである。  一人莨をのんでいるのが、いささか居心地悪く、そうかといって、手伝いましょうと言い出すきっかけもつかみかねていたところだった。賑やかなのは嫌いではないから、わいわいといっしょになって、衣裳ケースをかついだ。ちょっと、小母さん、しっかり持ってよ、と、今度はこっちが怒鳴ったのだが、その相手が女座長の明石百代とわかり、恐縮した。  あらかた整理が終わり、一息ついたところで、明石座長から座員を紹介された。副座長の明石あきらは、そのとき高校を出て二年たったばかりで、舞台経験も浅かった。あきらの上に洋子という娘がいるが、これは修業のため関西の皐月野劇団というのに行った。それで娘役が手不足になったという事情もきかされた。総勢十人そこそこ。わたしたちの劇団の研究生ほどの人数もいない。 「それじゃ、明日の前狂言は『長良川情話』、これは、あきらが芯ね。一昨日、赤城でやったばかりだから、わかってるね」汗まみれのシャツを脱ぎ、ズボンも脱いで、ブリーフ一つの皐月野菖次が言う。首も肩も骨太で背は低く、膚《はだ》はうっすらと脂がのったように艶があった。 「切り狂言は『お滝しぐれ』。座長がお銀、おれがお滝。お銀の妹のお光ちゃんは、ゲストの吉田千津さんにやってもらおう」  ふいに名ざされた。 「台本いただけますか」  どんなちょい役でも、一通りの流れは頭にいれておかなくては、と思って言うと、 「台本? そんなもの、ないよ」  皐月野菖次は、あっさり言った。 「あんた、『お滝しぐれ』知らないの。どこでもやっている狂言なんだがな」 「知りません」 「それじゃ、あんたの出るところだけ、ざっと説明するからね。幕が開く。お光が下手から出てくる。野良から帰ったところだ。『父っつぁま、いま帰ったよ』父親が上手から、『おお、お光、ご苦労だったな。いま、飯《まんま》もってきてやるからな』と、お膳をはこんでくる。お光は食べながら、『父っつぁま、姉ちゃんがいたら、飯もうめえのにな。淋しいなあ。姉ちゃんはどうしているだべな』と、やりとり少し、よろしく」  たて続けに喋られ、 「ちょっと待ってください」  わたしは、慌ててさえぎった。 「メモしますから」 「メモ? あんた、メモしなくちゃ喋れないの。せりふってのは、丸暗記したってだめなんだよ。その場の状況をよく頭にいれて、こういう意味のことを喋るんだと呑みこめば、あとは、その場で自然に出てくるものなんだ。素人じゃないんだろ、あんた」 「菖ちゃん、いきなり口立てはむりかもしれないよ。この人、大衆演劇《たいしゆう》の役者さんじゃないんだから。�やりとりよろしく�だの、�例の件《くだん》ので�なんていっても、通じないよ」  明石座長が、とりなした。 「まるで、とうしろさんだな。由美の方がまだましか。由美じゃ頼りないと思って、助っ人をたのんだのに」  わたしが劇団で学んだことは、ここでは何の役にも立たなかった。  翌日、将吉が女形の化粧、着付をした。その変貌に、わたしはぞくっとした。裾引きの着物に帯を一巻きし、下廻りがぐいと端をひく。将吉はくるくるとスピンしながら下廻りに近づいて自らの躯に巻きつける。下廻りが結んで締めあげる。「よし、締まった」男の声でぽんと帯を叩き、次の瞬間、凄艶《せいえん》な女がわたしの目の前にいた。  それからの一月、わたしは、日替りの芝居の口立て稽古に馴れようと必死な日を送った。彼らの芝居は、類型の組み合わせで成り立っているといえた。芝居の筋立ても、せりふも身ぶりも、決まりきった型ばかりであった。善玉と悪玉、かわいい娘、鉄火肌の女。しかし、その類型は、抽出された本質の純粋な結晶と、いえないこともないのだった。大劇場の舞台なら、工夫をこらした書き割り、大道具、小道具、衣裳、更に照明やら音楽やら効果音やらに助けられる。というより、役者とそれらが並立している。将吉たちの芝居は、役者の肉体が見物客にじかに働きかける魅力、それ以外に武器を持たないのだった。  旅役者の子として生まれ育った将吉は、型によって生かされる肉体の魅力を、存分に発揮した。彼の見得は、鮮烈で陶酔的であり、性感に訴える力があった。俗な表現でいえば、客を、てもなく痺《しび》れさせるのである。  将吉なら、まるで意味のわからないお経の文句をせりふがわりにしても、型とエロキューションで客を泣かせることができただろうと、わたしは思う。  小さいころの記憶で、夢だか現実だか区別がつかないようなことって、ないか。真顔で将吉は訊いたことがある。そんなこと、ないわ。おれだけなのかな。血の記憶を、将吉はそのとき、語った。  その興行が終わるころ、わたしは、将吉と別れられなくなっていた。  明石百代は、彼をあきらの兄貴分としてかわいがっていた。役者としての達者さは百代自身より上と認め、狂言はほとんど彼に立てさせていた。彼も百代には言いたい放題を言うような甘えをみせた。それなのに、どうして入座しないの? とわたしが訊くと、おれが入ったら、あきらがかわいそうだろ、と将吉は言った。あきらの影が薄くなるという意昧だったのだろう。  フリーの方が気楽でいい、それでなければ座長をやる、平の座員はいやだ、とも言った。  将吉のささやかな葬いに、関西の皐月野先生は来てくれなかった。明石百代は勾留されたままである——。     5  その女の再度の訪問を受けたとき、わたしは、部屋の隅にただふわりと坐っていた。額も背も汗みずくなのに、窓を開けることすら思いつかず、呆けていた。  明石百代の行為は、明白だった。小屋の客席を埋めた四百人近い見物と、舞台に立つ十人あまりの役者、ほかに袖から見ていた役者もいる、その目の前で、将吉を刺したのだ。  こんな馬鹿げた殺人って、あるだろうか。死刑覚悟の上なら別だけれど。  だから、警察も、そうしてわたしも、百代の言葉に一理あるような気がしてしまうのだ。  自分には、太刀川菖次を殺す理由がない。  匕首は、知らないうちに、本身にすりかえられていた。  自分は、刺すまねだけするつもりだった。菖次の方から、刃先に躯をぶつけ、わざと刺された。もつれあって、傷が深く大きくなり、出血多量で死亡した。  菖次は、いやがらせのため、自分を傷害犯にしたてようとした。  理由は、皐月野良太郎が菖次から皐月野の名をとりあげたこと、そうしてあきらが襲名したことから、自分とあきらを恨んだのである。  良太郎が菖次から名をとりあげたのは、あきらの襲名とはかかわりないことだ。菖次のかってな言動が良太郎を怒らせたのだ。  百代はそう抗弁しているというが、最後の言いぶんだけは、わたしは納得できない。きくところによると、あきらのご贔屓さんを将吉が中傷して横どりした、それを良太郎が聞き知って、汚ないことをと激怒したということだ。それこそ、中傷だ。将吉は、いろいろ欠点はあるけれど、卑劣なことだけはしなかった。わたしは断言する。ご贔屓さんの方が、あきらより将吉に惹《ひ》かれたとしても、それは将吉の罪じゃない。  一日じゅう、わたしはそんなことを考えつづけているのだった。考えるという言葉はあたっていない。積極的に思考を働かす状態にはなかった。とりとめもない想いが浮かび、流れ、渦を巻き、新たな想いが波立ち、消え、それをわたしは眺めているというふうだった。  ドアを叩く音に、重い躯をひき起こして立った。  その女の顔を、前に見たことがあるような……と思ったが、思い出せないでいると、 「先日、一度来たのですけれど、あなたが、いそいでいるからと……。あとでテレビや新聞で事件を知りました。大変でしたね。私はカサイの」と、名刺を出した。  家庭裁判所調停委員 河野牧子。 「ちょっと失礼してよろしいかしら」 「どうぞ」  わたしは、少しうろたえて身をひいた。  河野牧子は、将吉の写真の前で手をあわせ、それから部屋を見まわした。挟い六畳の壁には、将吉の扮装した舞台写真のパネルが並んでいる。 「綺麗ね」 「ええ」 「吉田千津さん?」 「はい」 「矢川将吉さんは、書類に同居人と書いてあったけれど、あなたを正式に入籍するつもりだったのね。ちがいます?」 「入籍?……いいえ……」 「あら。ちがったの。ごめんなさいね。今まで放ってあったのに、突然戸籍を作る気になったのは」 「いま、何て言われました。戸籍?」 「あなたは知らなかったの? だとしたら、私、よけいなことを言って、矢川さんに悪かった」 「将ちゃんに戸籍がないことですか。知っています。だから、わたしたち、子供も……。あの……将ちゃん、戸籍を作る気になったって、いま、そう言われませんでした」 「そのために、家裁にみえたのよ」 「将ちゃん、戸籍を作ろうとしていたんですか。そうですか……」 「かなりむずかしいことだから、きちんと手続きができてから、あなたに話すつもりだったんでしょうね。あなたも、望んでいたんでしょ、入籍を」 「あきらめていました。でも、将ちゃんの子供は……欲しかった。生まれてもわたしの私生児として届けるほかはないから、かわいそうだから……作らないようにしていたんです」 「特殊なケースだから、私も、何とか力になれたらと思っていたの。一度みえたきり、連絡がないので、どうなっているのか気になって、たまたまこちらの方に用があったから、この前、寄ってみたのよ、あの日」 「将ちゃんは、戸籍を……」  わたしは思わず、小さな叫び声をあげた。  千津子。千津子さん。そんなふうにきこえたと、由美は言っていた。千津子さんなどと他人行儀な呼び方を、将吉がするわけがない。  千津、戸籍を、と、将吉はつたえようとしたのだ。千津、戸籍を作るよ。子供を生んでも大丈夫だよ。 「どうしたの」  河野牧子が驚いて、ふいに立ち上がったわたしを見上げた。 「将ちゃん、やはり殺されたんだわ。ね、先生、そうでしょ。家庭を作る気になっていたんです。おれは戸籍なしで生きてきた。親父もおふくろも、おれを作り捨てた。一生このままでいいと、つっぱっていたのが……。生き直す気になったんです。すなおな気持になっていたんです。皐月野先生に名前をとりあげられ、改名した。将ちゃんは、それを、過去にこだわらず、わたしと家庭を作って新しい生活をはじめるきっかけにしたんだわ」  わたしは、河野牧子の肩をつかんてゆさぶっていた。 「明石座長への恨みなんか、捨てていたはずだわ。そうでしょ、先生。それなのに、明石座長を傷害犯にしたてるために、自分の躯を傷つけさせるなんて、そんなねじけたことを将ちゃんがするわけはないじゃありませんか。明石座長は、何か将ちゃんを殺さなくちゃならない理由があったんだわ。襲名に関することよ、おそらく。思いきった方法を、明石座長はとったんだわ。あまりに大胆なやりかただから、わたしまで、だまされるところだった。ね、先生、裁判になっても、動機が発見されなかったら、座長の殺意を証明するの、むずかしいんじゃありません。有能な弁護士だったら、無罪にできるんじゃありません」  河野牧子がくわしい事情を知らないことも忘れて、わたしは昂《たかぶ》って喋りつづけた。 「外から見たところでは、座長には、将ちゃんを殺す理由は何もないのよ。そして、将ちゃんは座長を恨んでいると、だれしも思うわ。だから、座長の捨て身の賭けの成功率は、きわめて高い。本当に殺す気なら、自分が疑われない方法を考えるのがあたりまえですもの。逆手にとったのよ。匕首を逆手に持ったとき、状況そのものも、逆手に利用したのよ。でも、おあいにくさまだわ。将ちゃんには、ちっぽけな復讐心なんてなかったということが証明されたんですもの」  皐月野良太郎と喧嘩別れのようにして東京に出てきたとはいえ、将吉が、良太郎に実力を認められていることをどれほど誇りに思っていたことか、皐月野の名を負ったことを心のささえにしていたか、彼の言葉のはしばしに、わたしは感じていた。うちの座長が、とか、うちの劇団が、とフリーでありながら彼が言うのは、皐月野良太郎とその一座をさしていた。  うちの座長は、こういうふうに教えてくれたんだよ。旅人《たびにん》が登場するとき、袖に立っていて、不用意に出てきちゃいけない、袖から少し離れていろ、そこから歩いて舞台に出ていく、そうすれば、ずっと遠くから歩いてきた感じがお客さんにつたわるって。  うちの座長が教えてくれたんだが、夏祭浪花|鑑《かがみ》という芝居があるだろ、団七と義平次の立ちまわりは、泥のなかでやるのだから足がすべることを忘れるなって。おれたちの芝居は泥舟なんか使えないから、つい忘れがちなんだが、こういう型でやると、泥場の感じが出るだろ。  将吉は、皐月野の二代目であることより、太刀川菖次という新しい芸名に誇りを持とうと思いさだめたのだ。辛さを、わたしには見せなかった。 「何か少しは出生を証明できる手がかりがみつかったのかしらね」 「そういうものが必要なんですか」 「本人が口で言っただけでは、証明書は出せないのよ」  半月の一人旅はそのためだったのか、と、思いあたった。  旅の収穫は……なかったのではあるまいか。何か手がかりがつかめたのなら、もう少し浮きたっていそうなものだ。夜おそく帰ってきて、疲れた顔でそのまま寝てしまった。翌日は座長大会の舞台。そして、死。  ——あれは、自殺?  ふと思った。旅から帰った将吉の寝顔に滲んでいたのは、肉体の疲れだけだったろうか。苦しそうに寝返りをうち、額や小鼻のわきに脂汗がういていた。  しかし、半月の旅が徒労に終わったからといって、自殺に結びつくものではあるまいし、自殺するのに明石座長に殺人の疑いがかかるような方法をとるわけもない。襲名のことで、母のように信頼していた座長に裏切られた口惜しさはわたしの思う以上に強かったとしても、彼はそれを克服し、明るい生を生きることを選びとったはずなのだ。 「いっしょに警察にいっていただけますか」  河野牧子にたのんだ。  将吉が就籍の手つづきをしようとしていたことを、証言してもらうためである。  だから、将吉が自傷という方法で明石座長に復讐を企てたというのは、座長の脆弁《きべん》だ、たくらみにたくらんだ、座長の犯行なのだと、警察も納得するだろう。     6  バッグのファスナーを開けると、むれた臭いがした。  将吉が旅行から持ち帰った手荷物を、わたしは、ずっと放ったらかしにしていた。将吉の汗のしみついた肌着や着替えのTシャツ、靴下、洗面道具。そういったものを、ひろげる気になるには、将吉の死が、あまりになまなましすぎた。  骨壺は小机の上においてあるのだが、それが将吉だとは、わたしにはとても思えない。将吉の骨が、こんなふうにむき出しになって壺のなかにあるなど。焼き場で骨を拾わされたが、頭蓋骨はなかった。肉屋で犬の餌やスープのだしにするために売っている骨みたいな細長い骨ばかりだった。頭蓋骨は、砕けてしまったのだろうか。  夜、睡っていると、将吉の手を肌に感じた。わたしは将吉に抱かれ、わたしの躯は蕩《と》けた。その感触は、とても夢とは思えぬものであった。夢は現実以上に激烈な力を持っていた。生身の将吉は舞台の疲労と毎晩の深酒が重なって、愛しあう時も持たずに寝入ってしまうことが多かったのに、死んだ将吉は、連夜、わたしを悦びの極致に誘ってくれた。  目ざめているときは、ただ、ぼうっとしていた。  将吉の死以来、家裁調停委員の河野牧子がたずねてくるまでのおよそ十日あまり、わたしは、そんなふうに過していたのだった。  何を食べていたのだろう。毎日、一度や二度は何か口にし、そのために外に買物にも出たはずなのに、あまりおぼえていない。  警察に同行してくれた河野牧子は、その帰り、わたしをレストランに誘ってくれた。久しぶりに、食物の味を舌に感じた。  元気を出しなさいとか、あなたがいつまでも悲しんでいたら将吉さんがうかばれませんよ、とか、河野牧子はいたって月並みな言葉でわたしをはげましたが、その月並みな暖かさが、わたしには嬉しかった。  将吉と同棲をはじめたことで、実家からは縁を切られたような形になっていた。将吉が死んでからは、実家の者たちは一度帰ってこいと言うのだが、わたしは会いたくなかった。会えば、傷口を粗い手でこすり上げられる。しかし、河野牧子は他人なので、傷口に触れられても、それほど痛くない。  将吉の遺品を整理しようという気になったのも、河野牧子の月並みな思いやりとレストランの食事のおかげかもしれない。将吉が戸籍を取得しようという気になったのも、もちろん嬉しいことではあったけれど、わたし自身は、どちらでもよかったという気がする。戸籍などというのは、行政上の便宜的なものにすぎない。あろうとなかろうと、わたしにとっての将吉は、かわりはしない。もし、将吉が一生戸籍なしで生きとおすと決意を新たにしたのなら、それでもかまいはしなかったのだ。子供は欲しかったが、それにしても、是が非でもという願望ではなかった。  バッグにつっこんであった下着や靴下は、かびが生えかかっていた。安宿を泊まり歩いたのだろうか。みじめったらしいことの嫌いな将吉だから、むりをしても、小綺麗な旅館を選んだのだろうか。三つ四つ出てきた旅館のマッチを見て、思った。  バッグの底に、旅行のガイドブックと、黄ばんだ紙を綴じたものがあった。  小学校の名前と、校長の名前、そうして、昭和何年何月何日から何月何日まで、何年何組に在籍したことを証すという意味の文字が記され、判が押してある。それが各ページにいくつも並んでいるのだった。紙の上に、わたしの涙が落ちた。  手がかりを探すために、むかし転々とした小学校をたずね歩いたのだろうか。  一番最初は、五月十三日からはじまっている。四月はまだ通学していなかったのだ。  ページのあいだから、何か小さいものが落ちた。かさかさに乾き、色もなくなった、小さい花びらのようだった。  ガイドブックは、一箇所ページを折ってあった。そこを開いてみると、更に、写真による挿図にアンダーラインがみられた。  写真には、『朝倉神社台提灯』とキャプションがついていた。上部に芝居の看板絵を飾った台の下を、浴衣やシャツの夏姿の人々がくぐってゆく写真であった。  朝倉神社についての説明が本文にしるされてある。高知市内朝倉。朝倉駅より徒歩五分。赤鬼山《あかぎやま》の南東麓にある。旧県社で木の丸様とも呼ばれる。開基の年代は明らかでないが、延喜式内の古社で……。  更に、飾られた絵については、絵金という幕末の絵師が描いたものだとある。  絵金。俗称金蔵、筆名は洞意《とうい》。髪結いの子として高知はりまや町に生まれた。幼時より絵を好み、御絵師池添美雅の推挙で江戸に出、狩野派を学んだ。二年後帰国して藩主の御絵師に抜擢《ばつてき》されたが、狩野派名流の偽画を描いたため身分を剥脱《はくだつ》され、以後は神社の台提灯や絵馬、屏風などの作画をし、強烈で刺激的な筆致が評判をとり、特に芝居絵に本領を発揮した、と簡単に紹介されていた。  将吉がアンダーラインをひいたのは、神社の縁起ではない。一枚の写真に対してである。この光景が、彼には過去への道しるべになったのだ。小さい写真は、わたしに何も語りかけてはくれない。神社の祭礼が七月二十四日であるという一行を目にし、即座に、わたしは旅仕度にかかった。二十四日といえば、二日後なのだった。     7  つらねた提灯のあかりに照らしだされた参道は、杉の大樹が作る闇の奥にむかってのびる。  その中空に、極彩色の絵が、ぼうっと浮かびあがっている。  群集にもまれ、わたしはその絵にむかって歩く。  近づくにつれ、絵は巨大な姿をあらわし、悽惨な図柄が内側から灯りに照らされてゆらぐ。  参道をまたいで屹立《きつりつ》する台に、畳二枚分はあろうという絵が二枚かかげられている。  芝居小屋の絵看板のような泥絵具で描かれたものであった。一枚は、どうやら、源平の舟いくさを描いたとおぼしい。小舟にのって太刀ふりかざす若武者に、幽鬼と化したような武士が大薙刀《なぎなた》で打ちかかる。その顔は夜の海のように蒼い。夜空に人魂が赤く、醜悪な容貌の死者の群れが波間からのぞき、空を奔《はし》り、生者を嘲笑《あざわら》っている。  もう一枚は、御殿女中のような女を、白|無垢《むく》の衣裳に|花 簪《はなかんざし》の女が二人、両側から見下ろしている。  どれも、芝居絵に共通した手法で描かれているのだが、その極度に歪められた姿態、赤や緑や黒の強烈な色彩は、背後の底知れぬ秘儀を思わせた。  将吉がわたしをここに導いた。彼は、わたしにはっきりと道すじを示していた。もちろん、彼自身は、わたしに教えるつもりはなかったろう。アンダーラインは、自分の心おぼえにひいたものだったにちがいない。しかし、わたしには将吉がここだと言っているように思えた。  群集に押されながら参道を歩く。映画のロケだろうか。参道の脇にクレーンを据えたカメラが、この光景をおさめていた。  二枚の絵は、ガイドブックで見たものと同じだった。  闇のなかに蝋燭《ろうそく》の灯で浮かびあがった絵は日常生活ではあらわすことを許されぬ、爆発的な悪の力をみなぎらせていた。将吉は、幼いころ、この絵を見たことがあったのだろう。ガイドブックの小さい写真が、埋もれていた記憶をゆり起こし、彼はここに来る気になったのだ。そう思いながら台提灯の脚の下をくぐったわたしの目の前に、もう一台、あらわれたのである。泥絵の台提灯が。  凄まじい荒々しい、血みどろの絵であった。腹かっさばいた男がいる。傷口から立ちのぼる血とも墨ともわからぬ魔炎の猛火の上方に翼を風に鳴らし出現した天狗が雲に轟《とどろ》き入らんとしている。男の右には乱れ髪を風に吹き散らし、身をよじって女が立ち、その背後に、武士が天狗にむかって鞘ぐるみの太刀をふり上げる。女の足もとには幼い子供が顔を血に染め仰向けに倒れている。絵全体が兇暴に迸《ほとばし》る血の渦のなかにあった。  豊潤にふりまかれた血の赤には、苦病と悦楽、呪縛《じゆばく》と解約が塗りこめられていた。  武士のぶっかえした衣裳の裏の赤、女のしごきと|※[#「衣へん」+「施のつくり」]《ふき》の赤、すべてが、割腹した男の流すおびただしい血、仰向いて倒れた子供を染めた血と、照応していた。  将吉の、幼い記憶が、ここにあった。  これは、人が見てはならぬ絵だ。人が心の奥に秘し匿《かく》し眠らせている、魑魅《ちみ》、血の騒ぎ、悖徳《はいとく》、魔の哄笑を呼びさます絵だ。台提灯の下を苦もなくくぐりぬけてゆく祭り浴衣の人々が、不思議な影のようだ。  どれほど長いあいだ、佇《たたず》んでいたことだろうか。 「そんなにこの絵が気にいったの」  男が話しかけてきた。撮影が小休止に入ったロケのスタッフたちだった。 「絵金の絵はここばかりじゃない、赤岡町にも凄いのがあるよ」 「しかし、これは絵金の傑作の一つだろうな」  もう一人が言った。 「絵金の絵の、悖徳のエネルギーは凄いよな。�かぶき�は、これでなくちゃな」 「あの人殺しも」と、一人が言った。「この絵の魔力のせいかも」 「さあ、おれはその説はちょっと認めがたいな。現代の人間が、そこまで……」 「あの人殺しって?」  訊きかえすわたしに、 「三十年以上も昔の話だよ。あなた生まれてなかったころじゃない。おれたちだって、こっちで土地の人にきいたんだけど」と、男は言った。 「女が、刺したんだってさ、男を。この絵の前で」 「どうして?」 「さあ、昔の話だからな」 「あいつ、ひょっとしたら、さぐり出したかもしれないぜ。ずいぶん興味を持ったようだから」 「あいつって、だれですか」 「ゆきずりの男だよ」 「三十五ぐらいの?」 「そうだな」 「矢川といいませんでした?」 「名前は知らない」 「いつごろ?」 「半月ぐらい前かな。祭りの当日では撮るのにぐあいの悪いシーンもあるので、先に、これと同じように台提灯を組み立ててもらって、夜間ロケをしていたときだ。見物人のなかにいた男だよ。憑《つ》かれたように、この台提灯を見上げていた。おれたちに話しかけてきた。話のついでに、土地の人にきいた昔の殺人事件をちょっと口にしたら……」     8  明石百代が殺意があったことを自白したと、帰京したわたしに、河野牧子が告げた。アパートのドアに、連絡するようにと書いた名刺がはさんであったので、家裁を訪れたのである。 「皐月野良太郎さんと矢川将吉さんのあいだを決定的に裂くために、明石百代はずいぶん小細工をしたようなの。あることないこと中傷して、その上、これは明石百代が良太郎さんに絶対秘密にしておきたいことなのだけれど、洋子さんが一時将吉さんと……」と言いかけて河野牧子は口をつぐみ、「まあ、そんなこともあったのね。将吉さんがあきらさんの襲名披露の座長大会にゲスト出演しようと自分から言いだしたので、百代は、かえって不安になったんですって。襲名のことで、いろいろ弁解がましく言いかけたら、将吉さんが皮肉な口調で、あんたのしたことは全部わかっている。洋子とのこともあるが黙っていてやると、何か脅迫がましいことを言ったというのよ」 「明石座長の疑心暗鬼でしょう」  わたしは言った。 「それきり将吉さんは一人で旅に出てしまった。座長は心配でいたたまれなかった。そうして、あんな大胆なことを思いついたんですって。だれも座長に動機があるとは知らないから、あの弁明でとおると思ったって。ところがね……いざとなると気が臆して、止めよう、いまならまだ間にあうと思い、匕首を型どおりにきめようとしたとき、将吉さんが、わざと躯をぶつけるようにして刺させたというの」  わたしは、あの後、土地の人にたずねてまわった。三十年あまり前、絵金の血みどろ絵の前で起きた殺人事件というのを。遠いことなので、話はまちまちだった。女が男を刺しはしたが、死ななかった。殺人事件ではなく傷害事件だったという説が多かった。男は旅まわりの役者で、女が幼い子供を連れて追いかけてきたのだ、と言う者もいた。  たしかなのは、将吉らしい男が、半月ほど前、わたしと同じようにその事件のことをたずね歩いていた、ということであった。  明石百代は、おそらく、真実をのべたのだと思う。  いや、疑えば、あの匕首を用意したのは、あきらかもしれない。皐月野の名と二代目の地位をどうでも手に入れたいあきらが、母親に策謀させ、将吉を中傷させた。金づかいが荒く、傷害事件や金銭上のトラブルを起こしては、そのたびに百代に尻ぬぐいさせてきたあきらだ。匕首を手にして引き抜いたとき、百代は、はじめて、息子が自分に何をさせたがっているか察した。だが、それを警察に言うことはできなかった。……その方が真実かもしれない。百代の言うとおりだとしたら、やはり、あまりにやり口が大胆すぎる。あきらは、前もって、多少のことは百代ににおわせていたかもしれない。このように答弁すれば、こういう方法で殺人ができる、などと。そうして、百代は、刺すつもりはなかったが、将吉が……。  百代の手に本身の匕首が光るのを見た瞬間、将吉の心に何が生じたのか、わたしには確実なことは何も言えない。  あの荒々しい無惨絵が、瞼の裏にかさなったことだろう。  母親が父親を刺した、という言葉も、脳裏にひらめいただろう。  そうして、わたしは思い出す。百代が良太郎にたのみこんであきらに襲名させることが決まったときだ。母親ってのは、子供がかわいいんだな、と将吉は、痛みをこらえるように目を閉じ、呟いた。  おそらく将吉自身にも、あのときの行動の理由を説明させよと言われても、何も明確なことは言えないのかもしれない。何かにつき動かされるように、そうしてしまったのだ、としか。けれど、しなくてはならぬと思ったことをしたのだ、とも。  わたしはアパートに戻った。将吉の骨壺は小机の上にある。出生の記録のない将吉は、死亡届も不要である。将吉が死ぬのは、わたしが死ぬときだ。 〈お断り〉 本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。 また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。 初出誌  旅芝居殺人事件(「壁——旅芝居殺人事件」改題)   昭和五十九年九月白水社刊  瑠璃燈  「別冊小説現代」昭和六十年新秋号  奈 落  「別冊小説現代」昭和五十九年初夏号  雪 衣  「小説春秋」昭和六十年三月号  黒 塚  「月刊小説」昭和五十九年十月号  楽 屋  「小説現代」 昭和六十年三月号  花 刃  「オール讀物」 昭和六十年九月号 〈底 本〉文春文庫 昭和六十二年九月十日刊